百六十五話
「どうされたんですか!」
フェイの屋敷に跳び込んできた白いローブを纏った女性。
宮廷術師である彼女は王城にいるはずだ。だというのに何故ここにいるのか。
そう疑問を抱いたと同時に、その理由が只ならぬことであることを理解し駆け寄りながらフェイは声をかけた。
「ッ、フェイ=ディルク様……ッ」
息も絶え絶えに宮廷術師はフェイを視認すると同時に声を発する。
だがやはり上手く聞き取れない。
「ひとまず落ち着いてください。トレントさん、この人に水を」
「いますぐに」
フェイの指示でトレントはすぐさま奥へと引き返し、水を取りに行く。
彼もまたフェイ同様に事態の深刻さを理解しているのだろう。
トレントが戻ってくるまでの間に、フェイは宮廷術師を注視する。
よほど急いできたのか。誉れとし、戦いの場以外で汚れることは避ける宮廷術師の象徴たる白いローブには泥がかかり、汚れている。
宮廷術師の顔にも色濃く疲労が見え、そしてそれを上回る焦燥と不安が見て取れた。
「こちらを……」
水の入ったコップを手に戻って来たトレントが、宮廷術師に差し出す。
それを軽く頭を下げて受け取ると、宮廷術師は一気に飲み干した。
「――ふぅ……、お恥ずかしいところをお見せしました」
口元を拭いながらフェイへと謝罪する。
そしてそれから宮廷術師はこの場に来た理由を声に出し始める。
「実は、フェイ=ディルク男爵に今すぐ王城におこしいただきたく、王都から急ぎ参った次第です」
「僕を王城に?」
言われてフェイは眉を寄せる。
公爵位の件などはまだ完全に片付いていないとはいえ、ここまで急いで王城へ来るように促すとは到底思えない。
ならば別の用なのか。
視線でそう問うと、宮廷術師は事態の説明を始める。
「事態は本日の早朝に遡ります。レティス殿下の部屋に侍女が参りますと、そこには殿下がおらず、城内を総出で探し回りました。すると、庭園の片隅に建てられた塔の地下室で殿下が倒れておられるのが発見されたのです」
「レティスが!? あぁいや、レティス殿下が……」
「はい。特に目立った外傷もなく、安心したのも束の間。――殿下の体から魔力を一切感じなかったのです」
「! 魔力を感じない……?」
普通、どれだけ微弱な保有量であろうとも、あるいはどれほど卓越した術師であろうとも、平素から魔力は体から漏れだすものだ。
現にフェイ自身もなるべく抑えてはいるがやはりわずかながらに漏れ出している。
フェイがよく索敵に使う【系統外魔法 サーチサークル】もこの法則を利用している。つまり、自分が放った魔力に当たった他の魔力を知覚するのだ。
そしてレティスの魔力量といえば相当なもので、下手をすれば帝級精霊の一体と契約できるのではと密かに思っていたりもした。
尤も、その帝級精霊すべてとフェイはすでに契約しているのだから、例え可能であったとしても実現することはないが。
つまるところ、レティスの体から魔力を感じないということはあり得ない。
そのあり得ないことが実際に起きているということは、彼女の中で異変が生じているという証左だ。
ここまで聞いて、フェイはなんとなく事態の全容を呑み込めてきた。
「つまり、僕に殿下の容体を診てほしいということですか?」
「はい! 帝級精霊の契約者であるフェイ男爵ならば原因を突き止められるのではないかと」
宮廷術師に言われて、フェイは顎に手を添える。
事態はわかった。彼女が何故こうまで焦っているのかも。
王城内でその国の王女殿下に万が一のことがあったとなれば、それは国の権威を貶める。国家の恥になるだろう。
そしてそれ以上にレティスという少女を喪いたくないらしい。
それはフェイも同じことだ。彼女が今どのような状態にあるのかは定かではないが、助けられるものなら助けたい。
けれどフェイは医者ではない。帝級精霊と契約しているだけのただの精霊術師だ。
一精霊術師でしかないフェイに、何故アルマンドは力を求めたのだろうか。原因を突き止められるという結論に至ったのか。
「……陛下が、僕を呼ぶように命じられたのですか?」
「はい」
「…………わかりました。シルフィア、皆を呼んできて」
「――――」
いつの間にか傍らに立っていたシルフィアに、フェイは命じる。
それに頷きを以って答えると、シルフィアは二階へと上がっていった。
自分が行ったところで何ができるかはわからない。
けれど、行かないと何もわからない。
アルマンドの真意はわからないが、彼が帝級精霊の契約者であるフェイを欲しているのならば、自分は彼女たちと共に赴くべきだろう。
何も命じずとも馬車の用意を終えたトレントが、フェイに視線を送る。
魔法の補助を加えながら向かったとしてどれぐらいかかるだろうか。
逸る気持ちを抑えつけながら、フェイたちを乗せた馬車は暗い夜道へと走り出した。