百四十話
「おいおい、どうしたんだよ。そんなに焦って」
屋敷に戻ってきたフェイが汗を滲ませ、焦燥しきった表情だったため、先に戻っていたゲイソンが歩み寄りながら心配の声を上げる。
そんなゲイソンに無理やり浮かべた笑みをもって応じながら、ちょうど近くにいたトレントに命じる。
「トレントさん。ただちに領民を安全なところまで避難させてください。ゲイソンたちもトレントさんについていって」
「それは、どういう……」
「敵がくる可能性が、いえ、敵がきます。詳しいことは説明している余裕がないんです! シェリルたちは村民の方たちの説得を」
トレントが何の前触れもない突然のフェイの指示に驚くが、彼の表情と余裕のない声色から相当な事態であると察する。
だが――
「恐れながらフェイ様。ご存知の通りこのあたりに安全な、あるいは隠れられるようなところは……」
辺境の村だ。加えて、以前まではボネット家が統治していた。
税を搾取するだけの場所にわざわざ資金を投じてまで不測の事態に備えるわけがない。
「……っ、それでは、領民の方を屋敷に隠れさせてください」
そんなわかりきったことを思慮できないまでにフェイは焦っていたらしい。
少し苛立ちながら、だが代案を指示する。
「か、かしこまりました」
貴族の屋敷に領民をいれるなど。
そういった反論を許さないフェイの気迫に押され、二つ返事でトレントは頷く。
その二人と違って、いまだに説明を受けていないゲイソンたちは異論を挟む。
「おい、ちょっとフェイ。どういうことだよ!」
「そうよ、なにがなんだかわからないわよ」
珍しく、ゲイソンとアイリスの意見が合致する。
転移魔法が発動するまであと数十分程度しかないだろう。
正直なところいえば、説明している時間も惜しい。だが、説明しないと逆に余計に時間を食うだろうと判断し、フェイは早口で答える。
「この村の近くに転移魔法の術式が発動されたんだ。それも二か所。推測するにたぶん敵が――魔族が現れると思う。だから今すぐ逃げてほしい……いや、ここに隠れていてほしいんだ」
フェイが告げた事実に、ゲイソンたちは「転移魔法?」「魔族?」と理解が追い付かないと言った様子を見せる。
だがそこまで細かく説明する気はない。というより、できない。
ゲイソンたちももはや理解するのをやめたのか、だがしかし揺るがぬ事実だけを汲み取りフェイに疑問を投げる。
「言いたいことはわかったぜ。つまり、ここに魔族が現れると。んで、俺らにここで隠れて身の安全を守れってことだろ? でもよ、ならフェイはどうするんだ?」
「僕は……」
「大方、その魔族とやらを倒しに行くんだろ? できるのか? お前がどれだけ強いからといっても所詮魔術師だ。勝てるわけがない。それに――」
所詮魔術師。その言葉にフェイは眉を寄せる。
「それに、敵は二か所から来るんだ。仮にフェイが魔族を倒せるのだとしても、二か所からくる敵に対応できるのか? お前が一か所の敵を潰しに行っている間にもう片方の敵がこの屋敷に到達する可能性は?」
「それは……」
そんなことはフェイとてわかっている。
現れた魔族の数にもよるが、倒すのに数分はかかるだろう。
魔族と相対して殲滅するにしては本当に刹那の時間だ。
だが、その刹那の時間に、驚異的な身体能力を誇る魔族は屋敷に到達しうるだろう。
結果、どれだけの被害が出るのか。
けれど、これ以外に選択肢はない。
フェイが速攻で敵を撃破し続ける。それが最善なのだ。
「俺がもう片方の敵を相手してやるよ」
「……ゲイソン、それは」
「わーってるよ。俺に魔族を倒すほどの力はない。でも、時間稼ぎくらいはできるはずだ。そうだろ?」
「…………」
否定できないのは、そのとおりだからだ。
術師が一人いるだけで、もし瞬殺されたとしても数秒は稼げる。
その数秒で、一体どれほどの村民が救えるか。
でも――
「――ダメだ。それは、ダメだ」
「なんでだよ! お前が戦うってのに」
「僕はこの村の領主だ。そして男爵を持つ貴族。貴族とは、有事の際に民をその脅威から守る義務がある。対してゲイソンはなに? ゲイソンは本来ならこの地にはいないはずだ。君を、君たちを巻き込んでしまったのは本当に悪いと思ってる。でも、だからこそ君が戦うことを僕は容認できない」
毅然と、貴族たる威厳を宿して、フェイは一声に言い切る。
その声にはもはやわがままは許さないと。
クラスメートとしてのフェイはすでにそこにおらず、男爵位を持つディルク家当主としてのフェイがいた。
それでも、ゲイソンにも引き下がれないものがあった――。
「友達だから、じゃだめなのかよ! なにがこの地にはいないはずだ! なにが巻き込んで悪いだ! どうしてお前はそういう風に、他人行儀な言い方をするんだよっ!」
「――っ」
「もっと俺を頼れよ! 俺がお前を頼ってきたように!!」
「…………」
胸に鋭い痛みがはしる感覚を覚える。
他人行儀。まったくその通りだ。
今フェイはゲイソンたちを他人として接している。接するべきだと思っている。
だが――言葉に詰まる。次の言葉が浮かばない。彼を説き伏せる言葉が。
「あんたもたまにはいいことを言うじゃない。フェイ君、悪いけど私も戦わせてもらうわよ」
「――アイリスまで」
「わ、私もですっ! 私もこう見えて貴族の分家の生まれ。フェイ様がおっしゃたように、戦う義務があるはずですっ」
今まで黙してたアイリスとメリアまでもが、ゲイソンに同調する。
たしかに。ゲイソンたちが戦ってくれたなら。
時間は十分に稼げる。領民に被害は及ばないだけの時間が。
だが――彼らが死ぬ可能性だって、ある。
「ダメだ。ダメ、だ」
彼らが死ぬ未来など、見たくもない。
だがそれは同時に、領民を見捨てるということ。
しかし、領民と親しき友――この二者を天秤にかけたとき、どちらに傾くかなど考えるまでもない。
「フェイ!」
俯き加減だったフェイに対して、ゲイソンが叫ぶ。
その声に、はっと顔を上げる。
「俺たちだって、お前からなにも学ばなかったわけじゃない。任せろ、絶対に死なねえよ。というか、俺たちが死ぬ前にお前が助けに来てくれるだろ?」
ニカッと笑うゲイソン。脇にいるアイリスとメリアも微笑む。
それを見て、フェイは思わず枯れた笑いを漏らす。
――バカだろう。
そう、彼らはもはや救いようのないバカだ。本当に。
そんなバカにはなにを言っても意味がないだろう。
だから、フェイはわずかに唇を噛んで、そして初めてできた友たちに、死地へ赴けと命じる。
「――――任せたよ。必ず、助けに行くから」
「おう!」「ええ!」「はい!」
三人の威勢のいい返事を聞きながら、フェイは意識を切り替える。
すべきことはただ一つ。
一瞬。そう、一瞬で敵を葬ること。
すっと胸に手を当てる。
内に眠る彼女たちの様子を窺うように、優しく。