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次の瞬間、門の内側に動きがあった。


「誰だ?」


門扉の内側から、男小さく囁く様な声が聴こえた。


義経は、その声に些か拍子抜けした気がした。


「私は旅の者で、名は源九郎義経と申します。かねひら大王にお目通り願いたい」


「……」


何故か返答が無い……。


義経が、もう一度声を掛けようとしたした次の瞬間、先程より更に小さな声が聴こえた。


「人間か……?」


門扉の内側の男が尋ねた。


「はい。私は人間です」


義経が答える。


「ならば悪い事は言わぬ。直ちにこの場を立ち去りなさい! ここは人の来る所ではない」


男は、殊更声を低く圧し殺しながらも、有無を言わさぬ強い口調で言った。


「そう言う訳には参りませぬ。私は、かねひら大王に用があってここまで来たのです」


義経は、自分を気遣い声を潜める男の意に反して、声を潜めるでもなく堂々とした態度ではっきりと言った。


「何をしておる! 誰と話しておるのだ?」


すると門扉の内側から、荒々しい声が響いた。


「ヒィッ!!」


先程の男の怯えた悲鳴が、門扉越し聴こえる。


義経は、緊張で身体を固くこわばらせた。


自然に腰の愛刀“薄緑“に手が伸びている。


次の瞬間、“ギイィィ“と木の軋む音を立てて、黒い門扉が重々しく内側へと開かれた。


と同時に更に夥しい妖気が、堰を切った濁流の如く溢れ出した。


門扉が開いたそこには、ボロボロの水干を纏った小男が、もう一人の男に宙高く持ち上げられているのが見えた。


汚れてボロボロとなり、元の色や柄が定かではない小男の水干に対し、もう一人の男は小綺麗な緑の狩衣を纏い、下には紫の狩袴を履いている。


狩衣の男は、水干を纏った小男の首を握り、何と片手だけで小男を軽々と持ち上げているのだ。


何と言う怪力ーー。


持ち上げられている小男は、口から泡を吹きながら苦悶の表情を浮かべ、手足をバタつかせて必死にもがいていた。


「止めろ!!」


思わず義経は叫んだ!


