百二十七話
「じゃぁ、いってきます」
精霊学校に接する大道路の脇に馬車を停め、いつものようにフェイはトレントに挨拶をして精霊学校へと足を向ける。
そのフェイの背中にトレントは一言問いを発した。
「フェイ様、今日のことを覚えておられますか?」
「勿論覚えていますよ。使用人のことでしょう?」
即座にフェイは返答する。
今日の放課後、屋敷に、使用人希望者を集めて面接を行うということ。
それを覚えているか確認し、杞憂に終わったトレントはほっと表情を和らげる。
(まぁ、希望者と言っても結局あの二人以外集まらなかったんだけどな……)
使用人の登用を行うと発表して時間も経たないうちに二人も希望者が出たので、もしかしたら十人ほどは……と思ったのだが、案の定それ以降希望者の声はあがらなかった。
「あ、そうだ。夏休みの間に友達を何人か屋敷に呼ぶことになるかもしれないのですが、大丈夫ですか?」
昨日のゲイソンの発言を思い出して、フェイは慌ててトレントに確認を取る。
トレントはどこか驚いたように目を見開き、すぐにいつもの柔らかな表情を浮かべる。
「フェイ様はあの屋敷の主人、どうして誰かを呼ぶことに使用人に許可を取る必要がございましょう。大丈夫です、前日までにお教えいただければアンナと共に準備をいたします。それで、その友達とは一体どのような方なのでしょう」
その友達というのが貴族であれば、同じ貴族であるフェイの権威を見せつけるためにそれ相応のモノを用意しなければならない。
が、フェイは苦笑で応じる。
「貴族然とした振る舞いをしなくてもいい相手ですよ。本当に、ただの友人です」
だからそれほど凝ったモノを用意する必要はないと伝える。
(実際、お金にも余裕があるわけではないしね)
打算に打算を積み重ねてトレントに返して、ようやくフェイは精霊学校へと歩を進める。
その背中をトレントは見つめて、そして再び馬車を走らせ始めた。
◆ ◆
「おはよう、ゲイソン。体の調子はどう?」
「つらい、すげぇつらい。てか、見りゃ分かんだろ」
教室に入るとそうそうに机に突っ伏して怠そうにしているゲイソンを見つけて、フェイは苦笑交じりに話しかける。
本来なら、今日の朝にも少しは練習したかったが、ゲイソンの体のことを考えてやむなく断念した。
「まぁなんにせよ、やれるだけのことはやったよ。昨日までの練習通りなら合格できると思う」
「そうあってほしいぜ、ここまでやって落ちたら救えないしな」
肩をすくめてため息交じりにゲイソンは呟く。
そうだねと同意しながら、フェイは一息ついてから、教室内を見渡した。
「メリアやアイリスは?」
「ん? 俺が来た時にはいたけど、たぶん二人でどっか行ってるんじゃねぇか」
「そう……」
ボネット家の件についてなるべく早く聞いておきたいフェイからすれば、メリアと話をしたいというのが正直なところだ。
とはいえ、クラスメートたちの目もあることだ、放課後までは碌に話が出来ないだろう。
(取り敢えず日中は試験のことだけを考えておこう)
内を巡る膨大な魔力を感じながら、フェイはあの海底遺跡への調査から目覚めてより、ずいぶんと身体に馴染んできていると思った。
この分だと、あと数週間後には、あるいは――。
意識を別に向けていると、教室の扉が突然開いた。
入って来たのはアイリスとメリアの二人。
アイリスと談笑していたメリアだが、フェイを視界にとらえると同時に表情を固くする。
そんなメリアに気付いたフェイもまた、表情を引き締めて。
二者の間で、視線による会話が行われた。
◆ ◆
昼休みを挟んで午後の授業。
その一枠に、試験の時間が設けられた。
入学当初と比べて幾分か魔力の扱いに慣れてきた生徒たちは、【エンチャントボディ】の試験ほどの緊張は見受けられない。
「――――しゃぁっ!!」
その中で、両頬を叩いて気合を入れるゲイソン。
そんな彼の様子を、丁度実技室に入って来たアーロンが見つけてふっと小さく笑った。
