百七十話
「……くく、くふふ……くふはははッッ!」
フェイが魔力を放出し、白帝竜を睨みつけると、その視線をしばし受けてからルクスが高らかに笑い出した。
「妾に出て行っていただく、か。くく、いやあ愉快愉快! 永く生きてきてこれほど笑ったのは久方ぶりである。――実に不愉快だ」
心底可笑しいと腹の底から笑い切り、直後表情を一点。怒りに満ちた形相でフェイを睨みつける。
「人の分際で調子に乗るでないぞ。妾がそなたを生かしておいたのはせめてもの慈悲。それをこのように笑いものにするとは……痴れ者め。もはや生きて帰れると思うな」
「――――」
怒気に満ちた言葉と共に、強烈な殺気を浴びせられ、フェイは平静を装いながらも内心冷や汗をかく。
常人であれば卒倒するほどの気迫を浴びたのだ。
むしろ立っていられるだけでも異常だ。
「……どうやら口だけの軟弱ものではないらしい。それにこの魔力……まあよい、どうあれ妾を侮辱した以上消えてもらうまでよ」
「――【ファイアーウォール】!」
先ほど放たれた形のなかった光の奔流とは違い、今度は明確な剣の形をした光の刃がルクスの前に現出し、同時にフェイに放たれる。
すぐさまフェイは炎の壁を展開してそれを防ごうとするが――
「ッ! くぅ……!」
その壁をいともたやすく貫通し、光の剣はフェイへと迫る。
瞬時に身をよじることでそれを躱すが、僅かに回避が遅れフェイの頬を掠った。
転がるようにして移動しながら、フェイは今の違和感を振り返る。
フェイの炎の壁はただの魔法ではあるが、展開場所は自分の前方のみに集中し、その硬さは精霊魔法に匹敵するレベルだ。
それがいくら帝級精霊の精霊魔法であるからといって、一瞬も競り合うことなくいともたやすく貫通された。
「【フレイムランス】ッ」
ルクスの周囲を取り囲むように炎の槍を数十本展開。彼女がそれを回避する間を与えぬよう即座に撃ち放つ。
全方位からの攻撃。物量と個々の威力を兼ね備えたこれを防ぐのは容易ではない。
だが、相手は光の帝級精霊。これで仕留められるとさすがに思っていない。
傷ついたところを仕留めるべく、第二陣の炎の槍を再び展開しながらフェイは事の成り行きを見る。
ルクスの体を抉ろうと炎の槍が迫る中、彼女は慌てることなく僅かに口角を上げた。
直後――フェイの炎の槍の一切がすべて消え去った。
一体何が。
そう疑問を抱くよりも前に、第二陣の炎の槍を先ほど同様に発射する。
そして今度もまた――すべてが消え去った。
(光の、壁……?)
ルクスを中心に球状に光の粒子が飛び散ったように見えた。
その粒子に当たると同時に、フェイが放った炎の槍は溶けるようにして消えた。
拮抗し、結果として霧散したのではなく文字通り消されたのだ。
(もしかして……いや、ありえるね)
脳裏に闇の帝級精霊との戦いをよぎらせ、一つの仮説に辿り着く。
そしてその仮説を確かめるべく、フェイは一つの魔法を選択した。
「【ウォーターウェーブ】」
フェイの周囲に瞬間的に魔力が溢れ、それは水の波となって現出する。
波は空間を飲み込み、ルクスへと迫る。
そして波が到達すると同時に、ルクスの周りに光の結界が現れ波を消していく。
波の中に居ながら、しかし彼女の周囲はまるで大きな泡のように水が存在しない。
壁に当たると同時に水が無に帰していっている。
それだけ確認して、魔力の放出をやめる。
同時に現出していた水の波も霧散した。
「……なるほど、それがあなたの力ということですか」
「ほう? その口振り、そなたは帝級精霊というものをよく理解しているらしいな」
帝級精霊を目にすることなどないものがほとんどだ。
ましてその力を目にすることともなれば尚のこと。
しかし、フェイは何より五体の帝級精霊の契約者。帝級精霊には属性に即した固有の力があることを知っている。
フリールであればすべてを凍らし、あるいはフレイヤであればすべてを燃やし尽くすといったように。
そして目の前の光の帝級精霊の力は、恐らくすべての魔法を無効にするものなのだろう。
そのことを即座に見抜いたことに、ルクスは多少の驚きを見せる。
それから自らの力を誇示するように胸を張り、言葉を続ける。
「そう。これこそが妾の力。あらゆる魔法は妾の前に無と帰す。そなたがいかに突出した力量を持つ術師と言えど、妾の前では赤子も同然よ」
「――まぁ、そうでしょうね」
ルクスが勝ち誇ったように告げた言葉に、フェイは別段取り乱すことなく小さく肩を竦める。
この程度のことは想定済みだ。
何より、相手は帝級精霊。自分如きの魔法が通じるなどと驕ってなどいない。
(……帝剣も使えない、か)
精神世界に彼女たちを連れてくることができないとしても、もしかすれば彼女たちの力を使うことぐらいはできるのではと期待していたが、やはり彼女たち自体が完全にシャットアウトされているらしい。
闇の帝級精霊の力を五帝獣の力で粉砕したように、今回もそうできればと思ったがそこまで物事は甘くないということか。
だが――手ならまだある。
「ふん、虚勢を張るのも大概にせよ。妾は友と結んだ契約を果たすのみ。その邪魔はさせん!」
「――ッ、ぐぅ……!」
光の剣が前方から幾本も放たれると同時に、フェイの立っている地面が盛り上がり、そこから光の槍が体を貫かんと現れる。
二つの攻撃を完全に避けることなどできず、フェイの体を掠め、抉っていく。
時間稼ぎとばかりに魔法を放とうとするが、彼女相手にはその役割すら果たせないだろう。
余計な損耗は避け、一刻も早く賭けにでるしかない。
更なる追撃を避けながらフェイは僅かに口角を上げ、ルクスを見つめる。
そして、頬から滴り落ちる血を拭いながら呟いた。
「……僕がさっき言った言葉、あれは虚勢でも妄言でもありませんよ」
「ふむ?」
「あなたに出て行っていただく。無理やりにでも!」
フェイの再度の宣言に、ルクスは小さく鼻で笑った。
目の前の状況を前によくもそこまで虚勢が張れたものだと。
あるいは、その愚かさだけは称賛に価すると。
だがフェイの瞳は真剣そのもので、そこに虚勢の色はない。
そのことに些かの苛立ちを抱きながらルクスがフェイを仕留めようと内の力を引き出したその時――空間を莫大な魔力が覆った。
「――!」
その魔力は明らかに異常。果てのないこの精神世界を埋め尽くすかのような濃密で莫大な量の魔力。
それが放出されている根元――フェイを見て、ルクスは驚きの余り目を見開いた。
彼が内包する魔力量は、ルクスが今まであった人間の誰もを数倍、下手をすれば数十倍凌駕していたのだから。
驚愕するルクスを他所に、フェイはゆっくりと彼女に向かって手をかざし、そして小さく、ハッキリと呟いた。
「【エレメンタルコントロール】」