百八十三話
セシリアたちとの話を終えたフェイたちは、実技施設を後にすると学園近くの喫茶店に入っていた。
ゲイソンとあのまま別れるのも気が引けたというのもあるが、アイリスの「久しぶりにお茶しない?」という提案にレティスが目を輝かせたのが理由の大きな所だ。
すでに何度も通っている店のため、それぞれが思い思いに注文しながら――レティスはフェイにオススメを聞きながら四苦八苦して――腰を落ち着かせていた。
注文を終え、ほっと一息ついたレティスは店内を見渡しながら表情を緩める。
「ここがフェイがいつも通っている喫茶店なのね!」
「いつも、といえるほど頻繁に来ているわけではありませんが……」
レティスの言葉に曖昧に頷きながら、フェイは苦笑する。
彼女のテンションが上がっている理由は、考えるまでもない。
王女殿下として王城で過ごしていた彼女には、こんな風に市井の店に立ち寄って何かを食べたり飲んだりという経験はそう多くはないだろう。
それこそ、以前王城の警備の目を盗んで王都へ抜け出し、二人で街を歩いて回った以来かもしれない。
そんな彼女が、こういう普通の暮らしに憧れることは無理もない。
市井の者が王族へ憧れを抱くと同時に、王族の人間もまた、民衆の暮らしに憧れを抱くものだ。
「ねっ、フェイたちは普段どんなことを話しているの?」
「どんなこと、と言われましても」
五人のイスに囲まれた丸テーブル。
隣に座るレティスが身を寄せながら発した問いに、フェイは困惑する。
助け船を求めて、フェイは正面に座るゲイソンやアイリスに視線を向けた。
「そんな大それたことじゃないです、ぜ。その日起きたことや、休みの間にあったことを適当に話し合うぐらいで」
喫茶店に来るまでの道中でなんとか気を持ち直したゲイソンが答える。
昼食の際、食堂でレティスに敬語じゃなくていいと言われたことを思い出したのか、語尾が微妙に可笑しい。
「後は、成績の話とかね。毎回毎回、どこかのおバカさんがテストが近くなると助けてくれってうるさいから」
「おい、俺のことか!?」
「あんた以外に誰がいるのよ」
「っのやろぉ!」
「ゲイソン、アイリス。店の中だよ」
いつもの調子を取り戻した二人に、フェイは肩を竦めながら僅かに口角を上げる。
隣を見ると、レティスもまたクスクスと笑っていた。
「――以上でお揃いでしょうか」
その後、それぞれが注文したものがテーブルの上に並べられる。
レティスは、自身が注文したチーズケーキを切り分け、口元に運んでいる。
本当であれば、万が一を考えて毒味がしたい。
とはいえ、この場でそれをするのは無粋かもしれないと、フェイはグッと堪える。
何か異変があればすぐに対処できるように、チーズケーキをモグモグと食べるレティスの様子を注視する。
「……?」
その視線を感じたレティスは、小首を傾げてフェイを見る。
一瞬たじろぎ、しかしすぐにそれに気が付いてフェイは自身の口元を指差した。
「? ……――ッ、~~~~っ」
その仕草を一瞬不思議に思うレティスだが、すぐにその意味に気付く。
慌てて卓上に置かれている紙ナプキンを取り、口元を拭う。
それから、顔を真っ赤にして「ち、違うのっ」と震え声を発する。
「普段王城ではこんな食べ方できないから、その、ついっ。いつもはきちんとしてるのよ?」
「別に何も言ってないじゃないですか。……って、そういえば以前王都をご一緒したときも、クレープのクリームを口元に付けていたような……」
「~~~~っ、どうしてそんなに前のことを覚えてるのよ! フェイの意地悪!」
「え、えー……」
怒ったようにぷいとそっぽを向くレティス。
しかしその口元は緩んでいる。
フェイは怒らせてしまったと反省しながら紅茶を喉に流し込んだ。
◆
「今日はありがとう。明日からもよろしくね」
店を出たレティスは微笑みながらゲイソンたちに言った。
相手が王族ということで少なからず存在していた遠慮もすっかりなくなったらしく、各々友達に投げかけるような別れの挨拶を口にしていた。