「何~っ!?」


狩衣の男は、ゆっくりと義経へ首を巡らし凄むように睨め付けると、持ち上げていた小男を無造作に地面へ投げ捨てた。


“ドサッ“と音を立てて地面に投げ捨てられた小男は、 首の骨を折られて口から泡と舌をはみ出したまま絶命していた。


「止めろだと~? 小僧、何者だ?」


狩衣の男は、義経を睨め付けたまま凄むように尋ねた。


義経は、狩衣の男の言葉を無視して、既に絶命している小男の遺体に手を合わせると、改めて狩衣の男へと向き直った。


「私は、源九郎義経と申す。かねひら大王にお取り次ぎ願いたい」


義経は、狩衣の男の禍々しい視線から目を逸らさず堂々と答えた。


「何だと? 小僧、ここが何処か分かっておらぬようだな。それとも儂らの餌にでもなりに来たと申すか?」


狩衣の男が“ニヤリ“と笑った。


男の身体から妖気が溢れ出てくる。


男の歪んだ口許から、鋭く尖った黄色い牙が“にゅう“と覗いた。


義経に強い緊張が漲る。


冷や汗が背中を伝った。


「私は、かねひら大王に用があるのです。どうかお取り次ぎ願いたい」


義経は、今一度同じ言葉を繰り返した。


今は太刀に手を掛けていない。


実際には強い緊張に身体を強ばらせながらも、堂々とした態度を崩さなかった。


「何だ? 水鬼どうした?」


その時、門の異変に気付いたのか、三人の狩衣を纏った男逹がわらわらと集まってきた。


「なに、大した事はない。この小僧が大王様に会わせろと言うておるだけだ」


“水鬼“と呼ばれた狩衣の男は、後ろを振り返るでもなく義経を見据えたまま応えた。


「大王様に会わせろじゃと? 何と身の程知らずな小童じゃ!」


後から集まってきた男の内の一人が声を上げた。


「このような童、この場でくびり殺してくれようぞ」


「折角餌が自ら飛び込んで来たのだ。ゆっくりと味おうてやるわ!」


狩衣の男逹……、いや鬼共は、口々に声を上げた。


皆口許から鋭い牙を覗かせている。


すると“水鬼“と呼ばれた“鬼“が、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら迫ってきた。


「お待ち下さい。私は争いに来たのではありません。ただかねひら大王に会いたいだけなのです」


義経が言った。


義経にとって今大切な事は、『大日の法』を手に入れ平家を討つ事である。


その為には、ここで鬼逹と争う訳にはいかなかった。


ここで争って鬼逹を敵に回しては、『大日の法』を手に入れるなど叶わぬ事となるのは必定であったし、何より死んでしまっては元も子もない。


「どうかかねひら大王にお取り次ぎを……」


義経は繰り返した。


「それが身の程知らずだと言うておるのじゃ。貴様如き人間の小童が、我らが大王様に会うなど百年早いわ!」


水鬼の直ぐ後ろにいる鬼が叫んだ。


「そうよ、貴様は大人しく儂らの餌になれば良いのよ!」


そう言って水鬼は、更に一歩踏み出した。


視界が霞む程の妖気が全身から立ち上っている。


義経は、覚悟を決め腰に下げた太刀をすらりと抜き放った。


「何だぁ? 小僧、そんな物を抜いて何をする気だ? まさかこの儂を斬るとでも言うつもりか?」


水鬼が、さも愉しそうに言った。


「私は、かねひら大王に用があるのです。ですが目通りも叶わずこの場で私を喰らうと言うのであれば、私も抵抗せぬ訳には参りませぬ」


そう言うと義経は、抜き放った“薄緑“を静かに正眼に構えた。


一寸の揺らぎも、怯えも、気負った様子も無く、静かに“薄緑“を正眼に構えるその様は、正に無我の極みとも言うべき自然体であった。


「ほほう……」


水鬼の後ろに居た三匹の鬼の内の一匹が、感心したように声を洩らした。


「そのような物を振りかざしたとて、何程の事も無いわ!」


水鬼はそう叫ぶと、凄まじい勢いで義経に襲い掛かった。


常人では目にも止まらぬ程の速さだ!


武器こそ何も帯びていないが、鋭く尖った牙と手の爪が長く伸びている。


霧と妖気を巻き上げ、凄まじい速さで義経に迫った。


「ぬおぉぉぉぉーーっ!」


水鬼の鋭く長く伸びた爪が、義経の顔を切り裂くかと思えた瞬間、裂帛の気合と共に構えていた“薄緑“が縦に一閃した。


「ギエェェェェーー!!」


魂消るような悲鳴を上げながら、水鬼は勢いをそのままに地面を転がった。


見れば、義経に振るった筈の右腕の肘から先が消失し、赤黒く粘性を持った血液が勢い良く迸っている。


残った左手で傷口を押さえても、次から次に溢れ出る血液を止める事は出来なかった。

地面には、夥しい量の赤黒い血液が血だまりを作っている。


義経の足下には、たった今義経が斬り落とした水鬼の右腕がごろりと転がっていた。


義経は、凄まじい勢いで迫り来る水鬼の攻撃を紙一重で見切り、左足を引く事で身体を横に開き体捌きで水鬼の爪を躱すと、構えていた“薄緑“を裂帛の気合と共に一気に打ち下ろしたのである。


