百六十七話
「――白帝竜、ですか」
アルフレドから一通りの話を聞いて、フェイは小さくそう呟いた。
俄には信じ難いという表情を浮かべている。
「貴公が疑うのも無理はない。儂もレティスのことがあるまでは記憶の片隅にとどめておく程度のものでしかなかった。お伽噺の類であろうとな。事実、その存在を儂が目にしたことはない。だが――」
言葉を区切り、アルフレドはフェイの後ろに佇む五体の帝級精霊たちに視線を移した。
「彼女たちならば、今儂が語った伝説をただのお伽噺だ、などと一蹴したりはせぬはずじゃ。これが事実であるのならばな」
「……ッ」
そう言われて、フリールたちは表情を険しくする。
「そういえば、さっきレティス殿下を見たとき、皆顔を見合わせていたよね? もしかして、今の話が関わっているとか?」
アルフレドから聞いた話。
それは、光の帝級精霊がこの王城の一角で眠っているというものだった。
平素であればなにをバカなことをと笑ってしまうかもしれないが、こと現在に至っては決して笑える話ではない。
レティスの症状からも、未だ見ぬその偉大な精霊が関わっていると考える方が自然だ。
そしてフェイは、彼の口からこぼれ落ちた白帝竜という精霊の存在を否定しない。いや、否定できない。
なぜならば、彼はすでに相対したことがあるからだ。
闇の帝級精霊の力と。
「……確かに、レティスから僅かに私たちと同格の力を感じたのは事実よ」
フリールが五人を代表して、フェイの問いに答える。
彼女の言葉に耳を傾けたフェイとアルフレドに対して、彼女は「でも」と言葉を続ける。
「今の話は私たちも知らないことよ。私たちがこの世界に存在した瞬間のことは覚えていても、存在する前のことは覚えていないもの」
「……いずれにせよ、殿下からフリールたちと同格の力を感じたということは、その伝説上の存在がなんらかの形で関与している可能性は高い。……だから、陛下は僕たちをお呼びになられたんですね?」
「うむ。それほどの存在を前に儂らがいらぬことをすれば万が一のこともあり得る。貴公たちであれば、仮に最悪のことが起こったときも、民を守ることができるだろう」
「話はわかりました。ですが、昏睡状態にある殿下に対して僕ができる処置は……」
確かに、仮に白帝竜が現れ、暴走したとしてもフェイたちならばそれを治めることはできるだろう。
だが昏睡状態から目を覚まさせる手だてなど、持っているはずがない。
フェイ言葉に、アルフレドは「そうか。……いや、そうであろうな」と力なく肩を落とした。
「――手なら、あるかもしれないですよー」
「ホントに!?」
不意に、右手をあげてシルフィアが呟いた。
その言葉に、フェイとアルフレドは瞬時に顔を上げて彼女を見つめる。
「はいー。本当に彼女の中に私たちと同じ存在がいるなら、ですけど。帝級精霊の契約者同士は互いに共鳴しあうのは、フェイも知っていますよねー?」
「う、うん。それは何度か経験したことがあるから」
苦い経験ではある。
闇の帝級精霊の力を前に、頭が痛むという感覚。
それと似たようなことを、以前、ある忌まわしき男が口にしていたか。
「その共鳴を、私たちの力で強めれば、あるいは彼女の精神に入り込むことができるかもー、ということです」
「精神に?」
フェイの問いに、シルフィアは頷く。
「私たちが契約者の中に在るとき、その居場所は契約者の精神なのです。だから、もし仮に彼女の中に在るのなら、それは精神世界。なら、フェイがそこに赴き、なんらかの交渉をすればいいのですー」
「精神世界、か。今までシルフィアたちと暮らしてきて、そんな話聞いたことなかったよ」
フェイの言葉に、シルフィアは「だって、聞かれなかったもの」と口を尖らせる。
その返しに、フェイは「確かに」と肩をすくめるしかなかった。
「ちょっとシルフィア。あんた、重要なことを言い忘れてるわよ。もし精神世界で争うことになったら、命の危険があるってことを」
「命の危険?」
「ええ、そうよ。精神世界で傷つけば、それは少なからず現実に反映される。精神と肉体は表裏一体。どちらかが傷つけばその両方が傷つくことになるもの」
