百七十六話
レティスを屋敷に迎えて初めての食事を終え、フェイは自室に戻っていた。
遅めの夕食を終え、後は明日に向けて寝るのみとなった。
王族であるレティスを前に、アンナは緊張でカチコチで皿を落としたりしないか内心ハラハラしていたが、トレントが上手い具合に彼女をサポートしていた。
ひとまず、初日は何の問題もなく終えられたと思う。
「はぁー、疲れた」
ベッドに大の字で横たわり、天井を見上げてフェイは大きなため息を零す。
王族を自分の屋敷に招き、応対するなど初めての経験だ。
レティスに限って些細なことで怒りはしないだろうが、それでも些か疲れる。
(こんなことなら、他の貴族の人たちを招いてパーティでも開いておくんだったかな)
貴族諸侯からのパーティの誘いを断り、自分がパーティを開くことも先延ばしにしていたが、レティスを招くとわかっていたら練習も兼ねて色々準備しておいた。
ただ、王族を自分の屋敷に呼ぶなんて想像できるはずがないよなと、後悔をそこそこに起き上がる。
ちらりと部屋の隅に視線をやると、セレスとライティアが土を生み出して遊んでいた。
部屋が汚れるからやめてとは言わない。
地の帝級精霊であるセレスは、大地を構成するあらゆるものをただ一つの例外なく支配してみせる。
片付けるように指示すれば、彼女はこの部屋に砂一粒残すことなく消して見せるだろう。
「何難しい顔してるのよ」
「――ごほっ!?」
ベッドに腰掛けていたフェイだが、突然背中に物凄い衝撃を受けて肺から無理やり空気が吐き出される。
咳き込み、涙目になりながらフェイは非難の声を上げる。
「いきなり何するんだよ、フリール」
「辛気臭い顔をしていたから元気づけてあげただけよ」
背中に抱き着くひんやりとした温もりを感じながら、フェイは肩を竦める。
「そんな顔してたかな、僕」
「してたわよ、なんだか色々と後悔していたような。予想外の出来事に疲れたような、そんな感じ」
「予想外の出来事、か。正直なところ、僕の人生で想定通りに物事が運んでことなんてそれこそ数えられるぐらいだからね。予想外なことが想定通りというかなんというか」
「目から光が消えてるわよ、フェイ」
激動の人生を振り返っていると、フリールが呆れ交じりにそう言ってきた。
慌てて顔を振って正気を取り戻す。
「まあ、確かに予想外の出来事ばかりで大変だけど、今の状況に不満はないよ。なんだかんだで楽しい毎日を送れていると思う。大変だけどね」
「……そう」
笑って見せるフェイに、フリールは微笑みかける。
どうやら、いつの間にかフェイは大きく成長していたらしい。
そのことが嬉しくて、フリールは彼に抱き着く力を強めた。
「なぁああああにやってんのよっ! バカールッ!!!!!!」
突如、背中の重みが掻き消える。
と同時に、壁に何かがぶつかる音が室内に轟いた。
「……っぅ、ちょっとアホイヤッ、あんたどうやら私を本気で怒らせたいらしいわね!」
壁にぶつかったフリールがよろめきながら立ち上がり、キッと鋭い視線をフェイの後ろに向ける。
そこには炎の帝級精霊であるフレイヤがベッドの上に立っていた。
どうやら、フレイヤがフリールを突き飛ばしたらしい。
フリールの真実凍てつくような眼差しを受けても、フレイヤは怯むことなくむしろ堂々と真正面から応じる。
気のせいか、同じ部屋なのに暑く、そして寒く感じてきた。
助けを求めて視線を周囲に向けるが、こういう時仲裁に入ってくれるシルフィアは生憎と一階でトレント達を手伝っている。
ならばと、セレスとライティアを見るが二人は気にせず遊びに興じている。
「……前言撤回。皆、仲良くしてよ、ほんと」
身を小さくしてフレイヤとフリールの間から逃げる。
不意に視線を窓の外に向けると、屋敷からこぼれる光と星の瞬きしか明かりとなるものがない真っ暗な庭に、レティスが一人空を見上げて佇んでいる様子が見えた。
一体何をしているのか。
気になったフェイは、この修羅場から逃げ出すことも兼ねて部屋を抜け出した。
◆ ◆
「どうされたんですか、こんな場所で」
「! ……フェイ」
突然声をかけられてレティスはびくりと肩を震わせたが、直後に声をかけてきたのがフェイであることに気付いたほっと胸を撫でおろした。
「空を見ていたの、寝付けなかったから。そういうフェイは?」
「窓の外を見たら、殿下がいらっしゃったので。後は――」
フェイの声に重なるように、屋敷の方からシルフィアの「二人とも、何をしているんですか!」という叫び声が轟く。
レティスは唖然とし、フェイは苦笑した。
「フリールたちが暴れて、眠れそうになかったので逃げてきました」
「に、賑やかね……」
レティスは呆れ半分、驚き半分と言った様子で苦笑いを浮かべる。
フェイにはもうその認識はないが、世間一般的には帝級精霊とは幻想に近い存在。
その存在は神にも等しく、自然、そんな帝級精霊たちへのイメージは荘厳で高潔なものになる。
そんな帝級精霊たちがまるで子供のような言い争いをして、そして子供のように叱られていることがレティスにとっては可笑しくて仕方がない。
「そういえば、ルクスさんは?」
「部屋に残っておいてもらったわ。幾ら自分の契約精霊だからって、四六時中一緒に居られたら息が詰まるでしょ?」
「そうですか……?」
理解できないといった様子でフェイが首を傾げると、レティスは微笑を返す。
「本当、フェイって面白いわね。精霊とはいってもいつも周りに人がいて、疲れないの?」
聞かれて、フェイは一瞬考える。
言われてみれば、確かにずっと他人が傍にいると気疲れするかもしれない。
だが、フェイにとって彼女たちは他人などではなく――
「みんなは、僕自身でもありますからね。彼女たちの耳に入ったら怒られるかもしれませんが」
「そんなことはないわよ、絶対喜ぶに決まってるわ。……私も、フェイみたいになれるかしら」
「僕みたいというのが何を指すのかはわかりませんが、大丈夫ですよ。殿下はきっと、凄い精霊術師になれます」
「そう? ……ありがとう、フェイ。少し不安だったの。この先うまくやっていけるかが。フェイのお陰で和らいだわ」
自分の人生に突如訪れた、予想だにしない出来事――光の帝級精霊との契約。
平静を装ってはいたものの、不安にならないわけがない。
きっと彼女は今夜空を見上げながらこの先のことを考えていたのだろう。
レティスの言葉にフェイは「そう言っていただけると幸いです。僕も微力ながら、殿下をお助けします」と返しながら頭を下げる。
それから、はたと思い出したようにレティスに告げる。
「あ、僕がいたら邪魔ですよね。すみません、すぐに戻ります」
ルクスと共にいるのが疲れたから一人でいるのに、自分がいては邪魔になるだろう。
そういう意図でのフェイの発言であったが、立ち去ろうとした彼の服の袖をレティスは掴んだ。
「フェイなら邪魔じゃないわ。こんな真っ暗な場所に一人は、本当は少し怖いの。……だから、もう少しだけ一緒に星空を見てくれない?」
僅かに潤んだ瞳で、レティスはフェイを見つめる。
嘆願のようにも聞こえるそれを、フェイは一瞬驚いてからすぐに笑みを浮かべる。
「――僕なんかでよろしければ、お供します」