第十四章1:妄執
第十四章
『妄執』
1
燭台に灯された蝋燭の炎が徐々に小さくなり、当初部屋の隅に蟠っていた筈の闇が、俄然勢力を増してきた。
もう何時経ったのであろう。
暗い部屋の中を、今は沈黙が支配していた。
闇御前は、親父と喜見城で会って『大日の法』を手に入れる為の条件を親父に突き付けた所で話すのを止めている。
その後闇御前は、皺の様な目を閉じ腕を組んだままだ。
「なあ、それからどうなったんだよ?」
俺は、焦れて闇御前に訊いた。
「今日はここ迄にしておきましょうか……」
闇御前は、深い溜め息と共に、ゆっくりと口を開いた。
「オイオイ、まだこれからじゃねえか! 今ほんの触りを話しただけだろう!」
俺は、闇御前に詰め寄った。
「御前、如何なされました?」
十兵衛も、話が途中で途切れた事を気にしている様だ。
「いえ、何でもありません。ですが、この続きはまたの機会にしましょう……」
「何だよ勿体ぶりやがって! これじゃあ肝心の部分が分からないままじゃねえか。下手なドラマより質が悪いぜ」
俺は、更に毒気付いた。
「これ、御前に失礼であろう!」
十兵衛が咎めたが、奴自身もこの中途半端な終わり方に思う所がある様だ。
「良いのです十兵衛……。二千年近き永き歳月を生きて来て、当の昔に忘れたと思ってはいても、やはり忘れる事の出来ぬ後悔や哀しみと言う物があるようです……」
闇御前は、俺達に語る様に言いながら、何処か自分自身に言っている様に思えた。
「爺さん……」
「御前……」
俺もそうだが、十兵衛も言葉を探しているらしい。
「恭也……でしたね。お前とはまた会う機会もあるでしょう。この話の続きは、その時にでも話すとしましょう。しかしお前には、今聞いておかねばならぬ事があります」
闇御前が、皺の様な目をぎろりと見開いた。
「今宵は、九郎に息子が居ると聞いて、どうしても会ってみたくなったのでわざわざ此処まで来てもらいました。故に今日の所は無事に送らせましょう。ですが、お前が我ら眷族として目覚め始めた限り、“渇き”が顕れれば、どうしても血を飲まずには居られなくなります。そうなれば、いつまでも人間社会に紛れて生きて行くと言う訳には行きません。そこで、今後お前がどうするのか聞いておきたいのですが……」
闇御前が、ずばり核心を突いてきやがった。
実際俺は、血を飲まなくても“渇き”なんて起こりゃしねえんだが、まさか此処で“テメエらの野望なんてこの手でぶっ潰してやる!”なんて口走る程馬鹿じゃねえし、かと言って仲間に入るつもりも無え。
ーーここは誤魔化すしかねえか……。
俺は誤魔化しの一手でこの場を凌ぐ事に決めた。
「どうするも何も、まだ何にも決めちゃいねえよ。だいたいその“渇き”なんてものも出ちゃいねえしな。まあ外に居るあのクラスのイイ女を1ダースぐらい用意してくれるんなら、スカウトされてやっても良いけどな!」
「こっ、コラ! 重ね重ね貴様と言う男は……」
十兵衛が慌てて咎める。
「フォッフォッフォッ、全く愉しい小僧ですねぇ。九郎は真面目一本の男でしたが、そこだけは父親に似ておらぬ様ですね。良いでしょう、1ダースと言わず、何人でも好きなだけ用意しましょう」
闇御前は、然も愉快そうに膝を叩いた。
隣りで十兵衛も苦笑していやがる。
「まあ今でも女には不自由しちゃいねえから、その女達に飽きたら宜しく頼むぜ!」
「だがそれまでに“渇き”が顕れなければの話ですが……」
闇御前が、それまでの態度とは打って変わって、急に真顔で言いやがった。
ーー何なんだ? 急に真顔になりやがって?
「何れ分かる事だから先に話しておきますが、お前の父親の命を奪ったのは私です。私が下の者にお前の父親を討つように命じました。つまり私は、お前の親の仇と言う訳です……」
闇御前は、一息付くと更に重い口調で言った。
「……」
俺は、予想もしなかった闇御前の言葉に直ぐ様反応出来なかった。
実際にこの事は、既に爺達から聞かされていた為に、今更驚く程の事でもなかったからだ。
「御前、何も今そのような事を!」
十兵衛が、身を乗り出して諌める様に叫んだ!
「良いのです十兵衛……。この事は、いつまでも隠し通せる事でも、隠しておくべき事でもありません。しかもどうやらこの小僧、最初から何もかも承知の上で、わざと黙ってお前に付いて来たみたいですよ……」
闇御前は、鋭い眼光で俺を睨むと、含みを持たせた言い方でぞろりと言った。
「何!?」
短く叫ぶと、十兵衛は僅かに腰を浮かし左手で“得物”を探った。
「しまった! “典太”はーー」
十兵衛が短く洩らした。
十兵衛の愛刀“典太”は、昨日獣吾との闘いで失われたままだ!
