百三十八話
「それで、結局馬車の中で具体的な話しはしなかったけど、ここに滞在している間何をするつもりなの? 言っておくけど、このあたりは特に遊べるようなものはないよ」
部屋にそれぞれ荷物を置いてから合流し、早めの昼食を終えて、フェイたちは食堂でお茶を飲んでくつろいでいた。
フェイの質問に、ゲイソンが答える。
「わかってねぇな、フェイ。遊べるようなものなんていらねえよ。休みに友達と一緒に過ごす。それだけで楽しいだろ!」
「そういうもんなんだ……」
「そういうもんだよ!」
今まで友達と休日を過ごすという経験が一度たりともなかったフェイからすればいまいち理解できない。
「そういや、このあたりって自然が多いよな? 近くに森とかもあっただろ」
「うん。まぁ、このあたりはね……。それがどうかした?」
「森を探検しようぜっ」
「探検って……」
ゲイソンの提案に思わず苦笑いを浮かべる。
「まったく、これだからお子様は」
アイリスがゲイソンをバカにするいつものやり取りが行われている中、その横でなにやらワナワナと震えているメリアが視界に入り、フェイは声をかける。
「メリア……?」
「やりましょう! 探検ッ!」
「「「……へ?」」」
三人が三人、突然のメリアの発言に同じような気の抜けた声を漏らした。
メリアはがたりと椅子から立ち上がると、目を輝かせて乗り出す。
「森の中を探検、楽しそうです……ッ」
「メリアってそういうキャラだったの……?」
アイリスが思わず困惑の声を上げる。
「あ、いや、そういうわけじゃなくて……」
アイリスの声で少し冷静になったメリアは、顔を真っ赤にしていじいじと自身の指を絡める。
「ただ、友達と森の中をぶらりぶらりできたら、楽しいかなって……それで、その」
言われて、フェイははっとした。
フェイが公爵家の次期当主候補であったがために親しい友人ができなかったように。
メリアもまた、昔分家の中でいじめられていたのだ。
彼女が友人と過ごす新鮮なことを求めるのも理解できる。
「そうだね。他にすることもないんだ、森の中を散策するのも悪くない」
「そうね……、メリアとフェイ君が言うんならしかたない」
フェイとアイリスの同調の声に、メリアは満面の笑みを浮かべる。
「でも、行くのは明日だよ。今から用意してたら遅くなるし、明日の朝早くに行こう」
フェイの言葉に異論を挟む者はいなかった。
結局今日のところは屋敷でのんびりとすることになった。
◆ ◆
「フェイって、すごいよな……」
夜になり、ゲイソンとフェイは入浴していた。
浴場は一つしかないので、アイリスたち女性陣が先に入った。
湯につかり、脱力しているフェイにゲイソンは唐突に賛辞の言葉を送ってきた。
「なにが……?」
目を瞑ったまま、フェイは聞き返す。
「だってそうだろ? 魔術師だってのに、爵位を貰って、こうして領地を治めてさ。今日改めてここに来て思ったよ。同じEクラスで勉強してるとは信じられなくなってきたぜ」
「そんなことないよ……」
そう応えながら、フェイは湯の中にぶくぶくと顔を沈める。
(魔術師……か)
理解できないもやもやが胸中で沸き上がる。
が、それをぐっと抑え込んで、フェイは湯から顔を出す。
「……ふぅ。ところで、ゲイソンは今後のこととか考えていたりするの?」
「そうだな……。わっかんねえ。まだ卒業まで五年以上あるんだぜ? その間なにが起こるかわからねえし。まぁ理想を言えば卒業のタイミングでどっかから声がかかるといいが、魔術師だからな、それはたぶんないだろう。となると、軍隊に入隊すっかなぁ」
「軍隊、か」
「今のご時世軍隊が動く時なんてねえからな。実際命の危険はない。訓練さえこなせば給料が入るいい仕事だぜ。――と、まぁフェイには関係ない話だけどな」
「え、どうして?」
