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戦慄の魔術師と五帝獣  作者: 戸津 秋太
四章 消えない記憶
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百二十五話

「――――」


 夜中。

 屋敷の外の庭でフェイは一人空を見上げていた。

 日中とは打って変わって雲一つない夜空が広がっている。

 涼しい風がフェイの体を静かに撫でる。


「浮かない表情をされていますね。何か面倒事でも?」

「――いえ、少し考え事をしていただけです」


 屋敷から姿を現したトレントが、夜の静寂を破らない程度の声量でフェイに問いを投げる。

 後ろからの声にフェイは振り返ることなく返す。


「ん? フリールはどうしてますか?」


 トレントと一緒にいたはずの彼女の姿が見えず、そのことを指摘する。

 夕食を終えて、フリールはアンナに引っ張られるように厨房へと連れていかれた。

 それをトレントも追い、一人になったフェイはこうして庭に出てきた。


「アンナと一緒に片づけをしています」

「……最近アンナさんとべったりですね」

「おや? 寂しいのですか」


 眼鏡をきらりと光らせ、わずかに笑みを刻んでトレントが口にした言葉をフェイはまさか……と、肩をすくめながら一蹴する。

 その笑みを見て、トレントは僅かに表情を曇らせる。

 一瞬だけ、何か助けを求めるような、今にも泣きそうなそんな笑みに見えたのだ。


 ともすれば、彼が求めているのは自分ではなくフリールなのだろう。

 ならば自分がそこに突っ込んでいくのは無粋というものだろう。


 夜空に手をかざすフェイをトレントは黙って見つめる。

 彼が今何を考えているのか。何を思っているのか定かではないが、その表情は辛そうで、そして何より切なそうで。


「そう言えば……」


 トレントがフェイの反応を窺っていると、ふと何かを思い出したようにフェイが言葉を零す。


「以前、トレントさんは僕に似ていると言いましたよね。あれはどういう……」


 初めてキャルビスト村に足を運んだ折り、村を見回っていたときに確かにトレントはそんなことを口にした。

 あの時はそこまで深く追求しなかったが、今は何故か無性に気になった。


「――ぁ、すいません、言いたくないですよね。忘れてください」


 自分の問いを聞いたトレントの表情に陰りが見えて、フェイは手を振りながら前言を撤回する。

 しかし、トレントはふっと頬を緩めてどこか落ち着く静かな声で応じる。


「構いません。話せば長くなりますし、かつての記憶を鮮明に思い出したいわけではありませんが。……わたくしはかつて信じていた者に裏切られたのです。――そう、フェイ様と同じように」

「――――」


 まさか己の過去を明かすと思っていなかったフェイは、息を呑む。

 だが、そうしながらもフェイは心のどこかであぁ……と納得した。

 きっとトレントは、誰かに自分の過去を知ってほしいのだろう。自分の胸の内をさらけ出したいのだろう。

 それが己と同じ道を歩んできたものならば尚のこと。


 フェイもトレントと同じだ。

 自分の痛みを、苦しみを、嘆きを。他人と分かち合えたならどれだけ楽になれるか。

 そう思わなかったことはない。

 だからこそトレントが今何故語り始めたのか理解できる。

 つまるところ、フェイはただ静かに、真剣にトレントの紡ぐ言葉に耳を傾けることしか出来ない。


「わたくしは片田舎の小さな村に生まれました。裕福ではありませんでしたが、決して貧しいと思うことはありませんでした。秋に植えた種は冬を越えて春には芽吹き、夏や秋に収穫する。そんな一年を数年、村の友や家族と共に過ごしておりました」


 トレントは夜空のたもとで静かに語らう。

 もはやフェイに語り掛けるというよりも、自身の内に封じた記憶を懐かしむように、独り呟く。

 表情は穏やかで、悲しいまでに穏やかで。


 そしてそれは一変する。


「そんなある日――わたくしは家族と共に森の中へ山菜取りに行きました。そしてそこで待っていたのは自然の実りではなく、山賊だったのです」

「山賊……」

「なにぶん、片田舎の村ですから、治安もあまりよくなかったのです。……ともかく、山賊に襲われたわたくしたちはとにかく逃げました。走って、走って、走って。しかし森の中に慣れている山賊たちの足の方が速く。わたくしたちは捕まりかけました。両親は子供のわたくしよりも速く、少し前を走っていましたが逃げきれないとわかったのか、焦燥しきった顔で振り返ってわたくしを見てきました」


 そこからのことは、フェイは言われずとも何となく察しがついた。ついてしまった。


 他者を信じることができないフェイにとって、その結論はとても容易にでる。

 トレントは拳を握りながら過去を紡ぐ。


「そして、今まで見たことがない醜悪な顔で、わたくしを突き飛ばしたのです。山賊たちの標的がわたくしのみに向くように。自分たちは逃げ切れるように」


 顔を伏せて、トレントは自らの過去を語り終える。

 そして、弱々しい声で彼は続ける。


「勿論、フェイ様の経験したことからすればこの程度、大したことがないと思います。間違いなく、両親ではなく山賊が悪い。確かに母と父は親として褒められた行動ではないかもしれませんが、窮地に陥れば誰でも道を違えることはあります」


