天使級の笑顔
お昼休み。
いつものように、玲奈は俺の隣の席から離れて、教室の前の方にある中里の机のところまで行こうと、お弁当を持って立ち上がった。
石橋もいつものように、お弁当をぶら下げて、俺のところにやって来た。
のんちゃんはと言うと、のんちゃんの友達のところで、楽しげにお弁当を開いている。
二人でお弁当。
と言うのも、憧れではあるが、さすがに照れる。のんちゃんも、それは照れるようで、今のところ一緒に食べようとは言ってきていない。
そんなのんちゃんと目が合った。
のんちゃんが、胸のあたりで小さく手を振った。俺もにこりとしながら、手を小さく振りかえした。
「はあ」
俺の目の前で、ため息をつきながら、石橋がお弁当を開き始めた。
何のため息だ? そんな視線を感じ取った石橋が口を開いた。
「お前らはいいよなぁ」
「何を言っているんだ。完全に振られた訳じゃねぇし。
これから発展だろ?」
「だといいんだがなぁ。お前たち見てると、羨ましすぎるぜ。
この野郎!」
そう言って、石橋が繰り出したでこぴんが、俺のおでこを直撃した。
「痛っ!」
痛いじゃないかと思わずにいられないが、それくらい癪だってことだろう。幸せ者である俺は見逃してやる気分で、ただおでこを手でさすった。
そんな時、教室がざわついた。
なんだ?
教室のドアに目を向けると、一人の上級生が立っていて、教室の中を見渡していた。
昨日のあの子だ。
石橋も何事かと振り返って、その上級生を見つけて、まじまじと観察を始めた。
「いた!」
俺と目が合った瞬間、その子が大きな声で言ったかと思うと、満面の笑顔を浮かべた。
昨日もきれいな子だと思ったが、少し白い歯をのぞかせた今の笑顔は天使級だ。
その笑顔のまま、手招きをした。
「俺?」
自分の右手の人差し指で、自分の顔を差しながら、首を傾げて問うてみた。
「うん」
にこにこ顔で、頷き返された。
教室の中のざわざわは激しさを増しながら、みんなの視線が俺に集まった。
立ち上がって、ドアに向かう俺。
のんちゃんはちょっと不安げな表情に見える。
玲奈はふんと言う感じで、俺から視線を逸らした。
中里の顔は興味津々と言う感じで、視線が完全に俺にロックオンしている。
「ちょっと、話があるんだ。
今、いいかな?」
昨日のお礼。そんなところか。
「ちょっとだけなら」
「ありがとう。ここじゃなんだから」
そう言って、その子は身をひるがえした。
少し揺れたストレートの髪から、甘い香りがあふれ出した。
いい香りだ。やっぱ女の子はいい。
そんな思いを抱きながら、俺はその子の後を追い始めた。
お昼休みの校舎の廊下を歩いて行く。
「僕の教室、よく分かりましたですね」
黙って歩くのも何だったので、とりあえず無難な話を切り出してみた。
「分かる訳ないじゃんかぁ」
くるりと振り返って、笑顔でそう言ったかと思うと、一度立ち止まった。
「一緒にいた女の子が1年生だったから、君も一年だろうって、一組から順にのぞいて行ったんだよ」
そう言って、ちろりと舌を少し出した。
こんなきれいな子がすると、ぞくっとしてしまう。
「あ、で、どこまで行くの?」
何気ない話で、ぞくっとした気持ちをごまかそうとした。
「うーん。そうねぇ」
一本だけ立てた右手の人差し指を唇の前に差し出して、大きな瞳を少し上に向けた。
ぞくっとした気持ちを誤魔化そうとしたのに失敗だ。この表情にも、ぞくぞくしてしまう。
「第2校舎かな」
そう言って、首を傾げてみせた。揺れる髪。また、甘い香りがした気がした。
いかん。いかん。
俺は首は数回、ぶんぶんと振って、邪な気持ちを振り落とそうとした。
「どうしたの?」
不思議そうな表情。きれいな子はどんな表情をしても、ぞくぞくしてしまう。
「いや、別に。じゃあ、行こう」
早く、この子から離れなければ、俺の心の中は邪な欲望に占拠されてしまいそうになる。
もっとも、邪な気分になったからと言って、こんなきれいな子が俺の思い通りになるはずもないのだが。
これ以上の刺激を避けようと、俺はこの子の顔を見なくて済むよう数歩遅れてついて行く。それも、もう黙って。
第2校舎。そこに普通の教室はなく、昼休みに人気はほとんどない。
照明も消えてて、少し薄暗ささえ感じる場所。
その子は立ち止まると、勢いよく振り返った。
揺れた髪の毛から放たれるほのかなあまい香り。回転して少しふわりと持ち上がるスカートのすそ。
マジやばい。そんな気分にならずにいられない。
「ねぇ。名前、教えくれない?
私は小嶋かおり」
「あ、俺。いや、僕は秋本雅志」
「雅志くんかぁ。
ねぇ、雅志くんは好きな子とかいるのかな?」
上級生とは言え、女の子。少し俺より小さな身長。
首を傾げ気味にして、俺を見上げるかのようところまで接近してきた。
何なんだ? その質問。いや、それ以上に、この接近。俺を狼にしたいのか?
「えーと、まあ」
玲奈の事はやっぱ気になるし、のんちゃんと言う公認のカノジョがいる俺としては、それ以外の選択肢はない。
「付き合ってるの?」
「ま、まあ、カノジョ?」
ちょっと疑問形で答えてみた。
「あ、昨日の子?」
「ち、ち、違います。あの子は幼馴染で、昨日はちょっと」
「そっかぁ」
何なんだ、この会話。昨日のお礼かと思っていたが、なんだか様子が変だ。
「じゃあ、仕方ないか。
でも、お友達なら、別に問題ないよね?」
「え? どう言う事ですか?」
「どうって、そう言う事に決まってるじゃない」
そう言ってにこりと、また天使級の笑顔を俺に放った。
それって、俺が好きって事なのか?
思わず、俺の頭の中でのんちゃんと小嶋さんを天秤にかけそうになった。
ぶんぶんと、また俺は頭を振って、間違った思いを振り落とした。
今の俺にはのんちゃんがいる。
「雅志くん、かっこよすぎなんだもん。
私、昨日、あれから、雅志くんの事が頭から離れなくて」
マジかよ。しかも、昨日、あの変質者のような男を追い払ったのは、俺と言うより、玲奈の凄みだ。小嶋さんは誤解している。
その事を言おうか、どうしようかと迷っている内に、小嶋さんはポケットからスマホを取り出して、差し出してきた。
「年上は嫌?」
「いえ。そんな事は無いですけど」
「じゃあさ、メアド、交換しよ」
「あ、はい」
のんちゃんがいるとしても、メアドの交換くらい問題はない。
ただの友達だ。そう自分を納得させて、メアドを交換した。
しかし、俺は玲奈のメアドすら知らないままだ。




