百三十話
室内にいる三人の反応は各々違っていた。
応接間に置かれているソファは三人掛けで、その左側に座っているのは巫女服を纏った少女、シェリルだ。
彼女とは既に何度も面識がある。
そんなシェリルはフェイがきたことに気付くと、パッと表情を明るくする。
そして、ソファの右側に座っているのはフェイが会ったことのない領民。銀髪の男の子、ロビンだった。
ロビンはシェリルとは対照的に、体を固くしている。
頭から生えた狼耳と、尻尾は毛が逆立ち、明らかに警戒の色を示している。
そこまで自分を警戒するのならどうして屋敷の使用人になろうとするのか。
そんな疑問を抱いた。
そして最後。二人の真ん中に座って、先程から警戒とも違う敵意をむき出しにし睨みつけてくる中年の男。
ベルークはフェイに鋭い視線を送っている。
顔を引き攣らせたくなるのを必死にこらえて、フェイは特に気にしていない風を装う。
そしてそのまま静かに彼らの対面に置かれたソファに一人で腰掛ける。
「今日はわざわざご足労いただき、ありがとうございます」
フェイはベルークの威圧に耐えながら、感謝の言葉を口にする。
それにベルークは驚いた反応を示すが、構わず話を進める。
「えぇっと、僕はまだみなさんのことを知らないので、雇用するにあたって自己紹介をしていただきたいのですが、その前に……」
ベルークを見つめる。
「使用人の希望者は、二人と聞いていたのですが……」
「俺は使用人になりたくてきたわけじゃない。こいつらのお守りだ」
「お守り……?」
一瞬、眉を寄せるが、すぐに得心がいった。
大人としては、子供が領主の屋敷に行くことが不安で仕方ないのだろう。
であれば、先ほどまでの鋭い視線の理由もうなずける。
「問題あるか?」
「いえ、大丈夫です。えっと、では自己紹介と、あと簡単な動機を……」
視線を彷徨わせ、シェリルに向ける。
フェイの眼差しを受けて、狐耳がピンとたつ。
「えっと、シェリルです! 動機は、えっと……フェイ様に恩返しをしたかったの! ……です」
「恩返し?」
敬語を付け加えたことには目を瞑り――尤も気にしていないが――フェイは首を傾げる。
「はい! あの森で助けた貰ったことの恩返しを! フェイ様のメイドになったら、助けになれるかなって思ったんですっ」
「…………」
純真無垢な瞳でそう訴えられては、「そんな必要はない」なんて言いにくい。
恩返しという意識をもたれるほどのことをしたと思っていない。
彼女を危険な目にあわせてしまったのは、元を辿れば自分の慢心でもあるのだから。
小さくため息を吐いて、次いで銀髪の少年に視線を移そうとしたところで、ベルークが目に留まる。
「何だ? 俺も名乗るのか?」
「まぁ、嫌でなければ……」
「別に構わない。俺はベルーク。シェリルの父親だ。ここには、あんたのところに俺の娘を預けて大丈夫か。それを見定めにきた。……言っとくが俺はあんたのことが嫌いだ。だから敬語を使う気なんてさらさらない」
「それでいいですよ。僕も上辺だけ取り繕った敬語はあまり好まないので」
「自分でそう言っときながら、あんたは敬語を使うのかよ……」
呆れ交じりにベルークは言う。
それに、フェイは肩をすくめるほかなかった。
「では、最後に……」
先ほどからがっちがちな銀髪の少年を見る。
「えっ、っと、俺は……!」
余程緊張しているのか、声が上擦っている。
無理もない。
今まで権力者と話す機会がなかった。そして死ぬまでそうあり続けるはずだった辺境の小さな村の村民の中の一人。
そんな彼が今、例えまだ成人していないとはいえ領主と対面しているのだ。
ベルークやシェリルが特殊なだけで、この反応が当たり前なのだ。
「俺は、ロビン……ですッ。シェリルの幼馴染をやってますっ!」
ロビンの物言いに、シェリルはくすりと笑う。
幼馴染をやってますという言い方が面白かったらしい。
彼女のそんな反応にロビンは赤面しながら、言葉を続ける。
「えっと、動機は……」
困った風になりながら、ロビンはシェリルをちらりと見る。
その視線を受けたシェリルは首をこてんと傾げるだけだったが、今のロビンの行動でフェイはもしや……と思う。
「えっと、えっと……」
恥ずかしそうに俯くロビンを見て、フェイは思わず頬を緩める。
そして、
「いや、いいですよ、無理に言う必要はないですから。それに、なんとなくわかったので」
「――ッ」
フェイの言葉に目を見開きながらロビンは顔を一層赤くする。
一応の自己紹介と動機を聞き終えて、フェイは話を変える。
「えっと、ではお二人にはこの屋敷で働いてもらうということですが。雇用条件の確認をしてもいいでしょうか」
「待ってくれ。その前に一つ確認しておきたい」
「? 何でしょう」
ベルークが右手を上げる。
「あんたは、その……なんだ。たしかにあんたが領主になってからは暮らしが楽になった。だが俺はどうにも信じきれない。だからこそ聞きたい。あんたはどうして俺らから使用人を雇おうとしているんだ?」
「どうして、ですか。……僕は普段屋敷を外すことが多いので、領民の皆さんと触れ合える機会がなかったのです。だから、屋敷使用人として皆さんを雇うことで、交流の場を設けようと……」
「俺ら、獣人と……か?」
目を細め、疑いの眼差しを強めるベルーク。
それもそのはずだ。
獣人は人類にとっては忌み嫌われる存在。そんなものと触れ合いたいだなんて正気の沙汰じゃない。
だがまさしくその通りだ。
フェイはもとより、正気であったことなどないのだから。
「大前提として、僕は獣人だから嫌いだとか、獣人だから触れ合いたくないだとか。そう言う偏見は持っていません。生憎、あなたたちよりも遥かに憎み、恨んでいる存在が僕にはあるので。だから、そう、あなたたちを嫌うことに意味を見いだせないのです」
フェイの言葉に、ベルークは意識が持って行かれるような不思議な感覚を覚えた。
自分が人類に抱いている憎悪以上のモノを、フェイの放つ雰囲気と声色、そして表情から感じたのだ。
ベルークがフェイに抱いていた不信感は、一瞬にして吹き飛んでしまった。
憎悪という負の感情によって。
◆ ◆
結論から言うと、シェリルとロビンは無事屋敷に勤めることとなった。
ベルークの反対も無く、ことはスムーズに進んだ。
屋敷で働き始めるのはちょうど夏休みが始まる二日後。
住み込みではなく通いでの勤務となる。
給金はといえば、これがいらないと言われてしまった。
シェリルがまず、これは恩返しだからと断り、そして彼女が断るのならばと追うようにロビンも断った。
最終的に、食事を提供するのが給金の代わりとしておさまったが、もともと食事は提供するつもりだったのでフェイからすればいまいち釈然としない。
フェイは自室のベッドに横になる。
緊張から解放され、疲れがドッと押し寄せてきたのだ。
でもまだ明日がある。
ボネット家本邸へ足を運ぶ。
目を瞑ったフェイの脳裏にあの森でのことが走馬灯のように可視化される。
ふと、扉が開かれる音がした。
だが、フェイは目を開けない。
ギッ……と、誰かがベッドの上に乗ったのかきしむ音が聞こえてくる。
そして自分の横でベッドと何かが擦れあう音がして、何かに抱き付かれる感覚を覚える。
そのまま冷たい温もりを感じ、頭を撫でられながらフェイは脱力して眠りについた。