「あー、ではこれより試験を始める。この間も言ったように、こぶし大の【ファイアーボール】を50m先のあの土の的に当てること。合格基準は十回中七回だが、それを下回る成績でも日頃の授業を受ける態度や、そのときの成績を鑑みて合格とすることもある。その逆も然りだ」
その言葉に次いで発せられた「では順に」というアーロンの言葉に、生徒たちは静かに従う。
二十分経った頃には半分ほどの生徒が無事に試験を終えていた。
この試験を受ける順番は、やりたい者から順に……ということになっている。
早めに終わらせたい者、最後の方にやりたい者。様々だ。
そんな中でゲイソンはというと、実技室の片隅で魔力を放出しながらぶつぶつ呟いている。
どうやらイメージトレーニングでもしているらしい。
「じゃあ、私はそろそろ受けてこようかな」
そんなゲイソンを遠目から見つめていたフェイに、アイリスが肩をぽんと叩きながら話しかけてきた。
「あー、そうだね。僕ももうそろそろ受けないと。あれ? メリアはまだ受けないの?」
「わ、私はフェイ様が終わってからで……」
「そ、そう……?」
二人との会話を終えて、フェイは準備に取り掛かる。
「――ッ」
魔力を放出すると同時に顔を顰める。
ここ毎日、魔力の制御を完全にするために少し放出する訓練を幾度となく繰り返し、何とか体に馴染んできた。
が、まだ馴染んだ段階だ。
制御自体が完全にできているわけではない。
(まぁ、動かない的に当てるぐらいはわけないと思うけど……)
土の的を見つめてフェイはため息を零す。
あれがもし動き回る敵であったならあるいは……と思うが、もし万が一そういう状況に直面したならば物量で攻めればいいだろう。
(フリールの話だと、もうそろそろ……)
自分の体の中に潜む鎖を感じて、フェイは来たるべき日のことを思う。
『フェ――ッ!』
「…………っ」
脳内に声が響く。
数日前までは魔力を解放するたびに雑音のように聞こえていたそれだが、今は声であると認識できる。
そしてその声が誰のものであるかも理解している。
一息ついて、フェイは魔力の放出を止める。
丁度、アイリスが試験を無事終えていた。
◆ ◆
結果から言えば、ゲイソンは無事に合格を果たした。
それも、十回中八回命中という成績で。
――にも関わらず
「まぁ、当然の報いよね」
試験をこれまた合格したアイリスが、教室の片隅を見て同情の全く含まれない清々しい笑みを浮かべる。
「アーロン先生の言い分もわかりますからね……」
メリアも擁護の声はあげない。
「そうだね。むしろ、怒られるべきだしね……」
三人の視線の先、教室の片隅にはアーロンに雷を落とされて身を小さくするゲイソンがいた。
アーロンの説教の内容はこうだ。
短期間でこれだけ成長できるのなら、普段からきちんと授業を受けろ!
至極尤もな話であり、三人は遠い目で怒られるゲイソンを見つめた。
◆ ◆
「フェイ様、あの件ですけど……」
帰り際、メリアに呼び止められてフェイは待ってましたと振り返る。
「うん、どうだった?」
「……フェイ様の言葉通り、明日で構わないとのことです。迎えも出そうかとのことですが」
「迎え?」
「はい」
顔を顰めて、フェイはメリアの言葉を再度口にする。
あの男がわざわざ自分なんかに迎えをだすのかと、疑問がよぎったのだ。
「……迎えはいらないかな。そう伝えといて」
「わかりました、では明日に」
「うん」
事務的な会話を終えて、メリアはいそいそと帰路に就こうとする。
その背中を見て、フェイは声をかけた。
「メリア」
「……?」
名を呼ばれて、振り返るメリア。
そこには何の用かという疑問だけがあった。
「なんというか、仲介役なんて嫌な役回りをさせてごめんね。いつもありがとう」
「……! は、はい!」
何気なく口にした言葉。
それがもたらしたメリアの笑顔はフェイの意識を釘付けにするものだった。