「おいおい、フェイは貴族だろ? 貴族が軍隊に入れるわけないだろ」
「あー……」
そういえば以前、レティスに冒険者になろうとしたら似たようなことを言われたっけと思い返す。
「まぁもしお前が貴族じゃなかったとしても、将来の食い扶持には困らなかっただろ。それだけの魔法の腕があるんだ、魔術師だからといって放っておかれるわけがねえからな」
「…………」
話題をそらすために将来の話をしたが、逆にさらに陰鬱な気分になりながら、フェイは鼻歌を歌い出したゲイソンをボーッと見つめた。
◆ ◆
早朝。
屋敷の使用人たちは早々に起き、今日の日の準備を始めていた。
要は弁当作りだ。
弁当といってもそれほど凝ったものではない。サンドウィッチに、なにか簡単につまめるものをつめるだけのお手軽なもの。
とはいえ人数が人数なので用意するのも中々大変だ。
それから少しして、フェイが起き、メリアが起き、アイリスが起き。
「……あれ? ゲイソンは?」
「まだ寝ておられました」
トレントが答える。
「提案者が寝坊とは……」
ゲイソンが寝坊するということを除けば概ね予定通りに事は進み、ようやっと全員の身支度が整い、屋敷をでた。
今日は折角なのでいつも屋敷で留守番をしているアンナやフリールたちも全員連れて行くことにした。
不用心かもしれないが、今屋敷には誰もいない。
「いいのか、屋敷を空にして」
寝癖ができた状態で、ゲイソンは欠伸交じりにフェイに聞いてきた。
「みんなで行くのに誰かが残るなんてのは気が引けるしね。それに、盗られて困る物なんてないからね」
九人での移動となるとかなりの大所帯で、村を横切る間朝早くから仕事をしていたキャルビスト村の村民たちが物珍しそうな視線を送ってきていた。
少し歩いて、森に到着する。
バスケットを持つトレントとアンナは後に続き、このあたりをよく知るロビンとシェリルが先導する。
「この先に湖があるですっ!」
楽しそうに、シェリルが前方を指差す。
目を細めて見ると、キラキラとなにかが光を反射しているのがわかる。
「おおっ、すげぇ!」
瞬間、ゲイソンが湖に向かって駆けだす。
「ちょっと、ゲイソン!?」
一同は小走りで追いかける。
時々、ゲイソンはこうして予想だにしていない行動をするから恐ろしい。
森が開け、湖の全貌が視界に入ると同時に、ゲイソンが両手を広げて湖に向かって走っていくのも見える。
「うぉっ!?」
と、勢いよく走っていたゲイソンが地面に落ちていた太い木の枝に足を引っかけ、その勢いのままに前へと転倒する。
不幸にも、湖と接近していたゲイソンはそのまま――
「ぶふぉぁっ!!」
湖の中へと全身を突っ込んだ。
「…………」
「バカだ! バカがいるっ!!」
「だ、大丈夫ですかっ!?」
フェイは無言で、アイリスは煽り笑いを浮かべ、メリアは心の底から心配する。
「ぷっ、くくくっ!!」
近付きながら、アイリスはずぶ濡れで起き上がるゲイソンを指差し目に涙を浮かべながら笑い続ける。
それにつられて、思わずロビンやシェリルも小さく笑った。
「てんめぇ……!」
こめかみを引くつかせ、ゲイソンは腰を落とす。
そして、湖の水をすくい――
「くらいやがれっ!!」
アイリスに向けて盛大に水をかけた。
「……ッ」
ポタポタと、赤い髪からかけられた水が滴り落ちる。
そして、ワナワナと震え……
「よくもやってくれたわね!」
湖へ向かってアイリスは突っ込んでいき、仕返しだと言わんばかりにゲイソンに向かって水をぶつける。
すでにビショビショのゲイソンに意味をなさないことはわかっているだろうが、それでも同じことをやり返さないと気が済まなかったらしい
やられたらやり返す。
必然的に、二人の間で水の掛け合いが勃発した。
(あの二人、本当は仲がいいんじゃないのかな。本当に……)