「チイィィィィーー!」
十兵衛は咄嗟に身を投げ出し、闇御前を庇う様に俺と闇御前との間に割って入った。
そして無手のまま身構え、残った片方の目で俺を睨め付けている。
闇御前は、俺の目を見据えたまま身動ぎ一つしちゃいねえ。
一瞬、わざとでも驚いたフリの出来なかった自分の迂闊さに腹が立ったが、こうなったら仕方ねえ。
「闘るのかい?」
俺がわざとふてぶてしく言うと、次の瞬間、十兵衛の身体に凄まじい殺気が立ち上った。
俺も、十兵衛の殺気に煽られ全身に気を巡らす。
ーー今日此処でコイツらと闘り合うつもりは無かったんだが、どうせ何時かはこうなるんだ。
俺は覚悟を決め、更に殺気の内圧を高め臨戦態勢を取るべく、ゆっくりと腰を上げた。
俺と十兵衛の視線が交錯する。
茶室の柱や骨組みが、急激に膨れ上がる俺と十兵衛の殺気の内圧で軋み、か細い悲鳴を上げる。
すると、茶室の外が俄然騒がしくなってきやがった。
どうやら外に居た見張りのヴァンパイア共が、異変に気付き集まって来た様だ。
「御前様、如何なされました!」
「御前様、十兵衛様、どうされたのです!?」
「御前!」
集まって来た見張り共が口々に叫ぶ!
「慌てるでない! ほんの余興です。お前達は下がっていなさい!」
闇御前は、今にも飛び込んで来そうな見張り共にぴしゃりと言い放った。
「し、しかし……」
「御前の命令だ! お前達は持ち場に着いておれ!」
尚も食い下がる見張り共に、十兵衛が叫んだ!
「良い度胸じゃねえか。お仲間を呼ばなくて良いのかよ。“ああっ”?」
そう言って俺は、暴風の様な殺気を爆発させた。
今更ながら自分でも驚く程の気の高まり方だ。
もう闘気だの殺気だのと言うレベルじゃねえ。
これはもう完全に妖気だ。
ーーったく忌々しいったらありゃしねえが、コイツら全員を敵に廻すにはこれでもまだ足りねえ位だ。
俺は、思うがままに妖気を爆発させた。
「むう、これ程とは……」
闇御前の爺が一言洩らした。
「化物め……」
十兵衛は、歯噛みしながらも鋭い眼光で俺を睨め付け、更に殺気を高めた。
ーーくっそ~、何て殺気だ……。
ーー俺を化物呼ばわりしやがるが、自分こそとんでもねえ化物じゃねえか……。
ーーだが、面白え!
「流石は本物の柳生十兵衛だな……。テレビの役者とは大違いだぜ……」
「なあに貴様こそ、流石は恭介殿の息子だ。妖気だけなら父親を凌いでおるわ!」
十兵衛も、愉しくて堪らぬと言った表情で応じた。
「凄まじい妖気ですねぇ。これでまだ覚醒仕切っていないとは信じられません。これからどうなるのか観ていたい所ですが、二人共もうお止めなさい」
「し、しかし御前……」
「良いのです十兵衛。この小僧も、この様な場所で暴れて生きて帰れるとは思っていないでしょうし、それでも尚本気で我々と闘り合う程愚か者でもないでしょう。そうですね、小僧……」
闇御前が、わざと念を押す様に言った。
「チッ、しゃあねえなあ……。まあ此処でオメエら全員を相手に闘り合うには、この俺様でもちょっと骨が折れるからな。今日の所はこの辺にしておいてやるよ」
「フォッフォッフォッ、本当に愉しい小僧ですねぇ。ですが、私はお前の父親の仇ですよ。良いのですか?」
「良いも何も、止めたのは爺さんの方だろうが! 十兵衛のオッサンが、あんな牽制しやがるから成り行きでこうなっちまったが、俺は別に最初から闘り合うつもりなんか無かったんだぜ。まあ闘り合う事になったらなったで、それでも良かったけどな」
「お、オッサン……だと……」
十兵衛が、呆気に取られてぼそりと呟いた。
既に、先程までの荒れ狂う様な禍々しい殺気は鳴りを潜めている。
「口の達者な小僧ですね。ですが、私がお前の父親の仇である事は事実です。仇を討つつもりなら、今を逃すと後はありませんよ」
闇御前は、皺の様な目をしっかりと見開き、俺を真っ直ぐ見据えて言った。
「御前!」
十兵衛が慌てて諌める。
「控えていなさい十兵衛……」
闇御前は、諌める十兵衛を制した。
「安心しな。チャンスだろうが何だろうが、今此処で爺さんを殺るつもりは無えよ。まあ最もこの先は分からねえけどな。それに、実際親父の仇だなんだと言われたって、俺にとっちゃあ顔も見た事も無え親父だ。実感なんて湧かねえし、だいたい親父がヴァンパイアだった事も昨日ウチの爺に聞かされたばかりなんだ。だから今は見逃しておいてやるよ」
「そうですか……。私は命拾いをしたと言う事ですね。ではこの拾った命、今は大切にしておくとしましょうか……」
