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戦慄の魔術師と五帝獣  作者: 戸津 秋太
四章 消えない記憶
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百四十五話

 フリールはメリアの周囲に干渉し、彼女に対して一切の攻撃が凍てつくように世界を掌握する。

 なにかを守るだけであれば、辛うじて可能ではある。

 現に、今メリアに向かって放たれた稲妻は彼女に直撃するかというところで氷に姿を変え、そして砕け散り霧散した。


 これはなにも、フリールが雷の帝級精霊に勝っているからという話しではない。

 まったく同じ状態で二者がぶつかり合えば勝敗はわからない。


 だがフリールは解放された状態。鎖で繋がれ、ただ無造作にそれらを封じ込めることは容易い。


 だから、メリアはなにもせずにただまっすぐにフェイの元に歩み寄るだけでいい。

 いつの間にかフェイから放出される黒い魔力は彼をドームのようにして包み込んでいて、外から彼の姿を窺い知ることはできない。


 だが、それでもメリアは覚えている。

 彼が泣いていたことを。もちろん、涙を流していたわけではない。

 心が泣いていたのだ。

 長く彼の近くで育ち、そして彼のことを知るメリアだからこそフェイの心の内を知れる。


 やがて彼のすぐそばまで到達し、フェイの元へ歩み寄ろうとする彼女を魔力の壁が妨げる。

 これに触れていいのか。

 そんな疑問がメリアの脳裏をよぎったのだ。


 だが……、メリアはごくりとつばを飲み込む。


 このまま自分が躊躇すれば、フェイがどうなるかわからない。

 なら、自分がどうなろうとも彼を助けなければ。


 そう考えるだけで、不思議と葛藤は消え失せた。

 そしてそのまま優しく魔力の壁に手を当てて、中に入る。


「――っ」


 メリアは思わず右手で口を押さえた。

 そうでもしないと、泣き出しそうになったから。


 魔力の結界の中には、変わらず、アレックスの亡骸を抱き起こし、それを呆然と見つめるフェイの姿があった。

 彼女が泣きそうになったのは、その姿があまりにも悲痛そうに見えたから――ではない。


 彼がアレックスを見て呆然とするその様子から、フェイの心の内を察したからだ。


「フェイ様……ッ」


 恐る恐るというよりは耐えきれなくなって、メリアはフェイに声をかける。

 これからなにをするか、まったく考えていないメリアの行動はいきあたりばったりになってしまう。


 だが、ひとまず変化が現れた。


 彼女の声はフェイの耳に届いたらしく、今までずっとアレックスに向けていた視線をあげて、メリアへと向けた。

 そして、やはり彼の瞳にはなんの意志も宿っていない。


 生きようとする意志も、なにかを極めようとする意志も、誰かを守ろうとする意思も。

 なにもないのだ。

 まるで、もうこの世のすべてがどうでもいいといった様子。


 メリアは思わず唇を噛んだ。

 こんなフェイを見たくないのだ。


 だから、彼女は再度彼の名を呼ぶ。今度は、叫ぶように。


「フェイ様ッ!」


 彼女の叫びに、フェイの目はわずかに見開かれる。だが、その先はない。

 それ以上の興味は決して彼女に生まれない。


 魔力が彼を覆い尽くそうとしているように、今フェイは自分自身の世界に閉じこもってしまっている。

 つい先ほどまで外敵を圧倒的な力で殲滅した尊敬する彼の姿は今やそこにない。

 この短時間であまりにも急激な変化。


 だが、それも無理のない話ではないかと彼女は思う。

 彼がどれだけアレックスを恨んでいたのか想像するに難くない。

 敵であり、父であった男が突然命を落とした。

 

