7
7
義経は、慰めの言葉も見付からぬまま、朝日の語る話に耳を傾けた。
「父様達は、定期的に蝦夷の地へ狩に出掛けます。その時に血を供させる人間を何人か連れ帰るのですが、私の母様は、そう言った人間の一人でしたーー」
「……」
義経は、黙したまま朝日の話を聴いている。
朝日は、先を続けた。
「私達は、拐って来た人間の生き血を直ぐに飲む訳ではありません。人間の手首に先の尖った細い管を刺し込み、管から出てくる血を器に注ぎそれを飲むのです。それならば人間が死ぬ事も、餓鬼と化す事もありません。しかも住む家や食事を与え、私達が渇けばまた血を分けて貰うのです。母様は、父様に血を提供する役目だったそうです。そうして父様の身の回りの世話をしながら血を提供していく内に、父様と母様は、“鬼”と“人間”の垣根を越えて、互いに愛し合うようになったそうです」
「何と……」
義経は、深い感嘆と共に一言漏らした。
「本来私達夜の眷族は、眷族同士であったとしても人間と違い子が出来にくいそうなのですが、父様と母様は“鬼”と“人”でありながら、子を授かりました。しかし“鬼”の子を産む事は、人間の母様にとって耐え難い苦痛を味わうばかりか、まさしく寿命を縮める事なのだそうです。そして母様は、自らの命を擲って私達を産んでくれたのです……」
義経は、朝日の話を聴く内に、自分達三人の子供の助命の為に平清盛の妾となり、今は一条長成に嫁入りした母の事を想い、一時の感慨に耽った。
「それでお母上は……?」
「私達を産んで直ぐに亡くなりました。母様は、命懸けで私達姉妹を産んで下さったのです……」
朝日は、止めどなく溢れ出る涙を袖で拭った。
「姉妹と申されましたが、姉君か妹君がおられるのですか?」
「はい。私には、双子の妹がおります」
「では妹君も貴女様と同じく読心術をお持ちなのですか?」
義経が訊ねた。
「いえ、妹は父様と同じで、念の力のみで物を動かす妖力を持っています」
「念の力のみで物を動かすなど、その様な事が出来るのですか?」
義経は、驚愕に目を見開いた。
「妹はまだ父様に遠く及びませぬが、それでも人を持ち上げる位の事は出来ます」
「人を持ち上げる!?」
「はい。私達“貴族”には、皆少なからず何らかの妖力を持っております。私は他心通ですが、妹や父様の様に念で物を動かす念動通など、他にも様々な妖力があります。だいたい一人に一つの妖力ですが、父様の様に念動通、操炎通、魔眼通、など幾つもの妖力を持っている場合もあります」
名前を聴いただけではどの様な妖力か想像も付かないが、幾つもの妖力を合わせ持つとは、流石“大王”と名乗るだけの事はある。
これら妖力の上に、熊をも凌ぐ怪力や神足通とも言える素早さ、不死に近い身体と、まさに“魔物”だ。
ーー“鬼”とは、これ程の物であったのか……。
義経は、改めて驚愕を覚えた。
その時、
「姫様、この様な場所で何をしておられる!?」
唐突に後ろから嗄れた声が掛かった。
思わず義経と朝日は、咄嗟に後ろを振り返った。
七間程離れたそこには、山伏か天狗かと見紛う男と、垂髪に小袿姿の少女が立っていた。
男は、弁慶と同じ六尺五寸程のがっしりとした大男で、頭は綺麗に剃髪しており、頭襟こそ着けていないが、鈴懸に結袈裟を纏った姿は、如何にも山伏か天狗と言った出で立ちである。
ごつごつとした彫りの深い顔の半分を荒々しく伸びた髭が覆い、太く長い眉の下には、ギロリとした鋭い目が、義経を睨み付けていた。
少女の方は、羽織った小袿の色柄が異なるだけで、隣に立つ朝日と全く同じ背丈、顔立ちである。
ーーこの少女が、双子の妹の方か……?
