百六十二話
「ゲイソンと、決闘……?」
突然ゲイソンが言い放った言葉をフェイは困惑気味に反芻する。
その困惑に、「自分とゲイソンが決闘することになんの意味があるんだ」という疑問が含まれていることは言うまでもない。
決闘は、両者がなんらかの原因でぶつかり合い、それを実力勝負で治める時に用いられるのが通例だ。
しかしゲイソンとフェイの間には圧倒的な実力の差があり、決闘など何の意味もない。
そんなことは、ゲイソンとてわかっているはずだが――
「今日の放課後、実技室でいいか?」
「いや、だからどうして? 昨日も様子がおかしかったけど、どうして急にそんなことを……。僕はゲイソンと決闘をする気なんて」
「まぁまぁ、やってあげたらいいじゃない? ね、フェイ君」
「アイリスまで……」
断ろうとしたフェイの言葉にかぶさるように、アイリスがゲイソンの提案を擁護する。
いまだ渋るフェイの肩にアイリスは手を乗せ、そして詰め寄り耳元に顔を寄せて囁く。
「何事も、ぶつかり合った方がスッキリするものよ」
「――――」
アイリスのその言葉はフェイの心を揺さぶる。
ぶつかることを逃げ続けてしまった時の結果を、フェイは痛いほど理解している。
「わかった……」
何より、目を逸らすことなく自分を見つめてくるゲイソンの瞳に、逃れることのできない強い意志を感じた気がした。
その視線に圧され、フェイは彼の提案を受け入れた。
◆ ◆
一日はあっという間に過ぎ、放課後。
魔法の衝撃を緩和する特別な素材、オレンジ色のソレで床、天井、壁を作られた場所。すなわち実技室にフェイたちいた。
実技室は基本的に放課後解放されており、生徒の誰もが利用することができる。
広い実技室の真ん中で、フェイとゲイソンは対峙していた。
少し遠くからはアイリスとメリアの二人がフェイたちを見つめている。
勢いそのままに決闘を受けたフェイだが、ことこの場に及んでもこの決闘の意味を見いだせずにいる。
ただ、ゲイソンの目を見ればわかる。
彼は別に、フェイに決闘で勝とうとしているわけではないことが。
ならば一体何をする気だというのか。
疑問を抱きながらも、フェイは決闘に備えて内に巡る魔力の奔流を感じた。
「――準備はいいか? フェイ」
「うん……」
互いが互いを見つめ合う。
正式な決闘ではないので開始のタイミングがコールはされない。
ゲイソンの問いにフェイは頷く。
直後――、
「うらぁぁあああ!!」
「! ――ッ」
地を蹴りながら身体強化魔法の詠唱をし、加速しながらゲイソンがフェイの懐に飛び込む。
勢いそのままに繰り出された右拳をフェイも瞬時に魔力を纏い、強化した身体能力で身をよじりながら回避する。
後の事など考えない攻撃を避けられたゲイソンは勢いそのままにフェイの脇を通過した。
(……まぁ、ゲイソンらしいといえばらしいか)
決闘の最中だというのにフェイは思わず苦笑を零す。
本来術師同士の決闘は長距離、あるいは中距離からの魔法戦が主軸となる。
少なくとも初手から懐に飛び込み拳を繰り出す術師などそうはいないだろう。
「……無詠唱か、やっぱりさすがだよな」
振り返り、フェイの姿を確認してゲイソンは呟く。
その声には感嘆というよりも幾分か悟りのようなものがあった。
「ゲイソン、始まってから聞くのもおかしいかもしれないけど、どうして僕と決闘をしようなんて言ってきたの?」
フェイがそう聞くと、ゲイソンは一瞬固まりそれからヘッと小さく笑った。
「なんだよフェイ。どうにも動きが鈍いと思ったらそんなことを考えていたのか」
「そんなことって。僕からしたら大きな疑問だよ。昨日の今日で一体どういう心境の変化があったんだろうってね。どういう変化があったにせよ、それが決闘に結びつくこと自体も理解できないけど」
フェイの指摘にゲイソンは目を丸くする。そしてそれから不敵な笑みを浮かべた。
「フェイが理解できないのも無理ないと思うぜ。だって、俺自身なんでこんなことをやろうと思ったのかわかってないんだからさ」
「……え?」
「まぁあれだ、俺ってあのクソ女の言う通りバカだからな。面と向かって話し合うよりかは、こうした方が色々とやりやすいってだけだ。……というわけで、だ。フェイも手加減なんかしなくていいぜ。俺に気を遣う必要なんてない」