 フェイの頬に涙の跡が見える。

 アレックスが死ぬ直前の場に立ち会い、必死に救おうとしながら流した涙であるとメリアは容易く察した。


 だが――理解したからといって、許容できるわけではない。


 きっと、これはわがままなのだと彼女は思う。

 でも、それでいいとも思っている。

 好きな人にこうあって欲しいと思うのは、当然のことだろう。

 ただメリアは、彼には泣いて欲しくないのだ。


「……っ」


 近づこうとさらに一歩踏み出した途端、まるでそれを拒むかのようにフェイの体からメリアに向けて魔力が放たれる。

 たかが魔力、されど魔力。

 高純度を誇るフェイの魔力は、ただそれを放つだけで対象を傷つける。


「くっ、フェイ、様……!」


 服が裂け、その綺麗な肌にわずかに切り傷が刻み込まれる。

 そのことに苦悶の声を漏らしながら、メリアは懇願するようにフェイの名を呼ぶ。

 魔力の嵐はさらに激しく。近づけば近づくほどに勢いを増していく。


 あまりの勢いに吹き飛ばされそうになりながら、メリアはなんとか足を地に縛り付ける。

 それでも、自分に向かって魔法が放たれないのは彼が無意識のうちにメリアを傷つけることを避けているのか。

 そう勝手に思うことにして、メリアはどれだけ拒まれようともさらに足を進める。

 やがて、たどり着いた。


 魔力のドーム内を荒れ狂っていた彼の魔力は、そこでぴたりとやんだ。

 もはや諦めたのか。

 しかし、虚ろな瞳は変わらない。


「フェイ様、みんな……待ってます」


 どう声をかけようか悩んでから、メリアは優しくそう言った。

 自分も、フリールも、ゲイソンも、アイリスも。

 彼を待っている人はたくさんいる。


 その声かけに、ようやくフェイは応じる。かすれた声で。


「もう、いいんだよ……」


 消えそうな声、弱々しい声。

 絶望を味わいもう生きる意味を失った、生きていながら死者のごとき声。

 今まで聞いたことのない声だ。


 それは、かつて分家に虐められていたときに自分がフェイに助けを求めてきたときのような。


 自分と重ね合わせて、そうして言葉にできない衝動が襲いかかる。

 すなわち――彼を助けたいという衝動。

 自分を今まで助けてくれたように、自分も彼を。


 そして今自分が彼に対してできることはなにか。

 やるべきこと、やれることは一つしかなかった。

 すなわち――語りかけること。


「そんなことはないですよ」

「……もう、いいんだ。もう、なにもかも」


 ふてくされたように、疲れたように吐き捨てる。

 抜け殻となったフェイには、そうするしかないらしい。

 そのまま彼は独り言のように呟く。


「嫌いだったんだ、この男が」

「…………」

「憎かったんだ、この男が」

「……はい」


 相槌を打つ。それしか、できないから。


「この男が僕に話しかけてきても、僕はただ怒るだけ怒って、そして逃げたんだ。この先まだまだ彼と話す時間はあると、そう思っていたから」


 きっと、フェイは先日ボネット家の屋敷に足を運んだ時のことを言っているのだろうとメリアはなんとなく感じた。


「――でも、その時間は唐突に消え去った。この男は僕の敵として在り続けることもせず、僕の父親として在り続けることもせず、ただなにも残さずに、死んで……」


 ここで、フェイの表情に感情が宿る。今にも泣きそうな、気を抜けばすぐにでも決壊しそうな顔。

 自分はこれからどうすればいいのだと、道を誰かに教わろうとする者の顔。


「僕はもう、なにをしたらいいのか……」


 右手で顔を覆い、フェイはそれきり言葉を失う。

 今まで良くも悪くも心の支えとなっていた、これからも支えになるであろう存在であったアレックスが死に、彼はもうすることがない。


 ボネット家に対する復讐も、なにもない。

 復讐すべき対象を失った今、彼にはもうこの先の人生で成し遂げるものがないのだ。


 生きる理由がない、つまるところこれが今のフェイの状態であった。


「……私は、フェイ様がどのような人生を歩んでこられたか、その一端を知っているつもりです。ですが、フェイ様がなにを考え、何を思い、何に憤っているのか。そのすべてをわかってはいません。きっと、どれだけフェイ様の境遇を味わっても理解できないでしょう」


 両膝を地面に着き、視線の高さを合わせ、彼の瞳を真っ直ぐに見つめてメリアは言葉を紡ぐ。

 考えながらではない。今までずっと心のうちに宿していた想いをただ言葉にする。


「それでも、私はフェイ様に生きる意味がないとは思いません」

「――ないよ」


 メリアの言葉を即座に否定する。だが、それが癪に障ったのか、メリアは語気をわずかに荒げながら言い放つ。


「ありますっ! フェイ様が自分に生きる意味がないと言うのだとしても、少なくとも私にとってフェイ様は私が生きる意味なんですっ!」

「え……っ」


 言ってから、恥ずかしさが襲ってきてメリアはわずかに顔を赤くするが、すぐにきっと顔を引き締めてさらに畳みかける。


「フェイ様には、私の憧れの人として――好きな人として、もっと、もっと、私の前を歩いて欲しいんですっ!」


 思いの限りを尽くして叫びきって、メリアは息を荒げる。


「え、えっと……え……」


 困惑しながら、フェイは眼前で息を荒げるメリアを見つめる。

 フェイも、メリアも気付いていないが、二人を覆っていたドーム状の魔力がわずかに白くなっている。


「あの屋敷で、碌に魔法が使えなくて虐められていたとき、次期当主であったフェイ様が手を差し伸べてくれたことにどれだけ救われたのか。私がフェイ様の苦しみを理解しきれないように、きっとフェイ様にもわかりません。フェイ様がいなくなり、周りの人が一層私を目の敵にするようになって、でもフェイ様の教えを守り、必死に魔法の鍛錬を続けてさらに自分を高めようと精霊学校に入ったのだって、あの日、私の遥か先を走っていたフェイ様の背中に追い付きたかったから……ッ」


