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 しばし沈黙が流れた。


 囲炉裏に掛けられた南部鉄瓶の湯の沸く湿った音だけが聞こえて来る。


 部屋の隅に濃く蟠った闇は、頼りなく揺らめく蝋燭の炎の揺らめきに合わせ、生き物の鼓動の様に脈動していた。


 まるで闇の中から獣の吐息でも聞こえてきそうだ。


 俺は、闇御前が口を開くのを待った。


 隣の十兵衛も俺と同じ様に押し黙っている。


 闇御前は、遠くを見る様な目をした後、再び目を閉じ頭の中で何かを反芻していた。


 闇御前の深い皺が、蝋燭の明かりで揺らめいている。


「あれは……」


 俺がもう一本タバコを吸おうとした瞬間、闇御前はゆっくりと口を開いた。


「あれはもう八百年以上も前になりますか……。お前の父親が私の下に現れたのは……」


「八百年前……」


 俺は、“ごくり”と唾を飲み込んだ。


「時はまだ……、そう“平安”と呼ばれていた時代です。当時私は蝦夷……、今で言う北海道の北にある“千島”と呼ばれる島々の内の一つに住んでいました。その島を本土の人間は、鬼の住む島と恐れていました」


「鬼の住む島……」


「そうです……。その島は、我が夜の眷属が住み暮らす島でした。当時私は、他の者から“かねひら大王”の名で呼ばれ、島に住む夜の眷属を束ねていたのです。そしてそこには、『大日の法』と呼ばれる巻物が保管されていたのですが、その『大日の法』を手に入れる為、お前の父親は我が島を訪れたのです」


「……」


 俺は黙って闇御前の話を聞いていた。


「その頃は、まだお前の父親も“御子神恭介”では無く、本来の名を名乗っていました……」


「本来の名前……?」


「そうです。元々の名は九郎……、源九郎義経が、当時お前の実父が名乗っていた名前です……」


「なっ!!……」


 あまりの驚きに、思わず俺は絶句した。


 その名前は、こんな俺でも聞いた事のある歴史上でも有名な人物の名前だった。


「まさか恭介殿が……、あの源義経であったとは……」


十兵衛は、深い嘆息と共に洩らした。


「そうでしたか、お前は知りませんでしたか。確かに名前も変えていましたし、あの男は自分自身や過去を話すのが嫌いでしたからね……」


闇御前は、今此処に居ない俺の親父に思いを馳せるかの様に言った。


この闇御前とか言う爺と親父は、何か計り知れない過去がある様だ。


闇御前が、俺の顔を見た。


「良く見れば……、確かに若い頃の恭介と良く似ている……」


闇御前は、しみじみと言った。


何か照れ臭ぇような、気恥ずかしいような変な感じだが、何故か不思議と悪い気はしなかった。


「あの頃の九郎は、丁度今のお前と同じ位の年齢でしたが、何とも不思議な磁力のような物を持っておった……」


「磁力?」


「そうです。魅力と言い替えても良いが、やはり人を惹き付ける一種の“磁力“と言った方が正確でしょうね……。どうやらお前は、その磁力を受け継いでいる様ですね」


闇御前は、皺だらけの顔に柔和な笑みを浮かべた。


最も俺には、皺の形が変化しただけにしか見えねえが、とにかく闇御前の口調は穏やかな物に感じられた。


「ちなみにお前は、“源義経“の事をどれ程知っていますか?」


闇御前は、“お前の父親“とは言わず、あえて“源義経“の名で尋ねた。


「名前ぐらいは知っちゃあいるが、後は牛若丸と弁慶の話ぐれえしか知らねえなぁ?」


俺は惚けるでもなく、正直に答えた。


ーーだいたい自慢じゃねえが、“日本史“なんて小学校の“社会科“から見失ったまんまで、何時代だの何とか幕府だのと言われても、ちぃ~とも分からねえ。


そんな俺を見透かしたかの様に、闇御前の爺が“くすり“と笑いやがった。


「おやおや、自分の父親の事なのに困ったものですねぇ」


「へっ、歴史なんて知らなくても生きていけるだよ!」


俺は、吐き捨てる様に言った。


「確かにそうかも知れませんね……。歴史などと言う物は、不確かで曖昧な物です……」


 そう言って一拍の間を置いた後、闇御前は、細い記憶の糸を辿るかの様に静かに、そしてそろりと語り始めた。


 それは、現在語られている歴史とは全く別の、まるでお伽話の様な話であった。


だが歴史の闇に潜む真実の奇異を、まざまざと感じさせる内容であった。


ーー


ーー


 俺の親父は、今から遡る事約八百二十余年前、平家を滅ぼした最大の功労者でありながら、兄頼朝との確執の為追われる身となり、果ては奥州の衣川館にて自刃したとされる“源九郎義経“だった……らしい。


