百八十話
「ねぇ、フェイ。ここなんだけど……」
席替えが終わり、落ち着きを取り戻したEクラスの教室内。
王族が同じ部屋にいることが慣れずに若干浮ついた空気は流れているが、それ以外は変わらず学園の一日が始まった。
当然、授業も執り行われる。
アーロンが教壇で色々と講義を行っている中、最後列にいるレティスはフェイの方へ机を寄せて彼へ色々と質問をしていた。
「えーっと、ここは……」
その問いを、フェイはよどみなく答えていく。
精霊契約に失敗してからせめて知識だけはと座学に打ち込んだフェイにとって、学園で行われる授業はもう何年も前に学んだことだ。
並の教師よりも、あるいは宮廷魔術師よりも桁はずれの知識を備えているフェイの説明に、レティスは何度も頷く。
洗練された魔術の知識。それを吸収できることの喜びを感じる一方で、彼女の意識は隣のフェイへと向けられる。
すぐ隣で、フェイが自分に魔術を教えてくれている。
王城にいた頃も彼に時々魔術を教えてもらえてはいたが、それでも時間的な制約が多くあった。
しかし今は――。
レティスは表情を緩めながら、しかし真剣に教えてくれているフェイのことを思って引き締め直した。
◆ ◆
「ここが食堂ね!」
午前の授業が終わり、フェイはレティスを連れて食堂に向かっていた。
着いて早々に、生徒で賑わいを見せる食堂を見てレティスが興奮した声を上げた。
「物珍しいのはわかりますが、走り回らないでくださいよ。危ないですから」
「そんなことしないわよっ。全く、フェイは私をなんだと思っているのよ……」
膨れっ面で抗議してくるレティスにフェイは苦笑する。
そうしていると、後ろから困惑気味に声がかけられた。
「お、おい、フェイ。本当にいいのか、俺たちまで一緒で」
フェイとレティスの後ろには、ゲイソン、アイリス、メリアの三人がいる。
いつものように昼食に誘ったのだ。
しかし三人の表情はどことなく強ばっている。
それはそうだ。
今のフェイと昼食を共にするということは、必然的にレティスとも――王族とも一緒に食事をするということになる。
が、フェイはゲイソンたちの不安にきょとんとした様子で返す。
「え、なんで?」
「なんでって、そりゃあ……なっ」
「ちょっと、私に振らないでよ……!」
フェイの純粋な問いに答えに窮したゲイソンは、すぐ傍に立つアイリスになすりつける。
嫌そうに眉をしかめるアイリスをよそに、話を聞いていたレティスが微笑みながら三人に向けて口を開いた。
「気にする必要なんてないわ。今の私はこの学園の一生徒に過ぎないもの」
その言葉を受けてもなお、ゲイソンは「そう言われてもなぁ……」とボソリと呟きながら頭を掻く。
アイリスとメリアも同様の反応で、二人とも困った表情を浮かべていた。
そんな三人に、フェイが助け船を出す。
「まあ殿下もそう言っているわけなんだからさ、ひとまずお昼にしようよ。早くしないと席も埋まっちゃうしさ」
◆ ◆
昼時、生徒で溢れかえる精霊学校の食堂。
決して少なくない席は、しかしすぐに埋まってしまう。
あぶれてしまった生徒たちは道沿いのベンチや中庭、空き教室などで食事をとることになる。
だが、今日はその食堂の席も空いていた。
正確には、ある集団が座っているテーブルの周りの席が。
他は全て埋まっているにも関わらず、その一角だけは誰も寄りつかない。
そこに陣取っている集団は、言わずもがなフェイたちである。
ただでさえ帝級精霊の契約者として様々な噂が飛び交っているフェイに加えて、今はレティスもいる。
午前中の僅かな時間ですでに王族であるレティスがEクラスへ編入してきたことは学校中に広まっているらしい。
万が一王族であるレティスに無礼を働けばどうなることか。
彼女の人となりを知らない彼らは、皆がそれを恐れて近付くことを避けている。
