百四十二話
光がおさまり、現れた敵を見てフェイとフリールは驚きのあまり目を見開いた。
それは、この場に現れたのが当初想像していた魔族などでは無く、黒い精霊だったからだ。
しかも十体。
(――みんなっ!)
この事実に、脳裏をよぎったのはゲイソンたちの姿。
魔族であればまだ辛うじて耐えられるだろうが、黒い精霊ともなると。
嫌な予感が先ほどからしている。
――が、そんな時間はもったいない。
瞬殺。それがフェイに課せられた使命だ。
「――ッ!」
目の前に現れた空間の裂け目に右腕を突っ込み、そして一気に引き抜く。
氷帝剣。
透明で青く、穢れなき刀身をもつ一振りの剣。
それを力強く握り、敵と相対する。
フェイが握る氷帝剣を見て、黒い精霊は目の色を変えたように荒れ狂う。
そして次の瞬間、黒い靄を集め、黒い玉を一斉に発射した。
「させないわよっ!」
放たれた黒い玉が空中で凍て付く。
空間に固定されたかのように、黒い玉は宙で凍ったまま微動だにしない。
フリールが手で握りつぶすような仕草を見せると同時に、氷となった黒い玉は砕け散る。
「もう、やっちゃっていいよ。速攻で決めないと」
「せっかちね……」
口を尖らせながら、しかし事情を知っているためにフリールは世界を掌握する。
そして――この世から消えろと命じようとしたところで、フリールは眉を寄せる。
「この魔力は……」
「……?」
なにかを感じ取ったようにフリールは呟くが、しかし考えるのをやめて改めて世界に命じる。
「――停まれ」
凍てつくような声で告げて行われた現象、それもまた黒い精霊が凍てつくというものだった。
十体の黒い精霊はあの海底遺跡と同じように、凍った――はずだった。
「!?」
フェイが驚きのあまり反射的に氷帝剣を構える。
氷塊となった黒い精霊。そこから黒い魔力が溢れ出しているのだ。
「フリール、こいつらはもう消していいから」
「――ッ」
嫌な予感がして、フェイはフリールに命じる。
だが、返ってきた言葉は意外なものだった。
「フェイ、こいつを一気に葬り去ることは無理みたい! 海底遺跡のやつとも違う、別の力で大きく強化されてる……ッ! 今掌握したのはあいつらの周りの空間。あいつら自身までは掌握できない! この力、わたしたち帝級精霊に匹敵する――」
そこまで言って、フリールはなにかに気付いたように目を見開いた。だが、生じたものをぐっと呑み込んでフェイに告げる。
「私の剣であいつらを斬りなさい!」
「――――」
わずかに焦りの色が見えるフリールの顔を見て、フェイは無言でうなずく。
そのまま【エンチャントボディ】によって強化した膂力を活かして地を蹴り、氷の牢獄に閉じ込められている黒い精霊に向けて、その氷ごと――斬った。
それぞれ一体ずつ、フェイの手で葬り去る。
斬られた黒い精霊は魔力をその場にまき散らして、霧散する。
そうして屠っていく中で、最後の黒い精霊の氷の牢獄にひびが入っていた。
(フリールの創った氷にひびをいれられる存在……か)
信じられないものを見せられ、一瞬固まるがそれも束の間。
最後の一体をフェイは氷帝剣でこの世から消した。
十体の強敵を倒し、フェイのうちにはしかし勝利の余韻や喜びといったものは生まれていなかった。
そこにあったのはたしかな焦燥。
思ったよりもかなり時間を使ってしまったことによる、ゲイソンたちの安否の心配。
「フリール、戻るよッ!」
契約精霊にそう告げて、フェイは地面が抉れるほどの力を込めて地を蹴った。
◆ ◆
村を横切り、真逆――森の方へと走る。
あまりの速度にフェイが走った後その場には風が舞っている。
やがて村を抜け、森の方へ目を向けたフェイの瞳にとある光景が飛び込む。
すなわち――黒い精霊に囲まれ、アイリスとメリアが地に伏し、そして今ゲイソンに向けて黒い玉が一斉に放たれた光景。
全身の血が沸騰するのを覚える。
