百六十一話
「ちょっと顔貸しなさいよっ!」
早朝。誰よりも早く登校していたアイリスは教室にゲイソンが入ってくると同時にその手を乱暴に掴み、教室の外へと連れ出す。
彼女の苛立ちを孕んだ声にゲイソンは一瞬たじろぎながら、アイリスにされるがままに教室をでた。
そのまま階段を下り、教室のある校舎をでる。
登校してくる他の生徒からはあまり見えない校舎裏まで辿り着いてから、ようやくアイリスはゲイソンの拘束を解いた。
それからすぐさま振り返り、ゲイソンを睨む。
「おいおい、朝から突然なんだよ。こんなところまで連れ出しやがって……、はっ! もしかして……!」
「違うわよっ! あんただって私が今から何を話すかぐらいわかってるんでしょ」
敢えてヘラヘラしながら話題を逸らそうとするゲイソンに、そうはさすまいとアイリスが即座に否定する。その否定の声には怒りが含まれていた。
「昨日のあんたのフェイ君に対する態度……結局帰っちゃったこともそうだけど、どうして避けてるのよ。いつものあんただったらフェイ君と冗談を言い合ってるじゃないっ」
「…………」
手を大きく動かしながら訴えてくるアイリスの瞳には先ほどまでの怒りはどこへやら。
むしろ悲しみの色が強い。
その慈愛にも似た何かに気圧されて、ゲイソンは唇を噛んで押し黙る。
ただ、ゲイソンは自分の行動が間違いだとは思っていない。
むしろ、あんなことがあったというのに変わらずにフェイと接し続けるアイリスたちの方がおかしいのだと。そう思っている。
「……どうしても何もないだろ」
ようやく絞り出された声は、いつもの陽気な声や、あの時彼女たちを守ろうとして叫びだされた必死さとも違う。ただ低く、残酷なまでに悲しく鋭い声だ。
「俺はよ、あいつのことを凄いと思ってたし、密かに尊敬もしていた。頼れるクラスメートだと、そう思っていたんだ」
「…………」
ゲイソンの独白に今度はアイリスが黙る。
彼の言葉を途中で遮ることはしてはいけないと、不思議とそう思えたから。
「何より、同じ魔術師のあいつが散々俺たちを見下してきた精霊術師をぶちのめしていくのが嬉しかったんだよ。魔術師でもあんだけ強くなれるんだって……大げさかもしれねえが、俺の希望だったんだよ」
その言葉は、アイリスの胸を揺さぶる。
ゲイソンだけじゃない。アイリスだけじゃない。同じ魔術師でありながら入学当初に精霊術師であるブラムを倒したその事実がどれだけ彼らにとって希望になったか。
だが――
「でもよ、あいつはやっぱり精霊術師だったんだ。魔術師なのに強かったんじゃない。精霊術師だから強かったんだ。……なぁ、お前だって思うところはあっただろ?」
希望が一転絶望に。やはり魔術師では精霊術師には勝てないのか。
その事実がゲイソン含む他の魔術師たちに、フェイへの忌避感を抱かせる。
忌避感はやがて、精霊術師の癖に魔術師として振る舞い、すまし顔で俺たちと一緒に学んでいたのかという八つ当たりにも似た憎悪へと発展する。
「それでも、だからってっ」
ゲイソンの言葉は同じ魔術師であるアイリスの心にも響いていく。
けれど、それでフェイを避けるのは間違っているはずだと彼女は叫ぶ。
どこか悲痛そうに歪むアイリスの顔を見て、ゲイソンは疲れ切ったため息を吐いてから空を見上げ、自嘲の笑みを刻む。
「俺だってさ、別にあいつが……フェイが嫌いだってわけじゃないんだ。でもよ、このままあいつと触れ合っているとそのうち嫌いになるかもしれないって、そう思うんだ。そうなるぐらいなら、お互いに距離を取った方が綺麗に終われるだろ?」
それはゲイソンの偽りなき心情。
フェイに裏切られたと、そう思っているのは事実だ。
だが、それだけでは彼を嫌いになれないというのもまた揺るがぬ事実。