「――――」
ゲイソンのいつものような笑みに一瞬硬直し、それからフェイは大きく息を吐いた。
そして、「わかった」と小さく返す。直後――
「――ッ!」
「きゃぁっ!」
「っぅ!」
吹き荒れる魔力の奔流が実技室にいる三人を襲う。
フェイの体から放出される魔力。それだけで体が吹き飛ばされそうになる。
その圧倒的な力を前にして、しかしゲイソンは笑う。
「……よくよく考えたら、この魔力で精霊と契約できないわけがないよな」
何故今まで自分はそのことを疑問に思わなかったのか。
あるいは疑問に思うのを避けていたのかもしれない。
いつの間にか天井に展開された数十の火の玉。
その袂で自分を見据えるフェイを見て、ゲイソンは薄く笑った。
◆ ◆
「――ッァ、ゼァ、ハァ、ハァ……ッ」
十分後。実技室の中央の床には胸を大きく上下させ、激しく息を繰り返しながら大の字で寝転がるゲイソンの姿があった。
「ま、もった方じゃないの?」
実技室の壁際で一部始終を傍観していたアイリスはため息まじりにそう呟いた。
「……っせぇ」
多少の優しさを含んでいるであろうその言葉に、ゲイソンは悪態で返す。
ただその悪態には十二分な清々しさが込められていた。
「でも、言い方が適切かはわからないけど、本当に強くなったと思うよ」
「……ま、それは自分でも思うぜ。けど、それでもフェイにはまったく敵わなかったけどな」
上体を起こし、ゲイソンは自分の右手の平を見つめ、それからギュッと強く握る。
敵わないと知っていた。しかし、実際に完膚なきまでの力の差を見せつけられて悔しくないわけがない。
ただ、フェイはそんなゲイソンの様子を尊く思う。
どれだけ力の差があろうとも決して折れることなく悔しく思い続けられる強い気持ち。
それが後に自分自身への成長につながることを誰よりも知っているからだ。
「なぁ、フェイ」
「ん?」
急に真面目な表情で、ゲイソンはフェイを見つめる。
声かけに反応して真正面から目を見てくるフェイに、少し照れくさそうに頬を掻きながらゲイソンはか細い声で呟いた。
「その……悪かったな」
「――――、きゅ、急にどうしたの」
「年頃の乙女みたいな声出さないでよね。気持ち悪い」
「なっ!」
フェイの戸惑いとアイリスの罵倒。この二者の反応にメリアは「あはは……」と苦笑を漏らす。
三者の反応を受けてゲイソンは口をパクパクとし、僅かに顔を赤くした。
それから「だー、もうっ!」と頭を抱えながら叫ぶ。
「お前が他の奴らと違って良い奴だってのは知ってたし分かってるよ! でも俺の中で整理がつかなかったんだ。だから――」
「……いや、それ以上は言わなくても大丈夫だよ。僕がゲイソンたちを騙していたことにはかわりないし、そのことを責められても仕方のないことだと思ってる」
「――――」
ゲイソンが自分を避けたことを辛く思いはしたが、それも仕方のないことだとフェイは思っていた。
彼が精霊術師を好ましく思っていないことは常々聞かされていたのだ。自分もその同類であるとゲイソンが知って、そのままの関係でいられるとは限らない。
自分は精霊術師である。その事実を隠し今の今まで過ごしてきたのは紛れもなくフェイ自身の罪であり、それに伴うあらゆる責任は彼自身が負うべきものだ。
だからこそフェイはゲイソンたちに対して、まずこう言おうと思っていたのだ。
「今まで黙っていてごめん」
ゲイソンたちとの話。その一つが謝罪。そして――
「この先もみんなに色々と言えないことがあるかもしれないし、そのことがみんなを傷つけることになるかもしれない。だけど、こんな僕とこれからも変わらずに友達でいてくれると――」
嬉しい――と。
そう言おうとして、突然肩に加わる衝撃で言葉を区切らせる。
その衝撃の正体はゲイソンだ。
ゲイソンはニカッと笑いながらフェイの肩に右腕を回す。
いきなりのことに呆気にとられるフェイの顔を見て、ゲイソンは言った。
「フェイみたいにいい奴、そうそういねえよ。俺の方からも、頼むぜ。俺と友達でいてくれ」
「……うん」
ゲイソンの言葉に、フェイは目を見開き、それから顔を伏せながら小さく頷く。
二人のその様子を見ていたメリアとアイリスは互いの顔を見合い、それから優しく笑い合った。