ゲイソンとアイリスの水の掛け合いを見て触発されたのか。
使用人という立場にあるのを忘れて、シェリルとロビンも湖に突っ込み、二人に混ざる。
結局、この湖で立ち止まり、とても探検などと呼べるものではなくなった。
◆ ◆
湖のほとりでのんびりと過ごしているといつの間にか昼になったので、持参した弁当を広げる。
ゲイソンたちにも声をかけたが、いまだにいがみあっているらしくひとまずこの場にいる者だけで食す。
というか、今こられると折角の弁当がゲイソンたちによってびしょぬれになってしまう。
ハムや野菜が挟まれたそれらをメリアたちと共に頬張りながら、湖ではしゃぐゲイソンたちを見る。
「楽しそうですね……」
思わず頬を緩ませる。
ところで先ほどからトレントとアンナが目を鋭くしてロビンやシェリルを見ているのが気になる。
よくよく考えれば、彼らが着ている使用人服を仕立てたのはトレントたちで。
今その服はびしょびしょで。
(……怒られるぞー)
心の中でシェリルたちの身を案じる。
「フェイ様も、楽しそうですよね」
「楽しそう? 僕がですか?」
「ええ……」
フェイの呟きを拾ったトレントが突然変なことを言ってきて、思わずトレントは聞き返した。
それにもトレントは変わらず穏やかに頷く。
「今のフェイ様は、本当に楽しそうに笑っておられます。取り繕った笑みでも、何かを誤魔化そうとする笑みでも。そのどちらとも違う、少年らしい笑顔を」
「…………」
言われて、フェイは自分の顔に触れる。
頬は緩んでいて、口角は上がっていた。
それに気付くと同時に、フェイは顔を伏せる。
そして、さらに深い笑みを顔に刻んで静かに呟く。
「そう、ですね。たしかにトレントさんの言う通りかもしれません。本当に楽しい。彼らとの毎日が、本当に……。それこそ、永遠に続けばと思うほどに」
フェイの独白にも似た呟きを耳にしたメリアが、どこか嬉しそうにしたのをフェイは気付かなかった。
◆ ◆
昼が過ぎたころ、ようやくゲイソンたちが湖から引きあげてきた。
「お疲れ。いや、よくもまああんなにはしゃげるね」
「たくっ、このクソ女がやめねえから!」
「なによ! それを言うならあんたがやめればよかったんでしょうが!」
「はいはい、言い争うのはそこまで。いいからご飯食べなよ。残しておいたから」
「お、おう」「わかったわよ……」
ゲイソンとアイリスはフェイの言葉に素直に従う。
あれだけ運動したのだお腹が空くのは必然だろう。
――と、ここでもサンドウィッチの取り合いが始まったが。
「……で、シェリルたちはこうなるか。まぁ年を考えれば無理もないけど」
子供が遊び疲れるとどうなるか。――寝る。
いつのまにか地面に横になって眠っていたシェリルとロビンの二人を見て、フェイはため息を漏らす。
「とりあえず、二人をこのまま置いておくのもあれだし、それにゲイソンたちもそのままだと風邪を引いちゃう。ご飯を食べたら一旦屋敷に戻ろうか」
「そうだな……」「そうね……」
疲れ切った声で、二人は素直に頷く。
そうして、ロビンとシェリルを起こさないよう背負って帰ろうと提案しようとした瞬間――
「ぐっ!?!? ……ぁ、っぅ、なん、だ……っ!」
頭に激痛が走り、思わずうずくまる。
いや、頭だけではない。全身に悪寒が走る。
いやな気配が周辺に突然現れたような、不可思議な重圧がフェイにのしかかる。
「まさ、か……、この感覚はッ!」
これと似たような感覚を、フェイは知っている。
王都で出会った謎の男と似た、生理的に受け付けない明白な嫌悪感。
「フリール、これは……ッ」
フリールの意見を求めてみると、彼女も同様に表情を歪めていた。
「フェイ、これはまずいわ……!」
いつになく真剣で、焦燥に満ちた表情でフリールはフェイにそう告げた。