百七十四話
「――は? え、あの、今なんと?」
翌日。王城で一夜を明かし、領地に戻ることになったフェイたちであったが、朝早くにアルフレドに呼び出されて彼の私室へと足を運んでいた。
そこにはレティスとルクスの姿もある。
何やら嬉しそうなレティスに首を傾げながらアルフレドと向かい合ったフェイは、彼が口にした言葉に動揺した。
「我が娘、レティスを貴公の屋敷で暫くの間置いて欲しいのだ」
やはり聞き間違いではなかったらしい。
フェイは思わず眉間を指で押さえながらアルフレドに問いを投げる。
「その、理由をお聞きしても?」
「理由も何も、貴公が昨夜申しておったではないか。レティスと共にいられた方がいいと」
「…………」
確かにそんなことを呟いた記憶はある。
光の帝級精霊であるルクスと契約を結んだレティスは、精霊術師としては未熟だ。
なんとかフェイが重ねて仮契約を結ぶことでそれを補えはしたが、フェイが屋敷に帰るとなればレティスと離れ離れになる。
その間に不測の事態が起きない、とも限らない。
それを考慮したうえでの呟きであったが、現実的に考えてそんなことは不可能に近いことだと理解していたので敢えてそれを主張せずにいたのだ。
だが、どうやらアルフレドの耳には届いていたらしい。
「貴公さえよければ、せめて少しの間でもレティスの面倒を見てやってほしい」
「それはかまいませんが、殿下を王城の外に住まわせて問題はないのですか? 安全上のことで、他の方からの反対などもあるのでは?」
フェイがそう聞くと、アルフレドは可笑しそうに笑う。
「心配せずともよい。皆の承諾は既に取っておる」
フェイが眠りについてから今までの間に、王女殿下を一介の貴族の屋敷に住まわせるという前代未聞の決定をその短時間で決めた。
そのことにフェイは驚きを抱く。
「それに、安全上の問題は何もない。五体の帝級精霊を従える貴公の傍以上に安全な場所があるというのか? 何より、万が一にも我が娘が暴走でもしたとき、それこそ貴公の存在なしには抑え切れぬだろう?」
「それはその通りです。……ですが、例えば僕が精霊学校にいる間はどうされるおつもりですか?」
「ふむ、そのことも話そうと思っていたのだ。実は……」
「私も一緒に通うことになったの!」
アルフレドに重なるように、それまで黙っていたレティスが歓喜に満ちた声色でそう声を発する。
「殿下が、精霊学校に……?」
「うむ。貴公の傍にいることもでき、同時に同年代の者たちと共に術師として必要なことを学ぶこともできる。あくまで短期的なもので正式に入学するわけではないが、そうすれば問題はなくなる。ついては、明日精霊学校に行く際に学園長にこの書状を渡して欲しいのだ」
そうしてアルフレドがフェイに手渡したのはアルマンド王国国王であるアルフレドのサインが刻まれた一通の封筒だった。
これと同じものを、フェイは以前貰ったことがある。
「頼まれてくれるか?」
フェイの目を見つめてくるアルフレド。
そのすぐ傍には目をキラキラと輝かせるレティス、そしてルクスの姿が。
レティスのことを考えると帝級精霊と契約を交わしている自分の傍にいた方が不慮の事態にも対応できる。
そう考えて、フェイはアルフレドに頷き返した。
◆ ◆
「フェイの屋敷ってどんなところなのっ」
小一時間後。フェイたちを乗せた馬車は王城を出た。
フェイが乗る馬車にはレティスだけが同乗している。
ルクスたちはもう一台の馬車に乗ることとなった。
王都を出て少しして、レティスは好奇心に満ちた視線を向けながらフェイに聞く。
やけに楽し気なレティスに苦笑しながら、フェイは答える。
「どんなところと言われましても。普通の屋敷ですよ、殿下からすれば小さいと思われるかもしれません」
「そうなの? ……でも、その方が一つ屋根の下って感じがしていいかもしれないわね」
「一つ屋根の下、ですか……」
言われて、フェイは今更ながら同じ建物の中で王女殿下と暮らすという事実に頭を悩ませた。
同年代の異性と同じ家で過ごすなんてのは、以前メリアが家に泊まりにきたとき以来ではなかろうか。
それにしても、と。フェイは楽しそうにしているレティスを見て思う。
彼女は危機感というものを抱いてはいないのだろうかと。
メリアの時もそうだったが、どうにも自分の周りの女性たちは自分を異性であると認識してくれていないのではなかろうか。
「……はぁ」
思わず小さくため息を吐く。
「どうかしたの?」
「……いえ、なんでもありません」
自分を見つめてくる無垢な眼差しを受けて、フェイはまた一つため息をこぼした。
◆ ◆
ディルク領に入ったときには辺りはすっかり暗くなっていた。
車内も昼間までとは打って変わって静かだ。
それまで騒いでいたレティスが眠ってしまったのだ。
彼女の寝顔を見て、フェイは思わず笑みをこぼした。
「どうかされましたか?」
聞こえていたらしい。御者台に座り馬を操るトレントが声をかけてくる。
「いえ、なんというかこうして眠っている殿下を見ると、つい身分を忘れてしまいそうで」
「フェイ様たちは同い年であられましたよね?」
「ええ。それも起因してか、幼少期はよく王城で顔を合わせていました。……まさかこの歳になってまた関わりを持つとは、数か月前までは予想だにしていませんでしたが」
ラナの薦めで精霊学校に入学してから、本当に環境が変わった。
いつの間にか爵位を得て、そして今度は公爵位にまでなる。
「無礼を承知でお聞きしたいのですが……」
「? どうしましたか?」
躊躇いがちに問い掛けてくるトレントの声に反応する。
「その、フェイ様は王女殿下のことをどう思われているのでしょうか」
「どうというのは、つまりは異性としてどう思っているかと言うことですか?」
「そうです。失礼ながらレティス王女殿下のフェイ様に対する接し方は、他の者とは明らかに違うと思うのですが」
「それは僕が扱いやすいからじゃないですか? 殿下のお転婆にはこれまで何度も付き合わされましたし」
肩を竦めながら返す。
彼女に関することで一番肝を冷やしたのは、王城を脱走するときか。
あの時は流石のフェイと言えど後のことが怖かった。
そこでフェイは再びレティスの寝顔を見つめ、トレントの問いに対する答えを考える。
そして悩みながら口を開いた。
「……そうですね。殿下のことをどう思っているかは、僕自身もわかりません。ただ、絶対に守りたい存在であることは確かです。だからこそ、陛下の提案を受け入れたんですから」
フェイの言葉に、トレントは一言「そうですか……」と応える。
そして、フェイたちを乗せた馬車は屋敷に着いた。