百二十八話
「トレントさん、明日の放課後、精霊学校からそのままボネット家本邸に向かっていただけますか?」
「!?」
帰り際の車内。
フェイが不意に口にした言葉に、トレントはかつてない驚きを抱き、運転中にもかかわらず、思わず振り返った。
「あ、泊まる予定はありません。その日のうちに帰れますよね?」
「……キャルビスト村とボネット家本邸はそれほど離れていないので、可能と言えば可能ですが……。しかし、どうしてまた……」
「先日、ボネット家当主から招待されまして。行くことにしたんですよ」
「――! なるほど、だからあの時あのようなことを」
先日の夜の会話を思い出し、トレントは得心がいったのか頷く。
そんな彼にフェイは曖昧な笑顔で応じる。
「なにか、助言のようなものが聞きたかったのかもしれないです。すいません、僕のエゴに付き合わせて」
フェイの謝罪にトレントもまた、彼のように儚げな笑顔を露わにする。
「わたくしも……誰かに聞いて欲しくて、自分本位に語っただけです。お忘れください」
少しの間をおいて、トレントはどこか可笑しそうに笑う。
つられて、フェイも同様に笑い声を上げる。
その笑いの原因がどこからくるのか両者は深くは理解出来なかったが、零れだした笑いは止まらない。
小さな含み笑いがしばらく続いた。
「――――、承知しました。わたくしはフェイ様の従者。主の行く道に付き従うのみです」
「ありがとうございます」
言葉にすれば短いが、フェイの胸中には形容し難いまでの感謝が渦巻いていた。
そんなフェイの心情を知ってか知らずか、トレントは「ひとまず」と前置きを置いて口を開いた。
「本日のご予定ですが、ご帰宅されましたら早々に面会となります。ですので、正装に着替えていただきたいのですが」
「わかりました。用意の方は……」
「アンナに一任しております」
その返答を受けて、フェイは満足げに頷く。
屋敷ではラフな格好のフェイだが、さすがに領民と会うというのにそのままというわけにもいかないだろう。
統治者としての、上に立つものとしての威厳を見せねばならない。
(威厳なんて、服装や身なりじゃなくて行動で示すべきものなんだけどね……)
自嘲する。
だが、現状魔族の出現が人類の生存範囲において減っている中で、術師という側面を持つ貴族が行動することなどあまりない。
昔であれば魔族の侵攻から領民を守ることで威厳を保てたかもしれないが、現状それができない以上、仕方の無いことなのかもしれない。
とはいえ、魔族の進行を望むのは本末転倒であろうが。
深いため息をついて、フェイは体を座席に預けた。
◆ ◆
目覚めると、陽はもう沈みかけていた。
領地から通わなければならない分、ただでさえ通学時間が長い。
そのため、フェイは通学中車内で眠るのが日課になりつつある。
首を軽く回すと小気味のいい音が鳴り、それと共に馬車を降りる。
そして、そのまま屋敷の入り口へと向かう。
扉が開き、アンナが出迎える。
ここまではいつも通り。日常だ。
フリールがいないことが気がかりではあるが。
しかし、今日は来客がある。
フリールを探すのは後だ。
「アンナ、フェイ様の正装はどこに?」
「フェ、フェイ様の部屋に……」
アンナの返答の結果、トレントたちはフェイの部屋へと向かう。
そして扉を開けた途端、フェイは顔を引き攣らせた。
「……いや知ってたよ。人ってそんなにすぐには変われないことぐらい」
そもそも、人ですらないんだけどと突っ込みながら、フェイは半眼でベッドの上で大の字でうつ伏せに寝転がっているフリールを睨む。
その体勢から察するに、ベッドに飛び込んだのだろう。
「……ん?」
フェイの声かけに何の反応も示さないフリールに首を傾げながら、フェイはベッドに近付く。
「ちょっと、フリール……? って、ちょっ!」
フリールの手を掴んだ瞬間、フェイの視界は反転する。
一瞬の間で、フェイの視界には天井が広がっていた。
「捕まえたわよ、フェイ! ここのところ私のことを弄んで……神の怒りを思い知るときよっ!!」
「か、神の怒りって……」
ベッドの上でフリールに押し倒されるという体勢。
男女が逆であれば映えなくもないその光景は、しかし現状全くそのての色気を醸し出していない。
むしろ、少女に組み倒されるフェイのその恰好は滑稽に見える。
フェイにかぶさるフリールの顔には怒りというよりかは、喜悦のような色が窺える。
「フリール、まずは落ち着こう。話せばわかる!」
「問答無用ッ!!」
「ぐおぁっ!」
体を支えていた両手をベッドから離し、そのままフェイの体に絡みつかせる。
結果、フリールは力いっぱいにフェイを抱きしめることになった。
肺を圧迫され、フェイは思わず苦悶の声を上げる。
が、青髪の少女は意に介さない。
スリスリとフェイの体に己の頬をすり寄せて、口元をだらしなく緩ませる。
と、次の瞬間、フェイの体からバチバチと静電気のようなものが溢れだし、フリールはすぐさまベッドから飛び降り、フェイから距離を取った。
「……?」
今、体の内側のさらにその奥底から魔力が放出されたような不思議な感覚を覚えて、フェイは不思議そうに眉間に皺を寄せる。
対して、フリールはと言えば先ほどまでの弛緩しきった表情はどこへやら。天敵を見つめるような眼差しをフェイへと向けて、怒りを顔に出す。
「中にいるときでさえ大人しくできないのかしら、あんたは……!」
苛立たしげに吐き捨てる。
彼女のその言葉で合点がいった。
彼女がこういう言葉遣いをする既知の相手がいるとすれば、思いつくのは一人。
(もう、そこまできているのか……)
体から溢れ出した魔力の残り香を見ながら、フェイは重たい息を吐く。
ここ数日抱いていた不満、その矛先を向ける対象は既に変わったらしい。
フリールはフェイの中を見つめてワナワナと震える。
そんな二人のやり取りを、トレントたちは呆然と廊下から覗きこむように見つめていた。