闇御前が言った。
“ふぅーーっ”
それを聞いて、十兵衛が大きく息を吐いた。
「しかし、昨日まで何も知らなかったと言うのは本当なのですか?」
闇御前が、再度訊ねた。
「だからさっきから言ってるだろうが! 親父の事も、オメエらヴァンパイアが本当に存在したって事も、俺自身もその化物の一人だったって事も、全てウチの爺から昨日聞かされたばかりなんだよ! それに今までその“渇き”なんてモンは一度も味わった事が無えし、力が強くなったのも、暗闇で物が見える様になったのも、まだこの二日位の事なんだよ!」
この問答にもいい加減うんざりして、俺は声を荒らげた。
「分かりました。ではお前は、本当にこれからどうするつもりなのですか? 先程も言いましたが、我が眷族として目覚め始めた以上、何れ”渇き“が起こるのも時間の問題です。そうなれば、お前はもう人間の社会では生きていけませんよ。それにお前養父である李周礼は、とある政府の組織と裏で繋がっています。お前が人間を襲えば、お前の養父でなくても、何れ政府の組織がお前を狩る事になるでしょう。何時かお前が、私を親の仇と憎む時が来ようと、お前は最早我ら夜の眷族の一員として我々の社会で生きて行く他は無いのです」
闇御前は、厳しい表情できっぱりと言った。
「俺は、自由と一匹狼をテーマにしているんでな、誰かとつるんだり、誰かの飼い犬になるのは俺の“美学”に反するんだよ。それにもしも“渇き”が起こったら、さっき爺さんが言った様に、病院や血液銀行から輸血用の血液パックでも掻っ払って飲むとするよ。もっとも掻っ払った血液銀行がオメエらの物だったとしても、そん時は俺を恨んでオマワリなんかにタレ込むんじゃねえぜ」
「告発なんかしませんよ。ですがどうあっても、お前は我が眷族の一員に加わるのを拒むのですね?」
「ああ、そのつもりは無え」
「……」
「……」
十兵衛はもとより、闇御前も暫し黙りこんだ。
「私達は……」
暫く思案を廻らした後、闇御前は重く口を開いた。
「私達は、今後ある行動を起こします……」
「御前、いったい何を!?」
十兵衛が慌てて口を挟む!
「良いのです十兵衛……」
闇御前が、咎める十兵衛を制した。
「もう一度言います。私達夜の眷族は、今後ある行動に出ます。その時、政府の組織と共にお前の養父は間違いなく我らの敵になるでしょう。そうなった場合、お前も我らの敵に廻りますか?」
闇御前が、訊ねた。
ーー間違いない!
ーー昨夜爺達が話していた件だ。
「行動を起こすって、いったい何をするつもりなんだ?」
俺は、それとなく探りを入れた。
「それは言えません。お前が李周礼の養子であり、敵に廻る恐れがある以上、今はこれ以上の話を聞かせる訳には行きません」
闇御前が、ぴしゃりと言った。
「まあ、敵になるかどうかはオメエら次第だな。もしオメエらの起こす行動とやらが、俺の自由を邪魔する物だったり、俺の周りの仲間や知り合いに危害が及ぶ様な事なら、俺がこの手でオメエらの企みをぶっ潰してやるよ!」
「私の前でそれだけの啖呵を切るとは、その胆力は父親譲りですね。お前を見ていると、最初に出会った頃の九郎を思い出します。お前の言い分は分かりました。今日の所は、十兵衛にお前を家まで無事に送り届けさせますが、次会う時は敵かも知れないと言う事ですね」
「ああ、たぶんそうなるだろうなあ……」
「そうですか……。残念ですが致し方ありません。では十兵衛、この小僧を無事に家まで送ってやりなさい」
闇御前は、十兵衛を見遣って言った。
「しかし御前、このままでは……」
「今宵はこちらが無理を言って来てもらったのですから、客人として遇さねば非礼に当たります。今宵は、無事に送って差し上げなさい」
「はっ……。仰せの通りに……」
十兵衛は、そう答えて頭を下げた。
「今宵は愉しかったですよ。敵として会う前に、もう一度茶飲み話でもしたいものです。お前の父親の話もまだ途中ですからね」
闇御前が、穏やかな口調で言った。
皺だらけの顔には、先程までとは違う柔和な表情が浮かんでいる。
「ああ、そうだな。俺は男は嫌いだし、説教臭ぇ年寄りはもっと嫌いだが、オメエの事はそれ程嫌いでもねえよ。じゃあまたな」
そう言って俺は、すっくと立ち上がった。
「では御前、行って参ります」
十兵衛も一礼して後に続く。
後ろに続く十兵衛と共に、俺は茶室を後にした。
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。