百八話
室内に動揺が走る。まさかと思っていた仮説が他でもないフェイによって真実だと告げられたからだ。
伝説の中の伝説。もう少し時が経てば間違いなく神話として世に伝承され続けるであろう存在。
神に近しいモノ。神そのもの。
今でも人類に圧倒的な畏怖と敬意を抱かせる存在。
――帝級精霊。
この世に五体しか確認されていない中で、最強を冠する精霊の一角が目の前の少女であると。
恐れると同時に、疑う。
かつての魔族との大戦において人類を救うほどの絶大な力を持っていた存在が、本当にこんな幼い少女なのかと。
だが、状況から言ってそれを否定するのは悪手である。
かつての大戦が終わってからも、何度も求めていた力が幸か不幸か再びこの国にある。
その価値は計り知れないものであるとともに、一歩間違えると国を滅ぼしかねない諸刃の剣だ。
アルフレドたちは既に海底遺跡で起こったことを聞いている。
すなわち――世界が凍ったこと。
書物にて語られていた神秘。それが実際に起こっていたと。
人では到底成しえない奇跡。
それほどまでの所業をなせる存在がまさか一人の少女だとは思えない。
アルフレドは、フェイの返答にしばし目を瞑る。
慎重に。慎重に。
機嫌を損ねないように言葉は選ばなければならない。
一国の王であるアルフレドがここまで相手に気を遣う事などあまりないことだ。
だが、そうしなければならないだけの相手であることは、この場の誰もが知っている。
「そうか……まさかとは思っていたのだ。アレックス卿との決闘でのあの現象は、氷帝獣の力であったか」
あの現象。決闘の最後。霧によってよく見えなかったが、辛うじてアレックスの放った精霊魔法が凍て付いていたことだけはわかっている。
そのあと、宮廷術師の持ってきた五帝獣について記された書物を読んで、もしやと疑念を抱いたのは記憶に新しい。
あれがあったからこそ、今回の一件で確信が持てたと言っても過言ではない。
なにせ永らく人の世に姿を見せなかった存在が目の前にいると言われても信じることはできないだろう。
「はい。今の自分では、魔法だけでは太刀打ちできなかったので……」
フェイの肯定。それによって、アルフレドたちの疑問はさらに深まる。
どうしてフェイが精霊と契約しているのか。
どこで氷帝獣と出会ったのか。
どうやって氷帝獣と契約したのか。
フェイがちょっとやそっとのことで逆上しないことはわかっている。人間性には全く問題がなく、例え失言をしたとしても、それに対して何かしてくるなんてことはないはずだ。
しかし、今彼の横には氷帝獣がいる。
本来なら疑ってもいいかもしれないが、対面すると分かる。
膨大な魔力と他者を寄せ付けない絶対的な強者の纏う雰囲気。
フェイは気付いていないようだが、先程からフリールはこの部屋の人間に殺気に似たオーラを当てている。
例えフェイが気にしなくても、この精霊の気に触れただけで……。
そう思うだけで安易なことは口に出来ない。
「フェイ男爵。一つ頼みがあるのだが……」
「? 何でしょう」
「疑う訳ではないのだ。だが、一国の長として、わしはどうしても見ておかなければならないのだ。つまり、彼女が誠に氷帝獣であるかを。故にその証明になるようなものを見せてはくれぬか」
アルフレドがそう口にすると同時に、フリールの視線が鋭くなったのを彼は肌に感じた。
その猛烈な存在感に圧倒されつつも、アルフレドは最後まで言い切る。
「そう言われましても、これといって証明になるようなものは……」
帝剣があるにはあるが、実際に帝剣を現出し、この部屋にいる者達に見せたところでその行為に意味はない。
なにせ、この場の誰もが帝剣を目にしたことがないのだから。
困り顔で思案しているフェイを見て、アルフレドは口を開いた。
「ふむ。やはりその力を実際に見せてもらった方がはやいかのぅ。王城内には宮廷術師もいることじゃしのぅ」
「――え?」
アルフレドの言葉に、フェイは思わず気の抜けた声を漏らす。
彼の文言をそのまま受け取ると、つまりは――
「――つまり、宮廷術師の方たちと、決闘まがいの事をしろということ……ですか?」
「そういうことになる」
先日命のかかったやり取りをしたフェイにとっては、決闘なんてものはもはやお遊びのようなものだ。
そして、フリールの力を完全に借りることが出来る以上、もはや宮廷術師に負けることなどないという確信と自信がある。
アルフレドの言う通り、決闘にて力を見せる方が手っ取り早いと言えば手っ取り早い。
フェイもこのことに反対するつもりなどないが、問題は彼にない。
ちらりと、横を見ながら声を発する。
「僕は構いません……が」
フェイの視線で、彼の意図するところを汲み取ったアルフレドは、青髪の少女へと目を向けた。
「フリールは、どう思う?」
「…………」
契約精霊の機嫌を窺うように、フェイは恐る恐る横に立つフリールに問いを投げた。
確か彼女はあまり自分の力を見世物のように振るうのは嫌いなはずだ。
彼女だけではない。他の帝級精霊も。
上位の精霊であればあるほどに、己の力に誇りを抱くようになり、安易な理由でその力を振るうことを忌避する傾向がある。
帝級精霊ともなればそれは顕著に出るが。
「私は構わないわよ」
彼女の口から零れた返答は、フェイの予想の正反対をいくものだった。
呆気にとられたフェイは思わず再度聞いた。
「え、いいの?」
「いいもなにもないわよ。私はあんたに力を貸す。あんたが必要なら、私がそれを拒むことはあり得ないわ」
「フリール……」
己の契約精霊の言葉に、フェイは言いようのない感情が湧き上がる。
そんな二人のやり取りを見ていたアルフレドが、言葉を繋ぐ。
「病み上がりで本当にすまないと思うが、事は急を要するのでな。あとで呼びに行かせる。それまでは部屋で休んでいてくれ」
「はっ……!」
アルフレドの言葉に、フェイは顔を下げる。
そして、そのまま促されるままに王の間を出ようとするときに、フリールをふと見て表情が凍り付いた。
フリールの両手に、握り拳が作られていたからだ。
「えっと、フリール……さん?」
「なに?」
「きちんと、手加減してください。間違っても殺さないように……」
「……。善処するわ」
「それやらない人の口言葉じゃ……」
フリールの返答に一抹どころではない不安を抱きながら、フェイは彼女と共に王の間を後にした。