「――つまり、仮に殿下の精神に白帝竜がいたとして、もし戦うことになれば僕が危ないと?」
「簡単にいえばそういうことよ。加えると、私たちはフェイと一緒に精神世界に行くことはできないわ。それをするには、私たちがフェイとの契約を絶つ必要があるもの」
「…………」
フリールの話を聞いて、フェイは後ろに向けていた体を元に戻し、アルフレドと対面する形に座り直す。
それから、良質の絨毯が敷かれた床へと視線を向けた。
彼女たちからの話を聞いて、すべてを理解できたわけではない。
ただ、それでも確かにわかったのは、昏睡状態にあるレティスを助けるには自分がやるしかないということ。
しかしそれには命の危険があって……。
「なんて、考えるまでもないよね」
そこまで脳内で整理して、フェイは小さく笑った。
「わかった。このままの状態がいつまで続くかわからない。長引けば、殿下の容態が悪化するかもしれない。――やろう」
「! ……父親として貴公の言葉は有り難い。しかし、本当によいのか?」
「ええ。殿下と交わした約束もありますしね」
また空を飛ぼうと。あの夜交わした約束。
それを果たさずないままに彼女を見殺しにするわけにはいかない。
そして何より――
「それに、陛下もおっしゃられたじゃないですか。力には理由がいると。そして僕が力を持つ理由は、大切な者を守るため。今この状況で力を使わなかったら、僕は力を手にした理由を失ってしまいますから」
「――! ……感謝する。一人の、父親として」
フェイの真摯な眼差しに、アルフレドは頭を下げた。
一国の王が臣下に頭を下げる。
いつもであれば、フェイは彼の行動をとめただろう。
だが、今はとめない。
今の彼は一国の王ではなく、ただの一人の父親なのだから。
◆ ◆
「一つ、お聞きしてもいいですか?」
レティスの部屋へと戻り、ベッドの傍らにイスを置き、そこに腰掛けながらフェイはアルフレドに声をかけた。
彼の声に、アルフレドは頷く。
「白帝竜のことをほかに知っている方はおられますか?」
「いや、いない。この伝説の話は、儂が国王の任につく際に、父上から聞かされたのだ。きっとそれ以前も、同様に語り継がれたのであろう」
「つまり、国王以外は知らないと?」
「うむ。だがそれは定められたものではない。伝説を語り聞かされ、この話はただの伝説であると一蹴し、無用な混乱を避けるために誰にも語らずにいただけのことだ。きっと、父上も、歴代の王たちも同じような心境であったのだろう」
あまりにも飛躍した話を信じず、しかし語り継いできた。
その結果、国王以外の者は知らない文字通り伝説となったのだろう。
「……だが、庭園の塔の地下に開かずの扉があるのは事実。そのことは儂のみならず城の誰もが知っていた。……口では否定しながらも、心のどこかで信じていたのかもしれんな。白帝竜の存在を。だからこそ、誰にもいわなかったのかもしれぬ。そんな儂の愚かさが、レティスを危険な目に遭わせてしまったのだろう」
そう言いながら、アルフレドは自嘲の笑みを浮かべる。
信じていないから、話せなかった。
信じていたから、話さなかった。
つまるところ、そういうことなのだろう。
「陛下。殿下は必ず僕が助けます」
助けられる確証などない。
だが、絶対に助けてみせるという気概がそこにはあった。
フェイの言葉に、アルフレドは「頼む」と祈るように呟いた。
「じゃあ、みんな。頼んだよ」
アルフレドとの会話を終えて、フェイは自分に身を寄せる少女たちに視線を移した。
右膝にはセレスが、左膝にはライティアが乗っている。
右肩にはフレイヤが、左肩にはフリールが手を添えている。
そして、フェイの背中からシルフィアが抱きついている。
五人が頷き返したのを確認して、フェイは目を瞑る。
その瞬間、意識が浮遊する感覚を覚えた。
「――ッ」
数秒後か、数分後か、数時間後か。
時間の感覚が曖昧な中、それまで朧気になっていた意識が形になってくる。
奇妙な感覚を覚えながら、フェイは閉じていた目を開けた。
それと同時に、目を見開く。
「これは……!」
フェイが今まで目にしてきたものと比較して遙かに真新しいアルマンド王国王城が目の前に広がっていた。