常人では、躱すどころか見切る事すら不可能な水鬼の攻撃を、紙一重で見切っただけでなく躱すと同時にその腕を斬り落としたのだ。


何と言う動体視力と反射神経、そして何と言う凄まじい剣技であろうか。


獣人である弁慶と互角に渡り合った技前は、やはり伊達ではなかった。


「グオォォォォ……」


水鬼は、未だ右肘を押さえたまま地面に蹲り呻き続けている。


「う、腕が……、俺の腕が……。し、しかも何故だ!? 血が、血が止まらぬ……」


水鬼は、絞り出すような声を上げた。


激痛に苛まれ、苦悶の表情を浮かべる中にも、何処か府に落ちぬ“……、合点の行かぬ感情がない交ぜになっている。


義経は、後ろで苦痛に喘ぎながら地面に蹲っている水鬼へ注意を払いながらも、残る三人……、いや三匹の鬼に向かって“八相“に構えた。


ほぼ同時に、三匹の鬼逹も腰を落とし身構える。


今の攻防を目の当たりにして、義経が只者ではないと悟ったのだ。


「おのれ~、よくも水鬼の腕を……」


「おのれの首を掻き切って、その血を全て水鬼の餌にしてくれるわ……」


三匹の鬼の内の二匹が、憎悪に顔を歪めながら口々に怨嗟の言葉を吐いた。


ただ一匹だけは、腰を落とし身構えつつも妙に冷静さを保ち、何か思案げに義経の顔を見詰めている。


次の瞬間、対峙する三匹の鬼の内の二匹が、義経に飛び掛かる素振りを見せた。


義経に強い緊張が走る!