 思わぬメリアの独白に、フェイは気恥ずかしくなり、目をそらそうとする。

 でも、今の彼女だって相当に恥ずかしいはずだ。

 そう考えると、今彼女から目を背けるのはやってはいけないことのように思えて、フェイは真っ直ぐメリアを見つめ返す。


「でも、私の理想のフェイ様はすでに遠い昔の記憶。今自分は追い付けているのか、それを知ることはできなかった。――そんなとき、あの日、あの場所でもういないと思っていた人が目の前に現れてくれた。それがどれほど嬉しかったか……!」


 精霊学校に入学した初日。入学式が行われる講堂に向かおうとしたところでメリアが声をかけてきた。

 あのときは、面倒事を避けるために自分がフェイであることは否定したけれど。


 彼女の言葉を聞いて、より一層そのときの行動に対する罪悪感が生まれる。


「そのあとに、私を助けてくれたフェイ様の背中は、変わらず凛々しくて、胸が高鳴って……」


 もうこれ以上の言葉はないと、尻すぼみになりながらメリアの独白は途切れる。

 それにどう返せばいいのか、フェイはわからない。

 ただ自分の心に温かなものが帰ってくる気がして、でも自分の懐にある冷たいものを見て再び虚無感が襲う。


「――メリア、君が僕のことをそういう風に見てくれていたことは思ってもいなかったし、嬉しい。だけど、僕はもうこの先の人生を今までのようになにか確固たる意志を抱いて歩き続けることができる気がしないんだ……」

「それでいいじゃないですか。誰もが意志を抱いて生きているわけではありません。悩みながら、苦しみながら、そうやって人は生きていくんです」

「――僕にはもう、憎むべき人も……」

「フェイ様は本当にアレックス様を憎んでおられたのですか。憎んでおらえたのなら、どうしてそんなに泣いているんですか。悲しんでいるんですか」

「…………」


 憎んでいた。憎んでいたんだ。

 それは事実だ。

 でも、彼の死の間際に立ち会ったとき、心の奥底で彼を父として見ていた自分に気付いた。

 だとしても――


「――たしかに、僕はこの人を憎むだけではなかったのかもしれない。だとしたら尚のこと、僕にはもう愛するべき家族が……」

「家族なら、いるじゃないですか。エリス様やセシリア様、まだ生きている方たちと、アレックス様とはできなかったことを、やればいいんですよっ。まずは、お互いに腹を割って話し合いましょう」

「腹を割って、話し合う……」


 今際の際で、フェイはなにを後悔したのか。

 憎む、憎むべきだ。そう意固地になってアレックスとしっかり話そうとしなかったことを、悔やんでいたはずだ。

 その考えに間違いはなかったと、フェイは今でも信じている。

 裏切られ、殺されかけたのだから。

 でも、そうだ。

 自分の過去の行いに悔いがあったのなら、まだまともに話せていない彼女たちと――


「それに、新しい家族も、作れるんですよ……?」


 メリアの呟きの意味を理解するよりも先に、フェイの瞳に光が宿る。


 生きる理由はないと、自棄になりかけていたが、自分はまだ多くのものを残してきたじゃないか。


 黒く染まっていた魔力が、純白のものへと還る。

 その瞬間、放出されていた魔力の感覚が自分に返ってくる感覚に襲われて、フェイは魔力を抑え込む。

 辺りを破壊していた力はすでに消え失せ、かわりに、フェイは立ちあがる。


「――メリア、ありがとう」


 彼女の元へと歩み寄りながら、両膝を地面に付いたままのメリアに手を貸す。


 その様子を、面白くないと思った者がメリアの背中に奇襲をかけてきた。


「貴様ッ、我が主の敷いた運命の歯車を狂わせるとはッ!!」


 激高しながら、先ほどまでのフェイの様子を見て高笑いを森に木霊させていたアルマンが黒いオーラでできた剣をメリアへと振り下ろす。


 が、その剣先は彼女には届かず、かわりになにかに弾き飛ばされてアルマンは後ろへ着地する。


「――そうだね。僕にはまだ、残してきた家族もいる。……こうして、倒すべき敵もいる。なにより、僕のことを想ってくれる人のためにもこんなところで消えるわけにはいかない」


 穢れなき刀身をもつ一振りの剣を構え、メリアの前に立ち、新たなる敵と対峙するフェイの姿。

 メリアは振り返って、彼を見る。

 その背中は、昔も、そして今も追い続ける愛しき人の者だった。

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