百五十四話
フェイの問いに対する反応は大きく二つに分かれた。
一つ目の反応が――
「フェイ、お兄様……ッ」
口元を押さえ、涙ぐみながら兄の名を万感の思いを込めて呟くエリス。
俯き顔が隠れても、肩や背中が僅かに震えているのがわかる。
再会し、何度も歩み寄りながら拒絶され続けた。
それがようやく、今度はフェイの方から歩み寄ってくれている。
その事実だけで、エリスの激情は抑えが効かなくなった。
そしてその横で、彼女と同じ想いを抱きながら微笑みかけてくる姉のセシリア。
二人は、フェイが追放されるまでの日々の接し方を後悔し、また再会したその日から在りし日の家族のように振る舞えたらと、そう思ってきたのだ。
フェイの申し出を断るはずもない。
ただ――残る二人は違う。
家族に求める依存がフェイに向かっていたセシリアとエリスの二人とは違い、残る二人の依存はすでに亡きアレックスへと向かっていた。
そして、依存すべき対象を失った者がどういう思考に至るか。
「ッ、俺は騙されないぞっ!」
がたりと立ち上がり、怒気を含んだ声色で突然叫ぶブラム。
その表情は憎しみに満ち満ちている。
なにが……とフェイが問うよりも先に、ブラムは勢いそのままに続ける。
「お前が父さんを見殺しにしたことを、俺は知ってるんだッ!!」
依存すべき対象を失った者がどういう思考に至るか。
その悲しみを乗り越えるため、または忘れるためにさらに大きな感情を抱く。
この場合の大きな感情とはすなわち憎しみ。
ブラムはフェイを憎しむことで、アレックスの死を忘却しようとしているのだ。
あるいは、心の底からフェイがアレックスを見殺したと思っているのかもしれない。
ブラムたちがあの悲劇の日にフェイの元へと駆けつけた時、すでにアレックスは息を引き取っていた。
その直前、彼らがアレックスとどのような別れ方をしたのかは定かでない。
ただ、敵を圧倒するフェイの力を見せつけられて、そしてアレックスの死体を見せつけられて、フェイへの怒りを抱き続けてきたブラムにはその光景がどう脚色されただろう。
言われて、フェイはこれが彼の言いがかりであり、そしてそのことを彼もまた自覚しているであろうことを察した。
だからこそ、フェイは押し黙る。
誤解ならばまだよかった。
ただ、自覚しながらもそう思い込もうとする人間になにを言ったところで響くものはない。
拳を震わしながらソファに腰掛ける自分を見下ろすブラム。
彼に対してどのような言葉をかけるべきかを逡巡しているフェイの口が開くよりも先に、その隣に座るアディが続いた。
「そ、そうねっ! あれだけの力を持っていながら、助けることができなかったはずがないものねっ」
失意の中にあり、今日あってからおよそ感情というものが窺えなかったアディの顔に皮肉にも今日初めて感情が宿った。
それはやはり憎しみ。
フェイを憎悪せねば、この先なにを思って生きればいいかわからないから。生物としての生存本能が生み出した産物。
見殺しにしなかったことぐらい、彼女たちが一番わかっているだろうに。
「そうだ、お前が俺たちを憎まないわけがない! あの時父さんが殺されかけた時、死にかけた時、お前は笑いながらその光景を眺めていたんだっ! 今だってそうだ、お前は俺たちに歩み寄ろうとして、油断したところで俺たちをどん底へ突き落とすんだ!」
フェイが自分たちを恨んでいる。
唯一、事実だと思い込んでいる要素を含めることで妄言は徐々に彼の中で真実味を帯びてくる。
そしてその瞬間に、彼の中では事実となる。
「ブラム、母さん……」
お前だって本当はわかっているのだろうと、そう視線で語り掛ける。
が、もはや意味がない。
なにより、フェイ自身もブラムを許しきれていないのだ。
憎んでいないかと言われれば、答えは憎んでいる。恨んでいるとなってしまう。
そんな感情を抱いている相手に対して説き伏せる言葉などかけられるはずもない。
静かな時間が堪えきれなくなったのか、ブラムはそのまま一目散に部屋の外へと向かう。
アディもまたそれに追従した。
「ブラムっ!」
扉をがたりと開けたブラムの背中に、フェイは声をはる。
「……それでも、父さんが死んだことに変わりはないんだ。このままいけばブラムがボネット家の当主になることを忘れないで」
「…………」
フェイの言葉をどう受け取ったかはわからない。
ブラムは一瞬立ち止まり、そしてフェイの言葉を聞いてから今度こそ部屋を後にした。
◆ ◆
「はぁ……」
王城の中庭に建てられた塔。
その先端に腰掛け、フェイは夜風に黒髪を靡かせながら深いため息を吐いた。
「複雑な溜息ですねー……」
「まぁね。人間ってつくづく面倒な生き物だなって再認識したんだよ」
フェイの傍らにはウェーブがかった緑髪が特徴の女性、シルフィアが佇んでいた。
シルフィアはフェイのため息を聞いて、声をかける。
「そういうことを言っていると、フェイが人間に見えなくなってくるわよー」
「洒落にならないから冗談でもやめてほしいなぁ、そう言うことを言うの」
うな垂れながら、フェイは夜空を見上げる。
「感情があるから人間は面倒なのよ。逆に言えば感情があるからこそ人間といえるわねー」
「それって……、いや、そのとおりだね」
あのあと、エリスとセシリアの二人とは事実上の和解をした。
今後どう接していくか。それは急いで決めるものでも、決まるものでもない。
「そういえば、シルフィアはなんだか感じない?」
腰掛けている塔。それを見下ろしながらフェイはシルフィアに問う。
「そうねー……、この辺りの空気が他とは違う感じはするわねー。でも、危険な感じはしないし、もしなにか起きても私たちがいるから大丈夫よ」
「うん……」
両目を細めて真下にある塔を見つめていたフェイは、ふと中庭を歩く人影に気付く。
「あれは……」
闇の中でありながら、しかし輝く金髪に覚えがあり、フェイは立ちあがる。
そしてそのまま、そっと塔を蹴り飛び降りた。
ぶわっとフェイの足の先から風が吹くと、彼を支えるようにゆっくりと宙を落ちる。
そしてそのまま地面にふわりと着地した。
「レティス殿下、こんな時間にどうされたんですか?」
突然空中から飛来してきたフェイを目を見開いて驚きに満ちた表情で見つめてくるレティスに、フェイは問い掛けた。