だが襲い掛かってきたのは、後ろで地面に蹲っていた筈の水鬼の方であった。


顔にどす黒い血管を幾筋も浮かび上がらせ、口から鋭い牙を剥き出しにして、悪鬼の形相で義経に迫る。


その充血して紅くそまった目には狂気を宿していた。


二匹の鬼の動きは、この為の誘いだったのである。


だが義経は、まるで全てを読んでいたかのように、後ろに振り返る勢いのままに“薄緑“を袈裟斬りに振り下ろした。


“ざくり!!“


確かな手応えを残し、義経が振るった“薄緑“は、水鬼の肩口から胸に掛けて一気に斬り裂いた。


「ぐあっ!!」


短い悲鳴を上げて、水鬼が地面に突っ伏した。


「ぐえぇぇぇっーー!」


地面を赤黒く染めながら、水鬼は地面を転げ回った。


見ると、義経が斬り裂いた肩口から胸の裂傷を中心として、どす黒い血管の筋がまるでミミズが這うように幾筋も浮かび上がり、不気味な模様を描いていく。


首から顔、いや全身を覆っているであろう血管の模様は、“びくびく“と蠢いていた。


他の三匹の鬼逹も、あまりの異様さに目を奪われ、義経に仕掛けるのを忘れていた。


恐らくこの様な状態は、今まで見た事が無いのであろう。


動脈や静脈だけでなく、毛細血管までどす黒く変色してしまった水鬼の身体は、元の色白の肌とは全く別の、完全な黒色に変わっていた。


あまりの激痛に剥いたように見開いた目玉さえ黒く変色している。


“ゲエェッ!“


水鬼は、噎せるように口から夥しい量のどす黒く変色した血液を吐き出した。


もう呻き声すら出ない様だ。


ただ苦悶の表情を浮かべ、全身を硬直させたまま痙攣するのみである。


「水鬼、水鬼ーー!」


「おのれ~、水鬼に何をしたーー?」


先程動く素振りで義経を誘った二匹が、憎悪に顔を歪め叫んだ。


“ぐはっ!“


義経が二匹に振り返った瞬間、水鬼は短い断末魔と共に血反吐を吐くと、それきり動かなくなった。


最早痙攣さえしていない。


水鬼は、絶命していた。


「ばっ、馬鹿な……。たかが刀に斬られた程度であの水鬼が……、我々“夜の眷族“が死ぬなどあってはならぬ事だ……」


「こ、小僧、貴様本当に何者だ?」


三匹の内二匹の鬼が、怯えた様に後ずさった。


「その太刀、“髭切り丸“……、いや“蜘蛛切り丸“か?」


もう一匹の鬼が言った。


この鬼は、先程来冷静さを保ったまま、事の成り行きを見守っていた鬼だ。


「何? “蜘蛛切り丸“だと!」


「穏形鬼、知っておるのか?」


穏形鬼と呼ばれた鬼は、無言で頷いた。


「ほう、蜘蛛切り丸とな……」


突如、三匹の鬼逹の後ろから声が掛かった。


三匹が驚いて一斉に後ろへ振り向く。


いつから居たのか、そこには直衣を纏った男が立っていた。


直衣とは、下から下着・下袴・指貫・単・衣・直衣の順に重ね着した平安時代の男性貴族の普段着で、見た目は衣冠とほぼ同じ物である。


その男は、何と禁色とされている黄櫨染(暗めの黄色)に三重襷文様の上着を纏い、紫の指貫袴を履いていた。


しかも烏帽子は被っておらず、長く伸び放題となった蓬髪が、口髭や揉み上げから伸びた顎髭と重なり区別がつかなくなっている。

太い眉に吊り上がった三白眼、ごつごつとした彫りの深い顔立ちは、まるで本物の鬼の様だ。


鬼相……、と言って良かった。


「千方様、いつこちらへ?」


穏形鬼が、後ろの男に尋ねた。


「つい今しがただ。それよりも、あの屍は水鬼か?」


千方と呼ばれた男が聞いた。


千方の視線の先には、本来青白い筈の肌を黒色に変色させ、胎児の様に身体を折り曲げて、苦悶の表情を浮かべたまま赤黒い血溜まりに横たわる水鬼の屍があった。


「はい、今しがたあの者の手に掛かり……」


穏形鬼は、さも残念そうに悲痛な声で答えた。


あとの二匹も口惜しそうに下を向いている。


「あの水鬼が……。何と憐れな……」


水鬼の屍を見た千方が呟く様に言った。


そして憎悪の眼差しを義経に向けた。


「穏形鬼よ、先程お主はあれが蜘蛛切り丸だと申したな?」


千方が、穏形鬼に尋ねた。


「はい、我ら夜の眷族を一刀の下に斬り伏せ、更に水鬼をあの様な姿に出来るのは、余程の霊剣か妖刀のみ……。しかもあの太刀に施された紋様は確か源氏一族の家紋……。ならばあの太刀は“髭切り丸“か“蜘蛛切り丸“かと……」


「なる程……。確かに“髭切り丸”や“蜘蛛切り丸“は、我ら“夜の眷族“を討ち滅ぼす力を持った恐るべき妖刀……。 そして源氏一族にとっての護り刀となれば……。小僧、貴様源氏の血を引く者か?」


千方が義経に聞いた。


吊り上がった目にギラギラとした憎悪の炎を宿し、義経を睨み付けている。


義経は、身体を強張らせた。


だが敢えて刀を構えず、手にしたまま横に垂らしている。


「左様です。私は源義朝が九男、源九郎義経と申す者。これは我が愛刀の“薄緑“……。以前は“蜘蛛切り丸“とも“吠え丸“とも呼ばれた源氏一族の護り刀です」


義経は、千方の鬼相を真っ直ぐに見据え堂々と胸を張り答えた。


「ほう……、やはり源氏の小童か。して、この喜見城の都に何をしに来た?」


「私は、この喜見城の主であられるかねひら大王に会う為に遥々奥州より参りました。ですがお取り次ぎ願ったところ、そちらの方々が問答無用で襲ってこられたので、望まずして争いになってしまったのです」


義経は、事の顛末を語った。


「何? 大王様に会いに来ただと? 何用があって大王様に会いたいと申すのだ?」


「私は、我が父義朝の仇を討ち、民を苦しめる平家の世を打倒する為、この喜見城にある『大日の法』なる兵法書をお借り出来ないかと、かねひら大王にお願いしに参ったのです」


義経は、毅然として答えた。


「なる程、『大日の法』をとな……。良かろう、水鬼を殺された恨みは尽きぬが、大王様に会いたいと言う者を勝手に襲ったこちらにも非がある。大王様にこの事をお伝えし、もしお会いになると言われるのであれば、貴様を大王様に引き合わせよう。だが、大王様がこれを拒めば水鬼の仇、その場で貴様を切り刻み、貴様の血を一滴残らず吸い尽くしてくれようぞ!」


千方は、凄まじい形相で言った。


義経の命運は、かねひら大王の意思一つに委ねられる事となった。

この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。

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