結果として、フェイたちの周りの席だけ空いてしまっているのだ。
「それじゃあ、食べようか」
全員が席に着いたのを確認して、フェイはそう声をかける。
その言葉にゲイソンたちは勢いよく頷いた。
五人が座っているのは円形のテーブルを囲んだ席で、フェイから右回りにメリア、アイリス、ゲイソン、レティスという順で座っている。
ゲイソンたちがそれぞれ目の前の料理に手を伸ばす中、フェイはフォークを持った手を不意にピタリと止めた。
そして、ちらりと横に座るレティスに視線を向ける。
(そういえば、当たり前のように殿下も食堂のご飯を食べようとしているけど……)
学園では一生徒として振る舞うことにしているとはいえ、彼女が王族であることに変わりはない。
であれば、当然レティスが口にするものの安全は確保しなければならないだろう。
「どうかしたの?」
考え事をしながら見つめていたせいか、レティスがその視線に気付き、フェイに向けて首を傾げた。
「いえ、その、……失礼ながら、毒味をと思いまして」
「毒味……? ひ、必要ないわよ!」
「ですが……」
フェイの提案に一瞬不思議そうにしたレティスだったが、直後には王都での一件が脳裏をよぎり、顔を赤らめながら強い声音と共に首を振った。
王都での一件。
国王からの呼び出しを受けて王城へ登城したフェイと共に、密かに王都へと繰り出した時に、屋台の肉焼きを食べようとした時のことだ。
その時のことを思い出すと、途端に羞恥がわきあがった。
以前は周りに他人しかいなかったが、今は目の前に今後クラスメートとなる者たちがいる。
そんな状況での毒味など、到底許容できるはずがない。
毒味の提案を断られ、困ったようにたじろぐフェイにレティスは告げる。
「ここは、我が国が設立した学園よ。そこで出される料理に毒味なんて必要ないわっ」
「それは重々承知していますが、万が一ということが――」
「まあまあ、いいじゃねえか。殿下がそうおっしゃられてるんだからよ」
「そうそう。あんまりしつこいと嫌われるわよ?」
「ゲイソン、アイリスまで……」
尚も食い下がろうとしたフェイに、二人が割って入った。
何故かニヤニヤとした表情で、ゲイソンたちはフェイと見つめている。
その表情に憮然としながらも、フェイはやがて諦めたようにため息を吐いた。
「わかりました。殿下がそうおっしゃられるのであれば」
フェイの言葉にレティスは満面の笑みを浮かべ、それからゲイソンたちに視線を送る。
「なんだか私、あなたたちとは仲良くなれそうだわ」
「奇遇ですね、俺もですよ」
「私も!」
レティスの言葉に同調するゲイソンとアイリス。
そんな二人にレティスが「敬語じゃなくていいわ」と声をかけるのを、フェイは微笑ましく思いながら見つめていた。
(よかった。殿下もなんとかここに打ち解けられそうだ)
元々ゲイソンたちは人当たりがやわらかく、優しくていい奴らだ。
そのことは、学園に入学した初日から知っていた。
入学初日、いきなり声をかけてきたゲイソンと、それに混ざってきたアイリス。
二人なら、きっとレティスの学園生活をよきものにしてくれるだろう。
「メリア……?」
ふと、スプーンを持つ手を止めてボーッとしている彼女の存在に気付き、声をかける。
フェイの呼びかけに気付いたメリアは弾かれたように肩をビクリと震わせた。
「は、はい! あの、どうかしましたか?」
「いや、なんだかボーッとしていたような気がしたから。大丈夫?」
「だ、大丈夫ですっ」
笑顔でそう言い放ったメリアに「そう? ならよかった」と微笑みかけながら、フェイは目の前の料理に手を伸ばした。
いつもお読みいただきありがとうございます。
本日にて連載四周年となりました。
五年目も引き続きよろしくお願いいたします。