百十六話
「どうぞ」
短く一言声を発して、トレントは椅子に腰掛けているフェイの目の前のテーブルに紙の束を置いた。
それを首肯で応じ、フェイは紙の束を手に取り一枚一枚目を通しながらめくっていく。
「事故による死亡者が二人……。この事故と言うのは?」
「建物が潰れたそうです。この村の建造物は基本的にコストカットされていますので、以前も度々そういうことがあったらしく」
「いつ壊れるか分からない家に住むって、相当なストレスですよね」
家というのは本来、安心できる空間であるべきなのだ。
その家がいつ壊れるか分からないなんてことであれば、ストレスは相当なはずだ。
「そのあたりも追々やっていかないと。――餓死者はゼロ……と」
「フェイ様のご方針通り、今すぐに命を落としそうな人には食料を提供しております。勿論自己申告制なので飢餓している人すべてに与えられているかは分かりませんが。とはいえ、最初の一人を皮切りに申告する人が増えています」
「最初の段階の目標は達成できそうですね。勿論飢餓問題は長期的に見るものなので、今月がゼロだったから安心できることではないですが」
そう言いながらさらに紙をめくる。
そして最後の一枚になったところで、フェイはん? とめくる手をとめた。
「これは……?」
「ディルク家の資産状況です。現状、領内への投資及び減税の影響で赤字です。一、二か月は陛下からの援助金で凌げるでしょうがそれ以上は……」
「まぁ、そうでしょうね。金は勝手に増えるものではないですし。正直二か月経っても得られない信頼は得るのが難しいですし、減税と投資は二か月で終わりましょうか」
得られないであろう信頼に投資するのならば、他のことに使った方がマシだ。
別にフェイは獣人を救うことを一番に考えているわけではない。
ディルク家の地位がボネット家の上になることを目標にしている。
「あぁ、そういえば信頼に関わる事なんですが」
フェイが思い出したように、口を開く。
その声に応じて、トレントが訝しむ表情を浮かべる。
近くにいたフリールもフェイへと視線を向けた。
「やっぱり、僕が領民の人と会話することが少ないのは問題だと思うんですよ。領民の人たちから生まれる信頼は、僕ではなく金に向かってしまうので」
与えてくれる者の人となりを知らないと、与えられている者の感謝やそういった気持ちは、すべて与えられるモノに向かってしまう。
であれば、フェイの思惑の意味をなさない。
可能な限り早く、領民の信頼を勝ち取らねばならない。
そのために何か打てる手はないかと考えて、一つの策を思いついた。
それが、
「この屋敷の使用人として、領民の人を雇おうかなと思いまして」
「ちょ、ちょっとフェイ!?」
フェイが突然口にした提案に、少し離れていたところにいたフリールが驚きの声を上げる。
焦ったように詰め寄ってくる彼女を横目に、フェイはトレントに補説する。
「出来れば僕と同じか、それよりも小さい子がいいですね。アンナさんぐらいの歳の方が理想です」
「どうしてですか? 使用人として雇われるのでしたら……」
「使用人として雇う理由は、別にその能力を求めてのことではないですからね。トレントさんたちにはさらに迷惑をかけるかもしれませんが、触れ合いが目的ですからね。屋敷に勤める使用人であれば僕が顔を合わせる機会も多いですし」
そこで一言息をついてから続ける。
「大人の思考は凝り固まっていることが多いですからね。子供の方が色々とやりやすいんですよ」
「――なるほど。分かりました、フェイ様がそうおっしゃるのであれば、後ほど村で募集をかけてみましょう」
「お願いします」
淡々と話を進めるフェイに、フリールが異を唱える。
「ちょっと待ちなさいよ、フェイ! 屋敷に獣人を招き入れるって正気なの?」
「正気だよ。フリールも、別に獣人が嫌いなわけじゃないんでしょ?」
「そ、それはその通りだけど、でも……」
魔族の血に反応するとフリールは言っていた。
それはフェイもだと彼女は口にしたが、フェイ自身は特に何も思わない。
そんなことよりも領民の信頼を得ることの方が先決だ。
だが、フリールは尚も引き下がらない。
少し思案して、妙案を思いついたと表情を明るくしながらそれを言葉にする。
「私をどうするつもりなのよ! ここの人たちに私の存在がバレて、どう説明するつもりなの?」
そう言われて、フェイは思わず押し黙る。
今のところ、フリールが帝級精霊であることは隠しておくべき事柄だ。
だが屋敷に領民を雇い入れるということはそれだけフリールと領民が接触する機会が増えることに他ならない。
であれば、フリールの正体を訝しまれることは必然だ。
長期休暇に入るまでの間、フェイはフリールを屋敷に置いていくしかない。彼女を精霊学校に連れて行けば目立つし、何より彼女の放つ魔力から勘付かれる可能性もある。
その間、フリールは屋敷で領民と触れ合うことになるだろう。
「…………」
考え込んだフェイを見てフリールは勝ち誇ったような表情を浮かべる。
どうあれ、この事実を突きつけられてはフェイにはもはや返す言葉がないのだ。
その通りだ。諦めよう。
そう口にすると思ってフェイの次の言葉を待っていたフリール。
だが、フェイはその予想を遥かに裏切る提案を口にした。
「じゃあ、フリールもこの屋敷の使用人と言うことにしたらいいんじゃないかな?」
それを聞いて、フリールは呆気にとられたように表情を固まらせた。