「あ、殿下。トレントさんの迎えが来たようです」
遠くにディルク家の馬車を認めて、フェイはそう声を掛ける。
その声に従ってレティスもまたそちらを見やると、「早く行きましょうっ」と嬉しそうに言った。
「ん、もしかしてフェイたちは一緒に住んでるのか?」
すると、そのやり取りを見ていたゲイソンが不思議そうに問うてきた。
どう答えたものかフェイが考えているうちに、レティスが「ええ、そうよ」と即答する。
慌ててフェイは説明を付け加えた。
「王城からは遠いから、学園に通う間だけの話だよ。殿下に一人暮らしをさせるわけにもいかないから、一応貴族の僕の屋敷なら安全だろうって」
「そうよね、時々忘れそうになるけどフェイくんって貴族なのよね」
うんうんと、アイリスが頷く。
「僕ってそんなに威厳がないかな……」
「そういう意味じゃないわよ。まあ、なんていうか、……威厳はないわね」
「フォローしようとしてフォローできないのが一番つらいからね!?」
「でもほら、そこがフェイくんのいいとこっていうか、ね?」
ガックシと肩を落とすフェイを見て、レティスはくすくすと笑う。
ゲイソンも、そしてアイリスも可笑しそうに笑っていた。
その中で、メリアだけはどこか思い詰めたような面持ちでフェイを見つめている。
やがて意を決したように一歩前に踏み出すと、フェイに向けて口を開いた。
「フェイ様、その、お願いがあるんです」
「お願い?」
アイリスたちに笑われてさらに項垂れていたフェイは、顔を上げてメリアを見る。
一瞬だけレティスに視線を向けてから、メリアは言葉を続けた。
「その、私も、フェイ様の屋敷にお泊まりしてもいいでしょうかっ」
「……え?」
突然の申し出にフェイは呆気にとられる。
彼の隣に立っていたレティスは僅かに目を細めた。
「えっと、急にどうしたの?」
「深い理由はないんです。ただ、レティスさんがフェイ様のお屋敷に泊まられていると聞いて、羨ましくなったというか……」
後半になるにつれてモゴモゴと口ごもるメリア。
要するにお泊まり会がしたいということだろうかとフェイは解釈すると、反射的に答える。
「うん、僕は別にかまわ――」
かまわない。
そう言おうとしたフェイの視界の隅にレティスの金色の髪が映る。
同時に、彼女を預かっている真の理由を思い出した。
彼女が契約を交わした白帝竜。いまだ未熟な彼女が万が一にも暴走をした際に、それを抑えられる存在がフェイ以外にいないこと。
だからこそ、フェイはレティスを屋敷に預かることを請け負った。
何より、白帝竜の存在はいまだに国家機密だ。
メリアを屋敷に連れ帰れば、否が応でも接触してしまうだろう。
それは避けなければならない。
一度口にでかかった言葉を飲み込むと、フェイは「ごめん」と告げる。
「今は少し厳しいんだ。また、僕の方から誘うから」
「わ、わかりました……」
見るからに落ち込んだメリアにフェイは居心地の悪さを覚えて視線を彷徨わせる。
すると、こちらをニヤニヤとした表情で見つめるゲイソンやアイリスと目があった。
◆
「彼女、泊めてあげなくて本当に良かったの?」
「機密を守るためですから」
帰りの馬車の中で、なんとなしに窓の外を眺めながら問うてきたレティスに、フェイは迷いなく答える。
断った時のメリアの表情を見てフェイも胸が痛んだが、けれども事情が事情だ。
何よりも、万が一白帝竜が暴れてしまってはメリアの身も危うくなってしまう。
レティスは一度ジッとフェイを見つめた後、再び窓の外に視線を戻してどこかふて腐れたように「そういう意味じゃないわ」と呟いた。
果たしてフェイの耳にその言葉は届かず、「でも」と話を続ける。
「メリアには返しても返しきれない恩がありますからね。近いうちに、何か埋め合わせをしようとも思っています」
「……そう」
レティスは小さく呟くと、顔を伏せた。
そのまま屋敷がつくまで彼女の口が開かれることはなく、フェイはいつの間にか瞼を下ろしていた。