百五十六話
「すごく懐かしく感じますね……。長い間空けていたような、そんな気分です」
馬車の振動に身を委ねながら、フェイは窓の外を見て懐かしそうにそう零した。
レティスと共に空を飛んでから一夜明けた今日、フェイたちは早々に王城を後にした。
ラナはまだ王城に残るらしく、フェイたちは本来いるべき場所――すなわち彼の治める領地たるキャルビスト村へと帰っていた。
ようやく僅かながら見えてきた領地の光景を見て口にしたフェイの呟きに、車外で馬の手綱を握るトレントが反応する。
「ような、ではなく実際かなりの間空けていたと思いますよ」
「そのせつは、ご迷惑をおかけしました……」
トレントの非難めいた口振りに、フェイは大人しく謝罪する。
このキャルビスト村周辺に黒い精霊が現れ、その討伐をフェイはゲイソンたちと共に行った。そしてその直後、フェイはボネット家領に駆け付けた。
あれからもう何日も経つが、領民に対する説明の一切をトレントに丸投げしてラナの家でのんびりとしていたことは誤魔化しようのない事実だ。
そしてそれが領主としてやってはいけないことであったことも重々承知している。
だがそれでも、例え許されない事だったとしてもあの時間をフェイは何年も渇望していた。
(……なんて、ただの言い訳だよね。もしかしたら領民の方たちに愛想を尽かされてるかもしれないな)
あれだけ躍起になって築こうとした信頼が自分の軽率な行動で無に帰したかもしれない。
そう考えれば考えるほどに自責の念に駆られてしまう。
だから、フェイは今心に誓うことにした。
甘えるのは、あれきりにすると。
これからは自分を律し、貴族然とした振る舞いを心がけようと。
そう決意した瞬間、馬車の天井からガタッと強い音が生じた。
その音の正体を知っているフェイは小さくため息を吐いて、
「暴れないでよ。あと、落ちないように気を付けてね」
馬車の天井に座る自身の契約精霊たるフレイヤとフリールに、そう声をかけた。
◆ ◆
「ん……?」
フェイが違和感を抱いたのは、村に入った直後だった。
「村の人たちが……」
キャルビスト村に住む人たちが、建物の中に一切隠れることなく道端でフェイの乗る馬車を見つめている。
そしてさらに、一人が腰を折ったのを皮切りに次々とフェイたちに向かって頭を下げ始めたのだ。
「どうして……」
今までは、恐怖や怯え、警戒や憎しみといった感情を抱かれ、およそ敬意のようなものを抱かれはしなかった。
頭を下げるときでさえ、粛清を恐れた畏怖によるものであった。
だが今はどうだろう。
彼らのその所作に怯えの一切はなく、むしろ自らの意思で礼を尽くしているように見える。
しばらく領地を空けていた間になにがあったのか。
フェイはただただそんな疑問を抱くしかなく、車外にいるトレントだけが唯一微かな笑みを浮かべた。
少しして、ディルク家の本邸の屋敷に着いた。
馬車が停まり、トレントによって扉が開かれる。
フェイはセレスとシルフィア、それにライティアの三人と共に車外に出ると、振り返りながら見上げた。
「ほら、二人とも。いい加減喧嘩をやめないとおいていくよ」
「ふぃがうふぁよ、ほにょあふぉいやが!」
「ふぁがーるのふぇいれしょ!」
「何言ってるかわからないのに、わかってしまうのがつらい……」
お互いの頬を引っ張り合ってフェイになにかを訴えかけるフリールとフレイヤ。
その言葉はおよそ聞き取れるものではなかったが、長年付き合ってきたフェイには理解できた。
またしてもため息を吐いて肩を落とすフェイを見かねたシルフィアが、キッと天井で今だに取っ組み合いを続ける二人を睨みつける。
「いい加減にしなさいっ!」
「「――ッ!」」
シルフィアの一喝で、二人は瞬時に手を離し、どこか余所余所しい態度で取り繕い始める。
まるで、さも自分たちは初めから喧嘩などしていませんでしたとでも言いたげに。
この光景もまたいつものことであるが、フェイにはこの度にいつも疑問に思うことがある。
シルフィアも、フリールも、フレイヤも。彼女たちは等しく同じ帝級精霊のはずだ。
にも拘らずどうしてこうまで力関係が違うのだろう、と。
「……?」
視線を感じたシルフィアが振り返り、フェイを見て首を傾げる。
フェイはそれに曖昧な笑みで応じると、一足先に屋敷へと足を向けていたトレントの後を追う。
何日も空けていたにも関わらず、清掃の行き届いた屋敷の外観を見てフェイはアンナのことを思い浮かべる。
「「「おかえりなさいませっ!」」」
そんなことを考えている間に、トレントが玄関の扉を開ける。
すると、そこからフェイに仕える二人のメイドと、そして一人の執事の声が飛び出してきた。
数日も帰らなかったにも関わらず、以前と変わらぬ態度で出迎えてくれる三人にフェイはほっと胸をなでおろしながら、面々の顔をアンナ、シェリル、ロビンと順に見ていく。
そして、その誰からも怒りあるいは不満といった色が窺えないのを確認して、フェイはようやく彼女たちの言葉に応じた。
「ただいま帰りました。あれから空けてしまって申し訳ありません。――っと、それからもう一点……」
謝罪の言葉を口にしてから、フェイはちらりとフレイヤやライティア、セレスやシルフィアを見て、頬を掻きながら続ける。
「彼女たちも今日からこの屋敷に住むことになります。急で申し訳ないですが……」
「い、いえっ、大丈夫です! どの部屋もきちんと掃除しているので、問題ないですっ!」
遠慮がちに言葉を続けるフェイに重なるように、アンナが胸の前で両手をぎゅっと握りながら声高に叫ぶ。それに続くように、彼女の傍らにいるロビンとシェリルもぶんぶんと首を縦に振る。
「じゃあそういうことだから、空いている部屋を好きに使ってね」
シルフィアたちにそう声をかけると、彼女たちは一様に満面の笑みを浮かべながら頷く。
それを見届けてようやく玄関から中へ入ると、ロビンが声をかけてきた。
「フェイ様! その、お食事はどうされますかっ!」
「え、あぁ……王城の方ですませてきたので、夜までは大丈夫です」
「そうですかっ!」
頭から生えている銀色の狼耳をパタパタと揺らし、心なしか目を輝かせて応えるロビンの姿を見て、フェイは眉を寄せた。
もちろん、ロビンの質問が不快だったというわけではない。
ただ、フェイの知る限りロビンが自分から話しかけてくることは滅多になかったはずだ。
用事があれば大抵シェリルを介して声をかけていた。
むろん、フェイはその理由を知っていた。
シェリルは自分と仲良くなろうとして使用人になったが、ロビンは違う。
彼はシェリルのことを想って使用人になったのだ。
そのことは、面接のときに察している。
ところが今やロビンの接し方はシェリルのそれと似通っている。
一体どういう心境の変化なのか。
領民たちと同様に、フェイは心の中でそんな疑問を抱きながら、二階にある自室へと向かった。