百八十四話
早朝。朝の喧噪で賑わう教室の中に入ったメリアは、いつもの癖で教室内を見渡し、フェイの姿を探した。
しかし、どうやらまだ来ていないらしい。
次いでアイリスとゲイソンの姿も追い、今日は自分が一番乗りだと思いながら自分の席へ向かった。
席に座り、何をするでもなくボーッとしていると否が応でも教室の中で繰り広げられている会話が耳に入ってくる。
初めは特に意識することなく右から左へ聞き流していたメリアだったが、次の瞬間に入ってきた女子生徒たちの会話はいやに鮮明に鼓膜を震わした。
「ね、どう思う? 王女殿下のこと」
「どう思うも何も、絶対にそうだって」
「だよねー」
王女殿下、という言葉が聞こえた瞬間にメリアの意識は完全に彼女たちの会話へと向けられた。
殆ど無意識のうちに、耳をそばだてる。
女子生徒たちは同意し合ったのち、今度は感心するように何度も頷いた。
「凄いよね-。好きな男の子を追ってわざわざ王都からこの学園に来るなんて」
「――っ」
メリアの全身が強張る。
ドキリと胸が弾んだ。
キュッとスカートの裾を握り、俯く。
そんなメリアの様子に女子生徒たちは当然気付くはずもなく、会話を続ける。
「でもさでもさ、もしかしてそれって禁断の恋って奴じゃない?」
「何嬉しそうにしてるのよ。フェイくんって、男爵なんでしょ? なら禁断でもなんでもないって」
「あー、そういえばそうだった。あれ? でもやっぱり禁断の恋だって。貴族でも、男爵と王族とじゃ身分が全然違うでしょ?」
「どうしても禁断の恋にしたいみたいね。その辺のことが平民の私たちにわかるわけないでしょ。雲の上の存在なんだから」
それもそっかーという素っ気ない同意の声と共に、彼女たちの話題は次のものへと移っていく。
そんな中、メリアは彼女たちの言葉を脳内で反芻していた。
――雲の上の存在。
この言葉が、メリアの体を重たくさせる。
片や、帝級精霊と契約を交わし、国に一目を置かれている精霊術師。
片や、精霊と契約すらできない落ちこぼれの魔術師。
その差を、メリアはよくわかっている。
だから、ボネット家本邸の騒動でフェイが我を忘れかけたときに口にしてしまった告白同然の言葉の返事を、今はまだ大丈夫と断ったのだ。
色々と慌ただしかったフェイに気を遣ったというのもあるが、何よりも自分が彼の隣に立つに相応しくないと自覚していたからこそ、その返事を貰うのが怖かっただけ。
考えれば考えるほどに、今の自分を否定する言葉が湧き上がってくる。
まるで誰かにそうだと言われているみたいに、積み重なる言葉は加速して。
――――ロセ。
「……っ」
ずきりと、胸と頭が痛む。
体の内側から何かが浸食しているような痛み。
その痛みと共に脳に直接響き渡るのは、自分とは違う誰かの声。
くぐもっていて、何を言っているのかは聞き取れないが、なぜだかその言葉がひどく魅惑的なもののように感じられた。
「……ア? ねえ、メリアってば」
「――! ぁ、おはようございます」
「おはよー。なーに? 心ここにあらずって感じだったわよ?」
「何か困ったことがあるなら相談しろよ」
「あんたなんかに相談したところで、何も解決しないわよ」
「んだとぉ!?」
登校してきたアイリスとゲイソンがいつものやり取りを始めるのを見ながら、メリアはあははと苦笑いを浮かべながら先ほどの声を思考の隅へと追い出す。
ぎゃーぎゃーと喚くゲイソンを適当にいなしながら、メリアの前の席に座ったアイリスは気遣わしげに再度問うた。
「それで、どうかしたの? さっきのメリア、なんだか可笑しかったわよ」
「ほ、本当になんでもないんですからっ」
強く言い切ると、そのままアイリスの疑惑の目から逃れるべく顔を伏せる。
「ん? そういえばフェイの奴、まだ来てねえんだな」
「あら、本当ね。また学園長に呼び出されてたりして」
「うわー、フェイのことだからあり得るぜ」
フェイたちがまだ来ていないことに気付いたゲイソンが声を上げ、アイリスが頷き返す。
二人の会話を聞いたメリアは、ビクリと肩を震わせた。
その一瞬の変化に目ざとく気付いたアイリスは、首を傾げると、すぐに何かを見抜いたようににんまりと口角を緩める。
そして、「ね、ねっ」と楽しげな声と共に身を乗り出して、勢いそのままにメリアの両肩を掴んだ。
「! な、なんですか……?」
困惑するメリアを気にも止めず、アイリスは口を開く。
「週末の休み、フェイくんを買い物に誘いなさいよ」
「は、はい。……え、えぇ!?」
勢いに気圧されて反射的に頷いてしまったメリアだったが、数瞬の後、アイリスの言葉の意味を理解して悲鳴に近い声を漏らす。
二人のやり取りを見ていたゲイソンは突然のことに目を点にしたものの、アイリスの意図を理解するやいなや面白そうに乗っかかる。
「おー、いいんじゃねえか? 最近、フェイとあんまり遊べてねえからな。たまには皆で遊びに行くのも」
「あんた、ばっかじゃないの!」
「え? ……え?」
意図を読み切ったことで得意げになっていたゲイソンだったが、アイリスに即座に一刀両断され、いつもならば食って掛かったところ首を左右に傾げて後ずさる。
「これだからバカは……」と不満を零しながらも、アイリスはメリアに視線を向け直す。
「いいから、気になってるんでしょ? レティスと一緒に暮らしてることが。だったら、こっちから行かないと。ね?」
「……っ、そ、そんなこと……」
完全に見抜かれていたことへの羞恥でメリアは顔を赤くすると、スカートの裾を掴んでもじもじと俯く。
そうこうしているうちに、教室の扉からフェイとレティスが現れた。
「おはよう、みんな。……どうかしたの?」
顔を真っ赤にして俯くメリアと、そんな彼女の両肩を掴むアイリス。そして両腕を組んで何やら考え込んでいるゲイソン。
中々に混沌とした三人の様子を見たフェイは、訝しみながら問う。
「な、なんでもないですっ!」
その問いにいち早く反応したのはメリアだった。
両手と首をぶんぶんと振って、それ以上の追求を逃れようとする。
実際、フェイもそれ以上問おうとはしなかった。
レティスと共に自分の席へと向かう中、アイリスが「フェイくん」と囁く。
「ん、なに?」
「がんばんなさいよ」
「……なにを?」
まったくもって話が見えないフェイは、困惑気味に聞き返す。
しかし、アイリスはそれには答えることなく上機嫌な鼻歌と共に彼女の席へと向かった。