百五十七話
「……空いている部屋を好きに使うように、僕言ったと思うんだけど?」
自室に戻ってから、フェイは再度玄関ホールへと足を運んだ。
だが、すぐに踵を返した。
このところ習慣となっていた、屋敷全体に魔力を薄く放出する……というのを、やる必要がなかったからだ。
(もう誤魔化す必要まないしね……となると、フリールもメイドとして振る舞う必要がなくなるのか。それはそれで惜しい気もするけど)
なんてくだらないことを考えながら自室に戻ったフェイは、目の前の光景を目の当たりにし頬を引くつかせていた。
部屋の奥に置かれているベッドに川の字で寝る四人の姿。
それとは別に、ソファにはシルフィアが腰掛けている。
フェイの問いに、シルフィアは無言で肩をすくめるだけだ。
仕方なく、フェイはベッドへと歩み寄る。
左端から順に、フレイヤ、セレス、ライティア、フリールがうつ伏せで眠っていた。
だがフェイにはわかる。
これが狸寝入りであることが。
小さくため息を吐き、フレイヤの肩に手を置こうとしたその瞬間――
「うぷっ!?」
その場で体勢を変えたフレイヤがフェイの手を掴むと、ベッドへ引っ張り込む。
それに抗えず頭からベッドに突っ込んだフェイが事態を理解するよりも先に、
「今よっ!」
フリールの威勢のいい声が鼓膜を震わせ、同時に全身に重みがのしかかる。
「お兄ちゃん、確保ッ!」
「かくほ……」
視界一面がベッドで埋め尽くされる中、背中からライティアとセレスの楽し気な声が聞こえる。
なんとか身をよじり仰向けの体勢になったところで、フェイは事態を理解した。
「なにしてるの、みんなして……」
腹部にのしかかるライティアとセレス。両足にしがみつくフリールとフレイヤ。
四人はフェイを拘束して楽しそうに笑っていた。
基本的に、彼女たちが結託するときは敵と戦う時だけであるが、極稀に例外も起きる。
つまり、悪ふざけをするときだ。
フェイが部屋を離れている間にこの四人はなにか可笑しなことを思いついたらしい。
「空いている部屋ならどこでもいいって言ったから、私たちはここにするわ!」
フリールのどこか得意気な声が響く。
「いや、ここ僕の部屋だから。ていうかフリールなら知ってるでしょ」
「大丈夫よ! この部屋は広いから、五人増えたところで問題ないもの」
「…………」
「大体、契約者から離れたところで過ごす精霊なんておかしいじゃない」
「だったら、僕の中に戻ったらいいじゃないか」
「それとこれとは別よっ」
フェイの言葉に、フリールは「ふんっ」と顔を背ける。
何が別なんだと内心で突っ込みながら、いい加減起き上がろうと体に力を籠める。
「――ん、このっ」
しかし、四人に押さえつけられればいくらなんでも動けない。
身をよじるフェイを見てライティアは無邪気な笑みをこぼす。
「……はぁ、もうわかったよ」
やがて、諦めたフェイは全身から力を抜いてうな垂れた。
◆ ◆
「――――」
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
上体を起こし、体にのっかったままのセレスたちを起こさないように拘束から逃れる。
なんとかベッドから降りると、ソファに腰掛けたまま眠っているシルフィアの姿を捉えて思わずくすりと笑みをこぼした。
「トレントさん……」
ドアを開けると、そこにはトレントの姿があった。
「フェイ様、夕食のお時間です」
「もうそんな時間なんですか……。そうだ、食事の間にここ数日の領内の様子を教えていただけますか?」
フェイの問いに、トレントは頭を下げることで了承の意を表す。
食堂に向かうと、シェリルたちがテーブルの上に料理を並べていた。
少し気怠い体を動かして席に着き、感謝の言葉を口にしてから料理に手を伸ばす。
そうしながら、トレントが傍らから声を発した。
