百六十八話
「ここは、王城……?」
目を開けると同時に目の前に広がる光景にフェイは戸惑いを隠せない。
辺りを見渡してから、いつも目にしている光景との微妙な差異に違和感を覚える。そうしながら、一つだけ、決定的におかしいものを目にした。
「! 門の外がない」
フェイの背後にあるのは、王城に入るための門。
その門の向こう側には王都の光景が見えるはずだ。
だが、そこには闇しかなかった。なにも存在しない無の世界だけが、広がっていたのだ。
「つまり、門の外には行けない。というより、この場には王城以外の一切が存在しないということなのかな……」
まったくこの状況についていけないが、忘れてはいけない。
今この場は現実ではなく、精神世界。言うなれば、夢のようなものだ。
この光景は誰かが見ている夢。あるいは過去の記憶。
その記憶には王城より外のことなど一切含まれていない、ということなのだろう。
「なら、中に入っていくしかないよね」
誰に言うでもなく、自分に言い聞かせるようにフェイは呟き、そして一歩踏み出す。
それを皮切りに、フェイは歩き出した。
前に真っ直ぐと歩を進め、王城内に入るための大きく重厚な扉へと手を触れる。瞬間――
「……! ここは、立ち入り禁止っていうことなのかな?」
フェイの手が弾かれる。
見ると、王城の外壁全体が波打つ湖面のように揺らいでいた。
どうやら、中には入れないらしい。
「となると、庭園、中庭の方に行くしかないね」
何かの誘導に従って、フェイはその場へと足を向けた。
◆ ◆
フェイの知る中庭と変わらず、そこには緑が辺りを覆っていた。
そしてそこに、見知らぬ一組の男女が佇んでいた。
「あ、あの……」
フェイが声をかけても、二人は反応していない。
無視している、というよりはフェイの存在を認知していないという感じだった。
(この二人もまた、記憶の中の存在ということか……)
フェイはすぐさまその考えにいたり、そして、庭の隅から目の前の記憶を眺めることにした。
フェイがフリールたちの力を借りてレティスの精神世界に入ったのは昼前だったはずだが、空は暗く、そこに散りばめられた星々が明るく光り輝いている。
そのことに首を傾げるべくもない。
記憶の中にあるこの時間が、夜だったというだけのことなのだから。
そしてその夜空の元に、あたりの静寂に溶け込むように二人は立っていた。
青年は目の前の女性の背中を見つめ、女性は夜空を見上げている。
そして、ポツリと女性が口を開き始めた。
「――妾を生み出したそなたには、妾のより所で在り続ける義務がある。それが、この世に力をもたらしてしまったそなたの罪に対する、せめてもの贖罪」
「あぁ、わかっている。この世に安らぎを訪れさせることができるのなら、それでかまわないさ。むしろ、俺がそうするのだからその代償に見合う力をよこさなければ、それこそお前の罪になるぞ」
青年の挑発めいた言葉に、女性は笑う。
面白そうに、可笑しそうに、愉快そうに。
青年の言が心の底から愚かしいとでも言いたげに女性はひとしきり笑ってから、振り返って青年の顔を見つめる。
まるでそれ自体が光を放っているかのように透き通った白い髪を揺らしながら、女性は凡そ人間のものではない純粋な白のみの瞳に青年を映し、自信に満ちた表情で、
「無論、そなたの背負う罪に匹敵する……いや、それ以上の力をさずけてみせよう」
「ああ、安心したよ。頼んだぞ、ルクス」
青年が彼女の名を呼んだその直後、辺りを目を焼き尽くすのではないかと錯覚するほどのすさまじい光が襲い、フェイは思わず目を閉じる。
ようやくそれが収まったのか。フェイが目を開けたその視界の先には先ほどまでいた女性の姿はなく、代わりに、空の闇を一掃するほどの光を放つ白い竜の姿が在った。
目映い光に覆われた白い竜は、夜空の中で青年を見下ろす。
「汝――ミュネス=アルマンドを礎に、この国に永劫の平和をもたらそう」
その宣言を受けて、ミュネスはその顔に深い笑みを浮かべてから白き竜へ向けて手を伸ばす。
「そして俺は、お前の拠り所となろう。――我が末裔までもを」
◆ ◆
二人の契約めいた言葉の応酬が終わると、突然目に映っていた一切が消え去り、周囲を闇が包み込む。
困惑の中にあるフェイ。そんなフェイをさらに置き去りにするかのように、闇はすぐさま純白へと変貌する。
地面も、空も、あらゆる空間が白に染まった世界。
地の果てのない空間に突然放り出されたフェイは、先ほど記憶の中で意識を戻したときよりも混乱した。
「ここは……記憶の中、じゃないね」
辺りを見渡しても、先ほどのようになにが起こるでもない。
ただ、そこにはなにもなかった。
「――たな」
「……! ッ、誰だ」
不意に、この空間全体に一つの声が木霊し、フェイは全身に力を入れながら姿の見えない何者かの声に問いを投げる。
一瞬の沈黙の後、フェイの目の前の空間が揺らめく。
空間そのものが曖昧になり、そして――先ほどの記憶の中で見た、一人の女性がフェイの目の前に現れた。
「あなたは……」
「――見たな。妾の愛しき記憶を」
凛とした、そしてどこか怒った風な語調で女性は再度、フェイに対して口を開いた。
「さっきのは、あなたの記憶だったんですか」
「如何にも。やはりそなたが見ていたのだな。であれば、妾の記憶を覗き見た輩には、それ相応の裁きが必要だと思うのだが?」
「ま、待ってください! あなたの記憶を見たことは謝罪します。ですが、僕も故意に見たわけではないんです」
「ほう? では何故妾の内側に入り込んできた」
フェイの弁に、女性は方眉を上げて聞く。
彼女の口振りと、そして先ほど見た記憶がフェイに一つの事実が確かなものであると理解させた。
「……あなたはやはり、光の帝級精霊、白帝竜なんですね」
「その名を知るか。なるほど、そなたも妾にとってただの敵、というわけではないらしい」
顎に手を添えて頷く女性に、フェイはホッと胸をなで下ろす。
ひとまずの衝突は避けたらしい。
と同時に、目の前の女性があの白帝竜であることが確定し、フェイは気を引き締めた。
このまま、ひとまず話し合いを――というフェイに思惑を、しかし女性は次の言葉で裏切る。
「……だが、ただの敵ではなくとも、妾の領域に無断で侵入したのだから、敵であることに違いはなかろうて」
「え……?」
直後、フェイを凄まじい光の奔流が襲った。