百十八話
父であるベルークの予想外の反応に、思わず走り出してしまったシェリル。
いつの間にか、村の外れにある小さな湖にきていた。
いつもは湖の中に少しだけ入り、祈りをするのだが、今はそのほとりで小さく丸まる。
何か嫌なことがあれば、シェリルは湖へと足を運んでいる。
水の音が胸にくすぶるそれらを洗い流してくれるような、そんな気がするのだ。
夕日の写る湖の水面を見ながら、シェリルはボーッと考える。
ここから少し離れた森の中で、フェイと会ったときのことを思い出す。
悪い人たちに捕まった自分のことを考えて、攻撃を避けなかったこと。
その後の、殺意に満ちた表情と、身震いするほどの魔力。空中に展開された魔法。
そして、自分の言葉で命を刈り取るのを止めてくれたことを。
(優しい人なのに、どうしてみんなは……)
何故か恐れている。何故か疑っている。
何も悪いことをしていないのに。
人類が獣人をひとくくりにして差別するように、自分たちもフェイという人間を人類だからとひとくくりにしている。
そう思うと、何だか悲しくなる。
「…………」
いじいじと、地面の草を指に絡めたりしてボーッと過ごす。
帰るタイミングを失った。
何より、帰りたくない。
次第に陽はさらに沈んでいく。
そろそろ帰らなければ真っ暗になってしまうと、立ち上がろうとした瞬間、声がかけられた。
「シェリル」
「――――」
振り返ると、そこにはシェリルと同じくらいの年の、銀髪の男の子がいた。
特徴的なのは頭に生えた狼耳と尻尾。
彼もまた、シェリルと同じく獣人で、彼女の幼馴染だ。
「ロビン! どうしてここに……?」
「お前の親父さんに言われたんだよ。連れ戻してきてくれってな」
「……何か貰ったの? ロビンはそんな面倒なことを引き受けない」
「へへっ、当たり! 焼き菓子をちょこっとなっ」
ロビンは笑いながら懐から小さな焼き菓子を取り出し、頬張る。
「ん」
未だ座り込んだままのシェリルの横に座ると、その焼き菓子を一つシェリルに突きつける。
「あ、ありがとぅ……」
シェリルはそれを受け取ると、齧りつく。
そんな彼女を横目に、ロビンは湖を見ながら切り出した。
「領主様のところで働きたいんだって?」
「……お父さんが話したのね。ロビンも反対するの?」
「そりゃぁな。だって領主様も人類だぜ? なにされるかわかんねぇ。確かに今のところ新しい領主様は優しいけどよ。俺のお袋も言ってたぜ。暮らしが楽になったって」
「でしょ? 優しい人なんだよっ。なのにお父さんは……」
涙目になりながら俯くシェリルを観ながら、ロビンはさらに焼き菓子を口に運ぶ。
「……なぁ」
「なに?」
「俺も一緒に領主様のところで働こうか? 二人なら何とかなるだろ」
「――! で、でも、お父さんが許してくれないし、ロビンのお父さんだって」
「俺のところは別に大丈夫だって。あんまり俺に構ってないし。問題はシェリルの親父さんだけど、俺が一緒に頼んでやるよ」
「ほんとうに!?」
幼馴染の提案に、パァッとシェリルは表情を明るくする。
そんな彼女の笑みを見て、ロビンは照れたようにそっぽを向きながら呟く。
「いいって言われるか分からないけどな。お前の親父さん、お前のこととなると怖いからなぁ」
「大丈夫、大丈夫ッ! 行こう、ロビン!!」
勢いよくシェリルはロビンの手を掴んで走り出した。
目指すは彼女の家。ベルークの元だ。
「ちょっ、おい、シェリルッ!」
手を乱暴に掴まれたロビンは頬をわずかに赤くしながら引っ張られるがままに走った。
◆ ◆
「――それで?」
シェリルの家の前。
外で、ベルークはシェリルとロビンに向かって問いを投げる。
「俺もシェリルと一緒に領主様のところで働くからよ! 許可してやってくれよ」
上擦った声で、怯えながらロビンはベルークに言う。
その隣で、シェリルもまた頼み込むように、ベルークを見つめていた。
「フェイ様は悪い人じゃないから大丈夫っ」
愛娘とその友達に詰め寄られて、ベルークは困ったように髪を掻く。
心配と不安しかない。
それでも、シェリルの目を見れば譲る気がないのは明白である。
小さくため息を吐いてから、ベルークは口を開いた。
「――頑固なのは一体誰に似たんだか……」
ベルークは、一人の女性の姿を思い浮かべながら呟いた。
「いいだろう。ただし、審査を受けるのに、俺も同行する。それで危険だと判断したら連れて帰るからな」
その言葉で、ロビンとシェリルは顔を見合わせてから、互いに言葉を発した。
「うん!!」「はい!」
ハイタッチをしながらじゃれ合う二人を見て、ベルークはやれやれと苦笑する。
そうしながら、新領主の事を思い浮かべて表情を引き締めた。