「まず、被害についてですが、幸いにもまったくございませんでした。村民の皆様はシェリルの先導で殆どの方がこの屋敷に避難しましたし、敵は村自体には到達していません」
「少し遅ければかなり危険でしたがね……、有事の際の避難場所を造るべきですね。資金に余裕ができれば検討しましょう」
トレントが頷く。
「村民の皆様への説明ですが、この点に関して避難を拒んだ村民の一部がフェイ様の戦いを見ていたらしく、うその説明をするわけにもいきませんでしたのでありのままを。フリール様に関しても、見られたようです」
もはやメイドとして誤魔化せるわけもなく、トレントはフリールのことを同僚としてではなくフェイの契約精霊として呼称する。
フェイはトレントにもフリールの正体を詳しくは説明していなかったが、彼ももう知ってしまったらしい。
曖昧な笑みを浮かべながらフェイは言葉を返す。
「それに関しては、仕方がなかったとしか言えませんね。……なにより、もう隠す必要もありませんし」
「……正直なことを申しますと、驚きました。シルフィア様たちを見て、さらに」
トレントからすれば予想だにできないことだっただろう。
フリールが帝級精霊であり、さらに言えばシルフィアたちまでもを従えているなど。
「隠していて、すみませんでした。ただ、まだあの時には知られるわけにはいかなかったんです」
「わたくしも薄々勘付いてはいましたが、そのさらに上を行かれたので驚いただけですよ。別に気にしていません」
トレントは本当に怒ってはいないらしい。
その様子を見てほっとしながら、フェイはまだ伝えていないことを口にする。
「トレントさんにはまだ言っていませんでしたが、近いうちに公爵位につくことになります」
「そう、でしょうね」
部屋の隅でシェリルとロビンが驚きの声を漏らす中で、トレントは薄く笑みを刻む。
そこには驚きの色はなく、どこか知っていたといった感じがする。
「ボネット家当主亡き今、その穴を埋めるにはそうせざるを得ませんからね」
トレントの言葉に、フェイは参ったといった風に苦笑いする。
それから、今まで隠してきたことのすべてを言えてよかったと、深い息を吐いた。
食事を終えて、食後の紅茶を口に含みながらフェイは思い出したようにトレントに声をかける。
「そういえば、村民の皆さんの反応がどうにも変わったような気がするんですが、僕が留守の間にトレントさんたちがなにかしましたか?」
フェイがそう聞くと、トレントは一瞬固まり目を丸くする。
それから小さく笑って、可笑しそうに言った。
「わたくしは何もしていませんよ。フェイ様の人徳によるものです」
「……?」
「いくら非常事態だからといって、領主が自分の屋敷に領民を匿うことなんて普通あり得ませんからね」
「そういう、ものなんですか……?」
納得したような、納得できないような。
フェイの疑問にトレントはただ優しく微笑み返すだけだった。
◆ ◆
「そっか、明日学校だった……」
庭に大の字で寝転がりながら夜空を見上げて、フェイは思い出したように呟く。
その呟きは夜風にさらわれて誰の耳にも届かない。
小さく息を吐いてから、大きくため息を吐く。
その表情はどこか愁いを帯びている。
七公家の一角であるボネット家当主が命を落とすという国を揺るがす一大事。
この件に関しては、すでにあらゆるところで噂となっている。
ともすれば、フェイの存在と功績もわずかながら広まっているはずだ。
それはもちろん、精霊学校に通う生徒たちの間でも例外ではない。
そして何より、あの場にはフェイ以外に親しい人間――ゲイソンたちがいたのだ。
「なんで、こんなに憂鬱なんだろう……」
彼らに会いたくないと、そんなことを不覚にも思ってしまった。
その理由がわからないが、無性に。
目を細めて、耳を澄ます。
夜風の音が鼓膜を震わすが、その音がとても空虚なものに聞こえた。