百五十八話
「それでは、行ってきます」
今まで通り、トレントが操る馬車に乗り、精霊学校の手前で降りながらフェイは頭を下げる。
それから精霊学校の校門へと足を向ける。
いつもよりも、精霊学校の制服に身を包んだ生徒たちの数が多い。
これはただ単に、フェイが登校するのを少し遅くしたからだ。
(……やっぱり、視線を感じるなぁ)
畏怖、恐怖、敬意、好奇。
あらゆる感情が織り交じった視線が一緒くたにフェイに襲い掛かる。
その原因など、いまさら考えるまでもない。
「――――」
それらを気にせず、あるいは無視して、フェイは努めてすまし顔で前だけを見据えて歩みを進める。
足取りはやはり重い。
歩き続けると、当然目的地たる校舎が視界に飛び込んでくる。
人が増えるとそれだけ視線も多くなっていく。
だが、こんなのは慣れている。
しばらく晒されてなかっただけで、昔はいつもこの渦中にいたのだ。
(すっかり弱くなってしまったな。強く在らないと……)
それが貴族の宿命。
人の上に立つ者が背負うべき責任だ。
フェイは地面を一度も見ることなく、通いなれた教室のある校舎へ足を踏み入れた。
◆ ◆
朝の挨拶や取り留めもない会話で溢れかえる教室。
その雑踏は、フェイが教室に顔を出した瞬間に消え去った。
だが、一瞬訪れた静寂はすぐにかき消える。
誰もが一瞬前と同じように会話を再開していた。
「――――」
行動は同じでも、明らかに教室内のクラスメートたちのやり取りが浮ついたものになっているのがわかる。
フェイを気にしながら、しかし彼とは関わらないように振る舞っている。
まだ噂でしか耳にしていないとはいえ、フェイが帝級精霊と契約していたという話があるのだから、そのことに対する畏怖や敬意から接し方が変わるのは必然とも言えよう。
だが中には、明らかに嫌悪や敵意があった。
その負の感情の理由はフェイにはわからない。
だがなぜだろうか。
フェイの目に映るクラスメートたちがなぜか、ブラムに見えたのは。
――だが、それでいいとも思った。
元々クラス内でも特殊であったフェイは、クラスメートたちと特別親しくしていたわけではない。
だから、フェイからしてみれば親しくしていた人たちが変わらず接してくれたなら、それだけでいい。
それはつまり、
「おはよう、アイリス」
自分の席に座りながら、視界の横に広がる赤に声をかける。
「おはようフェイ君。今日は休むと思ってた……」
アイリスがフェイに挨拶を返す。
と同時に、彼女と話していたメリアが頭を下げてきた。
「休んだら、アイリスは怒ったでしょ?」
「よくわかってるじゃない」
快活な笑みを浮かべてアイリスは笑う。
「積もる話があるからね、フェイ君が今日来てくれなかったらまた一日悶々とするところだったわ」
肩を竦めながらフェイはメリアを見る。
その瞬間、あの森での記憶が脳裏をよぎり気恥ずかしさがフェイを襲う。
それはメリアとて同じだったのか。彼女はフェイよりもそのことが顕著に表れて、頬が赤く染まっていく。
「メ、メリアは別に後で話そう。その……色々と伝えたいことがあるから」
フェイの提案にメリアは勢いよく頷く。
それを見届けてから、フェイは思い出したように呟いた。
「あれ? ゲイソンは……?」
今までであればアイリスたちと会話していると必ず顔を出してきたが、今日に限ってはそれがない。
不思議に思ったフェイに、アイリスが指で指して答える。
「そこにいるじゃない」
「え? ……あぁ、気付かなかった」
フェイの前の席。つまりはゲイソンの席だが、そこで彼は机に突っ伏して眠っていた。
苦笑いしながらフェイはゲイソンの背中をつつく。
すると彼はのそりと起き上がり、顔だけを後ろに向けてきた。
「おはよう、ゲイソン。そろそろ先生が来るよ」
「あぁ……」
フェイの挨拶に、ゲイソンはひどく冷たく応じるとすぐさま机に突っ伏した。
そんな彼の行動にフェイは面食らい、と同時に少し寂しげな表情を浮かべる。
「ちょっと、あんた!」
フェイの心情を察してか、アイリスががたりと席を立ち、ゲイソンを叱咤する。
が、それをフェイは手で制す。
「いいよ、アイリス。ゲイソンも多分疲れてるんだよ。始業式が始まるころには起きるでしょ?」
「フェイ君がそういうなら、いいけど……」
尻すごみになりながら、アイリスは渋々頷く。
