百三十三話
「――は?」
アレックスの提案に、フェイは気の抜けた声を漏らす。
「ど、どうして……」
声が震えているのがわかる。勿論、怒りによるものだ。
だがそれに気付いたのはこの部屋ではフリールとトレント、そしてエリスとセシリアだけだった。
アレックスはフェイの真意を知ることなく、理論的に補説していく。
「驚くことはない。お前を家から追放したのは、精霊と契約できなかったからだ。だが聞けば、そこにいるあの伝説の帝級精霊と契約しているというではないか。であれば、お前は私たちの家の恥ではない。むしろ名誉だ! そんな息子に家に帰ってきてほしいと思うのは、父として、一つの貴族として、当然だろう?」
「そんな、ことで……」
握っているナイフがブルブルと震えるのがわかる。
それを見て、ようやくアレックスはフェイが怒っていることに気付いた。
そして、その怒りの原因を理解し、頭を下げる。
「……!」
それを見て、フェイは一度手に込められた力が抜ける。
が、次のアレックスの発言でその怒りはより大きなものとなった。
「すまない、私たちが悪かった。お前の力を見誤った私たちが間違っていた。この通りだ」
「――――」
歯が欠けそうになるほどに、力が込められているのがわかる。
(この男は――)
この男はこの期に及んで、息子を殺させようとした自分を悪いとは思っていないのか。
ただ、力がないと思ってしまったことを謝るのか。
(――ふざけるなっ!!)
抑えられなくなった激情は、フェイの理性を消していく。
溢れ出す魔力を抑えられない。
怒りの矛先は彼らへと。
自分が間違っていた。
もしかすれば過去の行いを悔い、改めるのかと。
いったい何度同じ過ちを繰り返せば気が済むのか。
彼らにそんな感情はないことなど、もう何度も教えられたではないか。
彼らには救いがいない。救えない救われない。
ならば、今ここで彼らを――――
「――!」
自分の体を冷気が撫でる感覚を覚えて、フェイは横を見た。
そこには、フェイと同様に魔力に似た冷気を放出し、怒りに震えているフリールの姿があった。
ピキピキピキ……と、食堂内にある命を宿していないあらゆるものが白くなっていく。
大気は凍てつき、吐く息までもが白くなっている。
「……ッ!」
件の氷の帝級精霊の力、それを目の当たりにして目を見開き驚愕の色に染まったアレックスたちの顔。
それを見て、すっと自分の感情が抑えられた。
瞬間、これはまずいとフェイは魔力の放出を抑えてゆっくりと立ち上がる。
そしてフリールの手をそっと握りながらアレックスを見ることなく言い放った。
「僕とあなた方が家族に戻ることなど、未来永劫ありません。話がそれだけなら失礼します」
「お、おいッ!」
呼び止めるアレックスの声に一度振り返り、フェイは一言。
「今日で決意しました。あなた方を――潰します。今まで積み上げてきたもの、それらもろとも」
宣戦布告と受け取れる言葉を吐き捨てて凍り付いた食堂を後にした。
自分は仮にも貴族、そして相手も貴族だ。
であれば、安易に魔法を放ったままにしておくのはよろしくないだろう。
「フリール……」
ようやく彼女に声をかける。
その一語で、フリールはすべてを察し、廊下で足を止め、振り返る。
そして食堂へと手をかざした。
なにかが砕ける音。冷気が鎮まっていく感覚。
それを覚えて、フェイは小さく首を縦に頷く。
「ありがとう。君の力は、然るべきときにふるわせてもらうよ。そしてそのときはそう遠くないと思う」
変な確信があった。
近いうちに、もう一度ボネット家とぶつかるような。あるいは、ボネット家に最期が訪れるようなそんな確信が。
どちらにせよ、彼女の力を借りる機会は訪れるであろう。
玄関へと通じる廊下をトレントやフリールと共に歩いていると、向こうから人影が近付いてくるのが見えた。
誰だ……と、目を細める。
(あれは確か、分家筆頭の……)
そうしていると、人影がこちらに腰を折る。
「お久しぶりです、フェイ様。お元気そうでなによりです」
と、挨拶をした。
それに頷きをもって応じると、向こうも歩みを再度始めた。
そしてすれ違いざま、再び礼をした。
フェイは彼に気にも留めることなく歩いていたが、
「――ッ!?」
不意に、頭が痛くなり、その場にうずくまる。
「フェイ様ッ!」
トレントがフェイに駆け寄る。見ると、フリールも何やら苦しそうにしていた。
「――あなたが戻ってこなくてよかったです」
「……ッ!!」
背後から声が聞こえて、フェイは振り返る。
そこには、誰もいなかった。
◆ ◆
帰りの馬車の中で、フェイは呆然としていた。
頭痛はすでにおさまっている。それが原因ではない。
心の中にぽっかりと穴があいたような感覚。虚無感。
「トレントさん」
「はい?」
車外のトレントへ声をかける。
「今日、僕は心の底から自分のことが嫌いになりました」
「? それはどういう……」
ボネット家の屋敷でのできごと。
それを思い返しても、彼が自分のことを嫌いになる瞬間などなかったはずだと疑問がそのまま声になる。
「僕はあのとき、よかったと思ったんです」
「よかった?」
「はい。僕が本当に恨める人間でいてくれて、よかった……って」
「…………」
トレントは押し黙る。
わかるのだ。わかってしまうのだ。
トレントだって、両親が生きていてくれたならどれほどよかったかと思う。
それは、両親が真に悪意があって自分を捨てたと確信を持てればいいと。
両親を心の底から恨めたらと。そう思いたいから。
「他人に悪であってほしいなんて考え方、普通じゃないですよね……」
車外にいるトレントからはフェイの様子はうかがえないが、彼が自嘲の笑みを刻んでいるのは声色からわかった。
彼が、涙を零していることも、わかった。