はっきりとさせなければならない
授業が終わると、保健室を目指そうとした。
ゆるりと緩んだ空間。
そんな中、一人、きりきりとしたオーラをまとい、机と机の間を小走りで抜けて、教室の前のドアを目指す。
「秋本」
俺を呼びとめたのは石橋だった。
振り返り、立ち止まった俺のところに石橋が歩み寄ってきた。
「藤田の事は、今日はそっとしておけ」
「しかし」
「藤田からメールを貰っている。
その事で、今日、帰りに俺んちに来てくれ」
のんちゃんから、何か石橋は聞いたんだろう。
だとしたら、そこにのんちゃんの意思が含まれていると考えるべきだ。
「分かった。そうする」
俺は石橋にそう言って、保健室を目指すのを止めて、自分の席に一度戻る事にした。
その日、のんちゃんは最後まで、教室には戻って来なかった。
そして、俺は石橋と二人で、石橋の家に向かった。
駅に向かう道、電車の中。
石橋はいつもと変わらない話しかしなかった。
のんちゃんの事は一切触れないまま。
きっと、周りの人に聞かれることを避けたんだろう。
石橋がのんちゃんの話をし始めたのは、駅から石橋の家に向かう途中、周りに人気が無くなってからだった。
「いつだったか、俺がお前に好きな奴はいるのかって、聞いた時にいないって、答えたよな」
石橋の口調はさっきまでと違って、ちょっときつい。
その中に、俺への非難の気持ちが含まれている事に気付いた。
そうだ。そんな事があった。
あの時、俺は玲奈の事が好きだと言うのが、恥ずかしくて、好きな子はいないと言った。
今になって思えば、あれは石橋がのんちゃんのために、俺に聞いたのかも知れない。
とすれば、石橋が怒るのも当たり前だ。
「あー。そんな事もあったな」
俺はそこまで言って、足を止めた。
立ち止まった俺に気付いて、石橋も立ち止まり、振り返って俺を見た。
「ごめん。こんな事になるとは思わなかった。
ちょっと恥ずかしくて、言えなかった」
頭を下げた。
石橋はちょっと呆れ顔で、俺を見つめた。
「じゃあ、のんちゃんが言っている、お前は江崎の事が好きだって言うのは間違いないんだな」
俺はその答えを言葉にできず、小さく頷く行為で肯定した。
石橋が俺に背を向けて、再び歩き始めたので、ほんの少し後ろに続いた。
「うちの高校の合格発表の日の事なんだけど、俺とのんちゃんは一緒に合格発表を見るために、駅で待ち合わせしてたんだよ」
突然、始まった合格発表の日の話。
いったい、それがどうしたと言うんだ? そんな思いを抱いた。
今の俺の立場でなければ、それがどうしたと聞くところだが、今の俺は黙って、聞くしかない。
「のんちゃんが俺より先に駅に着いていてなぁ」
石橋が俺に視線を向けた。
その表情は、何の話をしているか分かっているか? と言う感じだ。
俺は話は見えていないが、とりあえず小さく頷いて、相槌だけを返した。
「一人で駅の隅で立っているところを悪そうな男たちに絡まれたんだよ。
俺たちと遊びに行こうぜってな」
その話を聞いた時、俺の頭の中にその光景がよみがえってきた。
そう。浮かんだのではなく、甦ってきた。
「あの子は」
そこまで口に出して、再び俺の思考は仮説の検証に向かった。
「思い出したのか?」
黙り込んでしまった俺に、石橋は立ち止まって、俺に視線を向けてきた。
仮説の検証は完了した。
石橋の言葉に頷いて見せる俺。
合格発表の日。
駅の改札口からつながる階段。
その片隅でどこかの中学生らしき女の子が、数人の男たちに囲まれていた。
その女の子の困惑顔。
完全に絡まれていて、困っている。
そう感じた俺は、その子の前に行って、手を取った。
「ごめん。ごめん。遅れて。
さあ、行こう」
そう言って、その子を男たちの輪から連れ出して、階段を駆け下りた。
突然の事と、俺自身緊張していたので、その女の子の顔なんて覚えちゃいなかった。
「あれがのんちゃんだったのか?」
「そうだ。のんちゃんが、お前の事を覚えていてな。
私の王子様なんだそうだ」
俺の心が痛む。
そんなのんちゃんを今俺は不幸にしてしまっている。
玲奈の事をきっぱりと忘れられないまま、別の女の子と付き合いだした俺の責任だ。
石橋が再び歩き始めた。
「で、のんちゃんと江崎。どうする気なんだ?」
「こんな事を言うのも何だが、俺自身、心の整理がついていない。
江崎の事が好きでもあるし、のんちゃんの事も好きなような気もするし」
「お前なあ。二股かぁ?」
「いや、そのつもりはない。
はっきりさせるつもりだ」
「マジだな?」
「ああ。マジだ」
「俺としては、あの時、俺に江崎の事が好きだと言わなかった事には腹が立っている。
が、別にお前が江崎を選ぶのを止める気はない。
のんちゃんは従兄妹だが、だからと言って、お前の意思を無視してまで、のんちゃんと引っ付けるつもりはないし、のんちゃんもお前が江崎の事が好きなんなら、江崎とくっちいちゃえばいいと言っている。
まあ、それはやけになっているとも言えるかも知れないが。
いずれにしても、はっきり決めろ。どっちと付き合うのか」
その言葉に、俺は無言で頷いた。
「だが、もしものんちゃんを選んだなら、もう二度と、のんちゃんの気持ちを踏みにじるような事はしてもらいたくない」
「そのつもりだ」
「分かった。俺が言いたかったのはそれだけだ」
石橋は再び歩き始めた。
その後を追って、俺も歩き始める。
俺は玲奈に引きずられつつも、のんちゃんへの想いが無い訳じゃない。
だが、このままのんちゃんを選んだとしても、心の奥底にある玲奈への想いが消えない限り、同じことの繰り返しで、のんちゃんを悲しませてしまう。
玲奈に引きずられている想いを断ち切るには、やっぱ玲奈にはっきりと拒絶される事だ。
中里の態度やのんちゃんの言葉通り、俺の心の片隅には、玲奈が俺の事を好いてくれているんじゃないかと言うかすかな期待が残っていて、それがのんちゃん一途になるのを邪魔している。
「石橋。俺、これから江崎に会って、はっきりさせてくる」
石橋はまた立ち止まり、振り返った。
ちょっと、都合のいい話のような気もする。
ここで、玲奈に振られて、自分の気持ちに区切りをつけてから、のんちゃん。ちょっと、ズルそうな事になってしまう。が、今の俺にはそれ以外の選択肢は見いだせない。
もちろん、玲奈が俺の想いを受け入れる可能性だって、わずかだが無いわけじゃないはずだ。
その場合はのんちゃんを傷つけてしまう事になるが、心の底で他の女の子への好意を消せないまま付き合い続けるより、のんちゃんを傷つけずに済むはずだ。
やっぱ、都合のいい考え方だ。
だが、好きな子がいながら、別の女の子と付き合い始めてしまった俺には、他に今の関係をはっきりさせる方法は見つからない。
俺は石橋を見た。
石橋も俺を見つめた。
「じゃあ」
そう言って、俺は来た道を引き返しはじめた。




