百七十八話
「どうぞ」
「失礼します」
学園長室のドアをノックしてすぐに部屋の中から入室を許可する声が発せられて、フェイはゆっくりとドアを開けた。
この部屋の主は突然の来訪者がフェイであることに気付くと、訝しむように眉を寄せた。
「今日呼び出した記憶はございませんが」
ジェシカは銀髪のツインテールを揺らして首を傾げる。
フェイは苦笑しながら懐に手を入れた。
「今日は僕の方から用事があってきました」
「用事? あなたが言うと、恐ろしい響きを持って聞こえますね」
「まあ、否定はしませんが……」
今回のことが彼女にとって厄介で面倒なことであることはわかっている。
それ故に、フェイは肩を竦めるしかなかった。
その態度を見てジェシカは小さくため息を吐くと、諦めたように「用件をどうぞ」と話を進めるように促す。
「ではその前に、……殿下、入ってきてください」
「わかったわ!」
振り返り、廊下で待機していたレティスを呼ぶ。
フェイの声に従ってひょこりと室内に現れたレティスに、ジェシカは一瞬固まる。
「で、ででで、殿下!? 突然どうされたのですか! いえ、それよりも陛下のご許可は……!」
「許可なら貰っているわ。それよりも、今日から暫くの間この学園に通うことになったの。よろしくね」
「ちょ、ちょっと待ってください! 陛下からは何も……!」
こめかみに手をやり、現状を整理しようとするジェシカ。
そんな彼女に、フェイは懐から一通の封筒を取り出して歩み寄る。
「殿下の入学に関して、陛下から書状を預かっています。ご確認ください」
「陛下から……?」
ジェシカは封筒を受け取ると、丁寧に開封する。
そして、中に入っている一枚の紙を取り出してそこに記されている内容に目をやる。
読み進むにつれて、ジェシカの顔面が蒼白し、肩がワナワナと触れ出す。
そして、どうやら読み終えたらしく書状を折り目に沿って丁寧に折りたたんでいく。
そっと封筒に入れ直し、机の上にそっと乗せて大きく息を吐き出した。
それから、しばし無言の時間が続く。
「あの、学園長……?」
思わず、フェイが声をかける。
すると、ジェシカは顔の前に手を突き出してフェイを制する。
「少し待ってください、整理しているので」
目を瞑り、眉間を押さえるジェシカ。
更に少しして、ようやく小さな声を発した。
「なるほど、事情は理解しました。それにしても白帝竜、ですか……」
まだ一日が始まったばかりだというのに、疲れ切った声を出すジェシカにフェイはなんだか居たたまれない気持ちになった。
「陛下の意向でその存在は現状秘匿するということで進めています。今回の殿下の入学は、あくまで魔術を学ぶということで」
「ええ、そのことに関しても書かれていました。ひとまず、殿下にはEクラスへ編入していただくということでよろしいですか?」
ジェシカに訊かれてレティスは質問を返す。
「そのクラスにフェイはいるの?」
「はい、もちろんです」
「なら、それで構わないわ。よろしくね」
レティスの言葉に頷き返しながら、ジェシカは慌ただしく引き出しを開けてそこから紙の束を取り出した。
きっと、編入の手続きに関する書類なのだろう。
ジェシカは紙の束を漁りながらふと思い出したように顔を上げた。
「そういえば、フェイ=ディルク君。あなたに関してもですが」
「はい?」
「現状、あなたが帝級精霊と契約しているという事実は噂のみに留まっています。……もちろん、この学園の生徒のみならず多くの貴族がそれが真実であると認識していますが」
ジェシカの確認の意味も持ったその言葉にフェイは頷き返す。
彼女の言うとおり、フェイが帝級精霊の契約者であることはすでに衆知のことだ。
無論、アルマンド王国の平民たちはそのような噂を耳にする者はごく僅かであろうが、少なくともこの学園の生徒や貴族諸公は。
それでも噂に留まっているのは、まだそれが事実であるという公式の発表がないからだ。
「あなたが公爵位に就くとき――その時が、五体の帝級精霊の契約者であると世界中に宣言することになることをよく覚えておいてください」
◆ ◆
「世界中に宣言、か……」
レティスを学園長室に残し、一足早くEクラスの教室に入ったフェイは、自分の席に座って別れ際にジェシカが自分に放った言葉を反芻していた。
あれは、たぶん彼女のなりの優しい忠告だったのだろう。
ボネット家元当主――フェイの父、アレックスの国葬が行われる時にフェイは公爵位に就く。
その際に帝級精霊の契約者であることも国民に宣言することになるが、そうなると更に面倒ごとが舞い込んでくる。
今は学園内に、そして国内に留まっているが、それが一気に世界中に広がる。
強力な精霊術師が多く存在するアルマンド王国はあらゆる国家から良くも悪くも注目されているわけだが、その視線もフェイに集中することだろう。
だが、今更そんなことを気にしても仕方がない。
それに、自分は一人ではないのだ。
「おはようございます、フェイ様!」
ぼんやりとそんなことを考えていると、突然教室の扉の方から声がかけられた。
そちらを向くと、長い黒髪を揺らして満面の笑みを浮かべるメリアの姿があった。
「おはよう、メリア」
「どうしたんですか? こんなに朝早く」
「ん、まあちょっと色々とね」
王女殿下の編入の手続きのために早く来ていた――というのはなんだか憚られた。
どうせこの後彼女の編入の旨を知ることになるだろうし、今は言わなくてもいいだろう。
メリアは自分の席ではなくフェイのすぐ傍に歩み寄ると、不思議そうに首を傾げた。
「? フェイ様、なんだか嬉しそうですね」
「そ、そう!?」
「はい、なんというか……悪巧みがうまくいった子どものような顔を」
「そんな顔をしていたかな、僕。いやまあ、否定はできないんだけどね」
メリアの鋭い指摘にフェイは苦笑する。
悪巧みがうまくいった子どものような顔、とはよくいったものだ。
まさしくフェイは今、王女殿下が現れた時のメリアたちの反応を想像して表情を緩めていたのだから。
「なになに~? フェイ君、またよからぬ事を考えてるの?」
「おいおい、勘弁してくれよ。付き合うこっちの身にもなれってんだ」
「……またってなんだよ、またって。僕は日常的にそんなことを考えているつもりはないけど」
丁度現れたアイリスとゲイソンが意地の悪い笑みと共にそう声をかけてきた。
堪らずフェイは抗議する。
その物言いが可笑しくて、メリアたち三人は笑い声を上げる。
そんな三人を、フェイはジト目で睨み付けた。