 そう。

 フェイの家族、アレックスはトレントの両親とは根本的に違う。

 アレックスは己の名誉のために、己の家の地位を確立させるために我が子を殺そうとした。

 どちらの親がより非道であったかなど、比べるまでもない。

 だが――


「ですが、それでも……それでも、わたくしは……!」

「トレントさん……」


 月に照らされて、一滴の雫が光りながら地に落ちる。

 その涙は皮肉にも、フェイには美しく見えた。


 例え命の危機に瀕したとしても、父と母には守ってほしかった。

 それは幼かったトレントの心には、裏切られたと、そんな心の傷を残したことだろう。

 そして今の彼の様子から見るに、その傷は癒えてはいない。


「…………」


 フェイは自分の胸を右手で掴む。


 この傷は、未来永劫癒えることはないだろう。

 例え裏切った者がこの世から消えようとも。

 例え裏切ったことに対する報いを受けさせようとも。

 幼き日の裏切りの記憶はいつまでも。いつまでも心に残り続ける。


「トレントさん、そのあとは……」


 トレントに、未来(さき)の話を求める。

 これからその未来(さき)に足を踏み入れる者として、踏み入れている者として、幼き日に、最も親しかった者に、大切だった者に裏切られたトレントのその後を聞くことは、どうしても必要なことであるように思えた。


「勿論、わたくしは山賊に捕まりました。わたくしが子供だったからか、殺されることはありませんでした。最初の数か月は牢のようなところに閉じ込められ、その後は殴られ蹴られをされながら食の用意をする。今こうしてわたくしが執事をやっているのは、あの幼き日の奴隷のような日々が体に染みついているからかもしれませんね」


 山賊に奴隷のように扱われ、そうして何年も過ごして。

 ある日、規模を拡大しすぎた山賊は討伐隊によって解体され、そこでトレントは保護された。

 その後色々なことを経て、彼は王城に仕え、そしてフェイに仕えている。


 きっとその人生は楽なものではなかっただろう。

 誰も信じられない中で、誰かの助けを求めることしか出来ない。


「そういえば、その……ご両親は?」

「死にました」

「え……」

「死にました。わたくしを突き飛ばして、そうまでして逃げた両親は、されど山賊から逃げきれず、斬られ、殺されて。結局父も母も、わたくしに何も残さなかった。いえ、わたくしにやり場のない怒りだけを残して、死んだのです」


 両親が死んだというのに、トレントはどこも悲しむことなく確かな怒りだけを宿して語った。

 もはや自分は彼らを両親とは思っていないと、そう言っているようにも見えた。


 トレントは語り終え、そしてフェイは言葉を失う。

 静寂は必然に。

 夜はまだ長く、この二人の静寂を切り裂く音はまだ生まれない。


 両親がもういないトレントと、両親がまだいるフェイ。

 やり場のない怒りを抱くトレントと、やり場がある怒りを抱くフェイ。

 復讐をできないトレントと、復讐をできるフェイ。


 この二者、果たしてどちらが幸福なのか。どちらが恵まれているのか。


(……なんて、考える必要ないよな)


 フェイは内心枯れた笑いを浮かべて、月を見上げるトレントに目を向ける。

 夜風が彼の長い黒髪を揺らして、彼の顔を隠すようになびく。


 数分の間で冷静になったのか、トレントは呟く。


「申し訳ありません、フェイ様。少し感情的になり過ぎました。つまらぬ話をお聞かせしてしまいました」

「そんなことないですよ、僕の方から聞いたことですし。その、失礼なことを聞いてしまいました」

「……夜風が冷たくなってきました。屋敷に戻りましょう」


 トレントの申し出にフェイは小さく頷く。


 戻りながら、フェイは最後に小さく彼に問うた。


「トレントさんは、もし今ご両親に会えるとしたら、会いますか?」

「――えぇ、会うでしょう。会って何をするのかは自分で考えてもわかりませんが、会わないと後悔すると思うのです。会わなければ、父と母の言葉も聞けない。……いえ、ただ単に、もしかするとあの時突き飛ばしたのは事故だったのかもしれない。手で引っ張ろうとして、それが不意の拍子で突き飛ばすことになったのかもしれない。なんて、淡い期待を抱いているだけですね」


 トレントは諦めきることが出来ないのだろう。

 もしかしたら両親は自分を生贄にしようとしたのではなく、足の遅い子供だった自分を助けようと手を伸ばしたのではないかと。

 そんなもう答えの返ってくることのない疑問をこれまで何年も、そしてこれからも抱き続けていく。


 それはもはや呪いだ。


 だがフェイは、少なくとも両親が生きている。

 それは救いなのかもしれない。


(彼らが何を僕に話したいのか、何の目的があって呼んだのかはわからない。だけど――)


 だけど、会って話をするくらいはいいだろう。

 例え何があろうとも、自分には彼女たちがいるのだから。


 フェイの内に潜む帝級精霊は、静かにその(とき)を待つ。

 彼に魔力が馴染んで、すべての精霊を解放できるその刻を。


 そしてそれを超える勢いで、フェイの周りの時間は加速していく。

 あらゆるしがらみが、葛藤が、嘆きが、恐怖が、親愛が。フェイの心の刻を進めていく。


 その時は――すぐそこまで。


 あの運命の日以上の試練がフェイを行く先で待っている。

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