それきり、朝の会話は四人の間で起きなかった。
◆ ◆
「フェイ、ちょっとこい」
始業式が開かれる講堂に向かう直前、教壇で生徒たちに移動するよう促していたアーロンがフェイを呼び止めた。
フェイを見つめるその視線にはやはりどことなく鋭い。
それに気付かぬふりをして、フェイは何気なく応じる。
「なんですか?」
「学園長がお前のことを呼んでいた。始業式の後、教室でのホームルームが終わったら学園長室に行くように」
「わ、わかりました……」
どこか他人行儀な。事務的な口調でアーロンは用件を告げた。
てっきり件の噂について言及してくるのかと思ったが、それには一切触れてこない。
アーロンが触れたくないというのであれば、フェイ自身からその話題を切りだす理由もない。
すぐに、教室のドアで待つアイリスの方へ向かった。
始業式は異様な雰囲気で行われた。
学園長であるジェシカはいつも通りの形式的な挨拶を述べた。
集まった生徒たちは少なからず噂の真偽を聞けるのではないだろうかと期待していたのだろう。
そのことは直後顕著に表れた。
生徒会長であるレイラの挨拶の時。
その傍らで静かに佇むセシリアの姿を捉えた全校生徒たちは一様にざわめきだした。
セシリアとて、自分が生徒たちの前に立てば様々な憶測が騒がれることなどわかっていただろうに。
けれど彼女は副会長としていつも通り毅然と振る舞った。
ボネット家当主の逝去。
帝級精霊の出現。
魔族の襲来。
確証のない噂話は時間が経ち、人が集まるほどに膨らんでいく。
その波は始業式が終わり、生徒たちが解散して講堂からでていく最中でもおさまらない。
当然、その噂の渦中にあるフェイも好奇の視線で晒されるのは必定だ。
だが、先ほど登校した時とは違い、フェイはその視線に気付かなかった。
というよりは、他のことを考えていたのでそんなどうでもいいことにまで気が回らなかったのだ。
何を考えていたのか。
フェイは教室へ戻る道すがら、前を歩き一度たりとも振り向かないゲイソンを見つめながら先ほどの始業式の席の場所を思い出していた。
フェイとゲイソンとメリアとアイリス。
この四人で座るとき、絶対にゲイソンはアイリスの隣には座らない。
だが今日に限って、ゲイソンは一番左端に座り、その右にアイリス、メリア、フェイと続いた。
ゲイソンとアイリスの間で、いつものような言い争いも生まれやしない。
どことなく、ゲイソンがフェイを避けているような――。
そこまで考えて、ちょうどフェイたちは教室に辿り着いた。
◆ ◆
「ごめん、学園長室に行かないといけなくなったんだけど……」
特に問題なくホームルームも終わり、精霊学校の一日は終わりとなった。
そして放課後、徐々に生徒たちが教室をでていく中、フェイはアイリスたちに手を合わせて頭を下げていた。
「いいわよ、私たちのことは後で。先に学園長室に行ってきなさいよ。私たちは教室で待ってるわ」
「あ、ありがとう。すぐに戻るから!」
アイリスの言葉に感謝を述べて、フェイは学園長室に向かうべく教室をでる。
それをアイリスは見届けてから、暫くの間を置き自分たち以外の生徒がみんな出て行ってから、傍らに視線を落として不満気に問いを投げた。
「……あんた、どういうつもりなの?」
その問いはアイリス以外に教室に残っているメリアではなく、もう一人、ゲイソンに対する者であった。
「急になんだよ」
机に体を預けながら、ゲイソンはアイリスに聞き返す。
彼の反応を見たアイリスは、キッと睨みつけながら表情を険しくする。
「誤魔化す気!? あんた、今日明らかにフェイ君を避けてたじゃない! まさかそんなつもりはありませんでした……なんて、言う気じゃないでしょうね!」
アイリスに問われて、ゲイソンは俯く。
そして小さく、
「……だったらなんだよ。お前らがおかしいんだろ」
と、呟いた。
「……え?」
アイリスが困惑の声を漏らす。
と同時に、ゲイソンは机から腰を上げるとカバンを持ち、教室の扉へ向かう。
「悪い、俺今日は帰るわ。フェイにはそう言っといてくれ」
「ちょ、ちょっと……!」
「ゲイソン君……?」
アイリスとメリアが引き留めるのも無視して、ゲイソンは教室を出る。
去り際、ドアが閉められた音が二人の耳にひどく冷たく聞こえ、そして長い間その音が消えなかった。