「そうです。妹の夜叉です」
義経が思った瞬間、心を読んだ朝日が、空かさず義経の思いに答えた。
「夜叉……姫」
「朝日姫様、この様な所で、しかも人間風情と何をしておられる?」
再び山伏姿の男が訊ねた。
「阿防……」
朝日は、小さな声で山伏姿の男の名前を呼んだ。
阿防と呼ばれた男は、鋭い眼光を義経に向けた。
「貴様が、今日大王様に会いに来た源氏の小倅か? この様な場所でいったい何をしておる。まさか朝日姫様を拐かそうとしておったのではあるまいな?」
阿防が言った。
「失礼ですよ阿防! この方の吹かれる笛の音があまりに美しかったので、私がついここまで来てしまっただけの事。しかもこの方は父様の客人です。失礼な事を申してはなりませぬ!」
答えようとした義経を遮って、朝日が毅然とした態度で一喝した。
「あらあら、姉様がその様にムキになる事はありませんわ。阿防は姉様を心配しているだけの事。姉様こそ、その様な人間とこそこそ逢い引きなどなさって」
夜叉姫は、高慢な笑みを浮かべながらからかう様に言った。
「黙りなさい夜叉! 逢い引きなどしてはおりません! 口を慎みなさい」
朝日は、顔を赤らめ怒鳴った。
どうやらこの夜叉姫と言う妹は、姿形は朝日姫にそっくりなれど、性格はまるで違う様だ。
「義経様、妹達が失礼な事を申しまして、本当に申し訳御座いません。どうか非礼をお許し下さい」
朝日は、本当に申し訳なさそうに頭を下げた。
「い、いえ、非礼などと……。私の方こそ姫様に馴れ馴れしく話し掛けたりして、こちらこそ申し訳ありませぬ」
つられる様に、慌てて義経も頭を下げた。
「姫様、大王様がお呼びです。どうかこちらへ!」
阿防が、朝日に声を掛けた、
「分かりました。今参ります。義経様、失礼致します」
そう言うと朝日は、夜叉姫達の下へと向かった。
しかし途中でふと歩みを止めると、朝日は義経へ振り返った。
「義経様、下々の民にまで御心を砕き、今の世に疑問と憂いを抱く貴方様ならば、今のままでも政を行う資質や資格は十分におありでしょう。そして私達魔性の者の為に涙を流して下さる貴方様ならば、人間と私達夜の眷族が共に手を携え生きていける平和な世の中を築く架け橋になれるやも知れません。幾ら想いがあろうと、想いだけでは何も変わりませぬ。何もしなければ、何も手にする事は出来ません。貴方様が人のままであろうが、私達の同族と成ろうが、想う心こそが貴方です。そこに人間も夜の眷族も関係ありません。御心のままにお進み下さい。天は、貴方様に付いておられますから……」
朝日は、義経の目を真っ直ぐに見詰め語った。
「はい、朝日姫。ありがとう御座います」
義経は、頭を下げた。
「美しき笛の調べ、心が洗われる思いがしました。また機会がありましたら、その美しき音色をお聴かせ下さい……」
そう笑顔で言い残すと、再び朝日は義経に背を向け歩き始めた。
義経は、じっと朝日の後ろ姿を見詰め続けた。
朝日は、夜叉姫や阿防に合流すると、そのまま振り返る事なく夜叉姫達に付き従った。
放り注ぐ月下のなか、庭には義経一人取り残されていた。
すると、ふと夜叉姫が足を止め、義経に振り返った。
その瞳には、妖艶な炎が揺らめいていた。
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。
あとがき
この第十三章七節で、源九郎義経(御子神恭介)の章を一時中断し、次章から物語はまた現代に戻ります。
ーー義経(恭介)が、この後如何にして『大日法』を手に入れ、“夜の眷族”に加わる事となったのか?
ーーその後義経の運命は……。
歴史の裏に隠された義経(恭介)の数奇な運命は、また後の章で徐々に明らかにして行きます(何せ闇御前の爺さんが、話を途中で止めてしまったので、今はこれ以上は書けません)。
ただ義経が“御子神恭介”を名乗る経緯や、蝦夷の千島に住んでいたかねひら大王が闇御前と名を変え、どの様にしてこの国の政財界で勢力を拡げて行ったか等の理由は、後の戦国時代と呼ばれる時代、第六天魔王を名乗った“織田信長”の登場や明智光秀の謀反、それに徳川家康が江戸幕府を開くまでの歴史に深く関わっているので、行く行くは書く事になると思います(成り行きでは外伝として書く事になるかも知れませんが)。
そんな訳で、とにかく次章からは、物語を再び現在に戻します。
本格的な行動を始めた闇御前や光牙率いるヴァンパイヤ軍団に対して、恭也・獣吾・李の三人に加え、佐々木が指揮する『内調』及び『C・V・U』、また慈海達『高野山』が如何にして迎え撃つのか?
また次第に明らかになって行くそれぞれ人物の思惑や謎……。
高野山の運命は?
真の三種の神器は誰の手に?
どうぞご期待あれ!