そして感情の赴くままに、傍らに付き従うフリールに向けて叫ぶように命じた。
「フリール、あいつらをとめろッ!!」
指示に従い、フリールは進行方向に向けて手をかざす。
魔力がごっそりと失われていく感覚を覚えながら、目の前の神秘に目を向ける。
あたり一帯が凍り付く。あの海底遺跡のように、周囲の海のように。
と同時に、黒い精霊も、そして放たれた黒い玉も凍り付く。
先ほどと違い、黒い精霊のみではなく周囲までも凍らせる。
狙いを定め、黒い精霊のみを掌握する余裕がなかったからだ。
だからといって、辺り一帯を凍らせるなど、常識的ではない。
それこそが氷帝獣の力なのだ。
ただの平野から一瞬にして白き世界へと変わり、目の前の敵は凍り付く。
そんなあり得ない光景を目にしてゲイソンは、後ろを見る。
「――なんとか、間に合ったようで良かったよ」
「フェ、イ……?」
助けられた。助けてもらった。
そんなフェイに対して、ゲイソンは戸惑いの声を露わにしながら、再び目の前の光景を見て、そして再度フェイを見る。
まるで、これはお前がやったのか。そう聞きたげに。
「フリール。アイリスたちの治療を」
フェイがそう命じた瞬間、ゲイソンは合点がいった。
フリールが纏う魔力、そして今治療に使っている術――すなわち精霊魔法。
そしてそんなフリールに命じるフェイ。
「そういう、ことかよ……」
フリールが治療する中、フェイは先ほど同様に黒い精霊たちをただ斬ることだけに集中する。
黒い精霊の掃討と、フリールの治療が終わるのは同時だった。
「フェイ君……?」
「フェイ、様……」
治療によって意識を取り戻したメリアと、そしてアイリス。
二人の反応もおおむねゲイソンと同じだった。
――困惑。
それも無理のない話だろう。
今までEクラスに通い、魔術師であるはずのフェイが目の前の光景を容易く生み出せるフリール……否、精霊と契約していたなどと。
沈黙が生まれる。
会話のネタがないわけではない。
色々と、本当に色々と聞きたいことがあるのだ。ゲイソンにも、アイリスにも、メリアにも。
だが、なぜか聞きたくないと思ってしまう。
そしてフェイは、ばつが悪そうにゲイソンたちに視線を向けることなく今しがたまで氷塊となっていた黒い精霊のいた場所を見つめる。
「――ありがとう。ゲイソンたちのおかげで何とか犠牲を出さずにすんだよ。みんな無事でよかった」
フェイは空を見上げて、心の内を吐露する。嘘偽りない本当の気持ち。
それがわかるからこそ、ゲイソンたちは立ち上がりながら彼の次の言葉を待つ。
「ひとまず、屋敷に戻ろう。村民の人たちへの説明を終えたら、みんなの質問にも答えるから」
「おう……」
「そうね……」
メリアは黙したまま、フェイを見る。
彼女は心のどこかでこの可能性を抱いていたのかもしれない。
いや、彼女だけではない。この場にいる誰もが魔術師としてのフェイを見て、あるいはと普段から思っていたのだろう。
だから、驚愕ではなく困惑。
フェイが振り返り、ゲイソンたちの顔を見てから屋敷に戻ろうと足を踏み出す。
魔力の放出はもう抑えていた――――が。
「フェイ……」
フェイの服の袖をつまみ、帰ろうとする彼を呼び止めるフリール。
彼女は森の奥、その先にあるであろうボネット家の屋敷を見て険しい表情を宿す。
「……どうしたの」
「――――向こうで、転移魔法が発動されたわ。その中に、強力な力をもつ個体が一体ある」
「――! 向こうって……」
フリールの視線の先を見て、フェイはたまらず地を蹴る。
「ちょっと、フェイ?」
「おい、フェイ……!」
「フェイ君!?」
「フェイ様!」
フリールと、そしてゲイソンたちの困惑と制止の声を振り切り、フェイは森の中へと入る。
すぐさま魔力を放出、身体能力を強化する。
向かう先はボネット家の屋敷。無意識に、彼はそこへ向かっていた。