百七十七話
「ここが、フェイが通う学園なのね!」
精霊学校の正門の前で、フェイとレティスの二人を乗せた馬車が静かに止まる。
毎度の事ながら、馬の手綱を握るトレントの技術には驚かされる。
車内から学園を視界におさめたレティスが興奮している光景に頬を緩めながらフェイは応じる。
「殿下も今日から通われることになるんですよ」
「そ、そうよね! そうなのよね!」
随分と前に王城を抜け出して王都を歩き回ったとき然り、どうにもレティスはこういったある意味普通の生活というものに憧れを抱いているらしい。
王族として束縛された生活を送っていればある意味それは自然なことなのかもしれないが。
(殿下が暴走しないように、きちんと見ておかないとな……)
彼女がふらっと出歩くことを止めることができないまでも、せめて自分が傍にいなければ。
フェイがそう決意すると同時に外からトレントが馬車の扉を開けた。
先にフェイが降り、そして振り返る。
「殿下、どうぞ」
右手を差し伸べる。
彼女の朗らかで無邪気な性格のせいで忘れそうになってしまうが彼女は王族で自分は臣下の男爵。
そこを忘れてはいけない。
特に、人目の多い学園においては。
差し出された手に少し照れたように頬を染めてから、レティスはその手をとった。
◆ ◆
「なんだか思っていたよりも人が少ないのね」
正門でトレントと別れたフェイたちは校舎へと続く大通りを真っ直ぐに歩いていた。
気付けば、道の両脇に並ぶ街路樹の葉の色が所々茶色に変わっている。
もうそんな季節かと物思いにふけっていると、隣を歩くレティスが少し不満そうに声を零した。
確かに彼女の言うとおり、この大通りを進む人の数はごく僅かだ。
だが、別に生徒数が一気に減ってしまったわけではない。
「まだ朝早いですからね。一時間目が始まるまで随分と時間がありますから」
授業が始まる前に学園長であるジェシカのところへ行く予定のあったフェイたちはいつもよりも早めに屋敷を出ている。
今学園にいる生徒は相当真面目な生徒ぐらいだろう。 フェイの言葉にレティスは納得した様子で頷いた。
「……それにしても、やっぱり目立ちますね」
自分たちの方をチラチラと見つめてくる視線に気付いてフェイは苦笑した。
レティスが学園に入るということは本当に急に決まったことであったので、彼女は学園の制服を着ていない。
というよりも、学園長であるジェシカすら今日レティスが学園に来ることを知らず、この後フェイがアルフレドに預かった書状を渡すことで入学が認められる手筈となっている。
ともあれ、一目で王族か、あるいはそれに準ずる身分の者であるとわかるような豪奢な装束ではないものの、やはり私服の者が学園内を歩いていれば否が応でも目立ってしまう。
おまけにレティスの容姿は誰の目から見ても可愛らしく映ってしまう。
(早く制服を用意してもらわないとな……)
他人事のように内心でそんなことを考えるフェイであったが、この視線の理由の半分ほどが自分自身にあることをすっかり忘れてしまっている。
帝級精霊を従え、そして近々公爵位につくやもしれないという噂はすでに学園中に広まっている。
フェイもまた、十二分すぎるほどに有名人なのだ。
「ねえ、フェイ。ルクスを屋敷に残してきて本当によかったの?」
通りを歩き、校舎が目前に迫ったところで不意にレティスが問いを投げてきた。
彼女の契約精霊である白帝竜――ルクスは、フェイの屋敷に留まってもらっている。
今回、レティスがフェイの屋敷で暮らすことになり、そして精霊学校に通うこととなった理由は二つ。
一つは、未熟な状態で精霊術師となってしまったレティスを術師として成長させるため。
そしてもう一つ。
万が一にもルクスが暴走した際、それを押さえ込むことができるのはフェイとそして彼の契約精霊である五帝獣だけだ。
そのためにも、レティスとルクスはフェイと共にいる必要があった。
しかし今、ルクスはフェイの屋敷に残っている。
レティスの問いに、フェイは彼女がルクスのことを名前で呼ぶようになったのかと表情を緩めながら答えた。
「大丈夫ですよ、万が一のためにフリールたちにはついてもらっていますから」
屋敷にはルクスのみならず、フリールたち五体の帝級精霊が留まっている。
どのような状況が起きても彼女たちなら対処しきれるだろう。
何より、
「それに、まだ白帝竜の存在を公にすることができないそうですから」
一人の精霊術師が五体の帝級精霊を使役している。
その事実を公表することを決断することにも時間を要し、しかもまだその事実を世界に公表できていない。
にも関わらず更にもう一人、帝級精霊との契約者が生まれたとなれば色々と問題があるのだろう。
政治に疎いフェイであっても、そのことはなんとなく想像はできる。
精霊術師は魔族に対抗する力であることは大前提として、国際社会で自国の戦力としてアピールすることができる重要な要素となる。
業が深い人類は、魔族のみを敵と思ってはいない。
大きすぎる力が破滅を呼ぶこともまた、あり得ることなのだ。
フェイの返答に納得し、これからの短い学園生活に思いを馳せて満面の笑顔を浮かべるレティス。
そんな彼女の笑顔に視線をやり、そして懐にしまってあるアルフレドの書状にそっと手をやりながら、フェイは動乱の予感を感じた。