その二つの事実両方を大切にした結果、今のうちに彼から距離を取っておくべきだという結論にゲイソンは至ったのだ。
ゲイソンのその考えをアイリスは否定できない。
むしろ彼なりに考えて、一番彼自身が平和な未来へ向かう選択肢を取ったはずだ。
それをバカにすることはできない。
けれど、アイリスには一つだけ引っかかることがあった。
(フェイ君は、だからって距離を取られる方がいいって思わないと思うけど……)
例え嫌われることになったとしても、何も語られずに一方的に距離を取られる方が彼にとっては辛いのではないか。
入学してから数ヶ月の間暮らしていたアイリスでさえ、その考えに至る。
ならば、同じ時間フェイと過ごしてきたゲイソンもまた、その考えを抱かないわけがない。
だというのに彼は頑なにフェイと距離を取るという結論を正しいと信じている。それはつまり……
「あんた、それってお互いのことを考えた上での結論なの?」
「どういう意味だよ」
「結局、一番楽な方法をあんたは取っているだけでしょ。だってフェイ君がそんなことを望むわけないし、あんただってそのことは知っているはずでしょ?」
「――ッ」
そう。お互いにとって綺麗に終われるというのはゲイソンの都合のいい建前だ。
本当のところを言えば、このまま互いに話し合ったりいがみ合ったり、そうするよりも距離を取った方がゲイソンにとって楽なだけ。
その事実をアイリスにぶつけられて、ゲイソンは地面を見る。
ゲイソンはフェイから距離を取っているのではない。フェイから逃げているのだ。
「……キャルビスト村で敵に襲われた時、私たちを庇って前に立ってくれたときのあんたは、悔しいけどカッコよかったわよ」
「――――」
突然アイリスがゲイソンを見つめながら、いつもの彼女では想像できないほどにか細く、しおらしい声を出す。
その声と言葉に驚いてゲイソンはアイリスを見る。
彼女は真っ直ぐにゲイソンを見ていた。
「でも、今のあんたは……カッコ悪いわよ」
「ッ!」
先ほどの優しい声が一転、冷たい刃物のように鋭くなる。
アイリスはその言葉を告げると同時にゲイソンに背を向けて校舎に戻る。
アイリスの今の言葉を噛みしめるようにゲイソンはその場に立ち尽くし、唇を噛みながらこぶしを握る。
そして、小さく枯れた笑いを漏らし、それからいつものニカッとした笑みを浮かべた。
「――まったく、クソ女の癖に言いたい放題言ってくれやがって……」
その言葉の持つ意味とは裏腹に、ゲイソンの表情はどこか柔らかく。
大きく息を吸い込み、それを一気に吐き出す。小さく「よしっ」と呟いた彼は力強く教室へと足を踏み出した。
◆ ◆
「ぁ、ゲイソン……」
まだ朝のホームルームも始まっていない教室は、生徒たちの喧騒で包まれている。
そんな中、アイリスとメリアの二人と他愛もない話をしていたフェイは、教室にゲイソンが入ってきたことに気付き会話を中断する。
ゲイソンの席はフェイの前の席なので当然彼はフェイに近付いてくる。
その途中でフェイは立ち上がり、自分からゲイソンの方へと近づいていった。
「おはよう、ゲイソン」
「よぉ……」
努めて笑顔で接するフェイに、ゲイソンは無愛想に返す。
ただその態度は昨日の明らかに避けている感じとは違い、何か大切な話をしようとしている様子に見える。
それはフェイにも言えることだ。
昨日メリアと話して、ゲイソンが避けるのならば自分から詰め寄っていこうと決意した。
だからこそ、フェイにも話すことはある。
「あの……」
「フェイに、頼みがある」
フェイが口を開くと同時に、被せるようにゲイソンが言葉を発する。
思わず口を閉じ、それからフェイは「頼み?」と首を傾げる。
それにゲイソンは頷き、それから唾を飲み込んでその要件を口にした。
「――俺と、決闘して欲しいんだ」