 闇御前は、歴史に疎い俺の為に、まだ自分とは出会わぬ頃の親父……、つまり源九郎義経の生い立ちから順に語り出した。


ーー


ーー 


源九郎義経……、つまり俺の親父は、一一五八年に清和源氏の流れを汲む河内源氏の当主である源義朝と、母常盤御前との間に義朝の九男として生まれ、幼名を“牛若丸”と名付けられた。


 親父の父義朝 は、平治の乱で平清盛に敗れ、清盛は成長した後の報復を恐れ親父達三人の子供を殺すことを家来に命じたらしい。


だがそれを知った親父のお袋さんである常磐御前は、親父達三人を連れて吉野の縁者のもとへ身を隠そうとしたが断られ、結局は清盛に付き従うことを条件に親父達三人の子供を赦免してもらう事となった。


 後に常盤御前は公家の一条長成の元へと嫁ぎ、親父は七歳の時に鞍馬寺に預けられて稚児名を“遮那王”と名乗ったんだそうだ。


 そして十一歳の時、自分の出生を知った親父は、僧になる事を拒んで鞍馬山を駆け回り武芸の修行に励んだらしい。


 この時、平治の乱で敗れ治外法権の地であった寺院へ、僧や僧兵として落ち延びた源氏の郎党達からは剣術を学び、更には山岳宗教の修行に励む修験者からも様々な呪術や兵法、体術を学んだそうだ。


この頃、俺でも知ってるあの京都の五条大橋の決闘で、武蔵坊弁慶を打ち負かしてその弁慶を家来にした話は有名だが、闇御前の話によれば、その頃は、まだ各地に散らばって隠れ住んでいた獣人族や吸血鬼達が人々を襲っていたらしく、弁慶もそう言ったはぐれの獣人族の一人だったらしい。


弁慶は、当時源氏を倒し武門の頭領として権勢を欲しいままにしていた平家の治世に不満を抱き、平氏縁の侍達を殺してはその刀を奪い去る事で、獣人族の力を世に示そうとしていたらしい。


だが幼いながら天賦の才に恵まれ、剣術ばかりか様々な体術や呪術を身に付けていた親父は、京都五条大橋で弁慶と闘い、その持てる剣術や呪術で弁慶と互角に渡り合ったばかりか、以前鞍馬山の天狗と恐れられたとある修験者から授かった『たいとう丸』と呼ばれる魔物封じの笛を奏で、獣人である弁慶の魔性を封じる事で弁慶を諌め諭したんだそうだ。


その後弁慶は、親父との闘いに敗れただけでなく、親父のその真っ直ぐな瞳と心根に打たれて、自ら望んで家来になったらしい。


 そうして鞍馬山での修行で年を重ねる内に、いつしか平家打倒を志すようになり、十六歳の時に奥州藤原秀衡の元へ向かう為に鞍馬山を離れ、近江国蒲生郡鏡の宿で自らの手で前髪を落として元服し、名前を源九郎義経と改めたんだそうだ。


 奥州藤原氏の宗主、鎮守府将軍である藤原秀衡を頼ったのは、秀衡の舅で政治顧問であった藤原基成が一条長成の従兄弟の子で、どうやらその伝を辿ったらしい。


藤原秀衡の元で成長するに連れ、親父は平家打倒と源氏の再興を成し遂げるべく焦ったが、まだ当時の親父にはそれだけの力も兵力も無く、また期も熟してはいなかった。


そんなある日、藤原秀衡から平家を倒す術として蝦夷……、今で言う北海道に”千島“と呼ばれる島があり、その島に“かねひら大王”と名乗る鬼が数々の鬼を束ね住み暮らす“喜見城の都”があり、そこには『大日の法』と言う兵法書が秘蔵されているとの話を聞かされたのだと言う。


藤原氏は、古の昔より獣人族と交流があったらしく、平家の世にあっても奥州で鎮守府将軍としてその権力を保っていられた背景には、奥州で採れる金の力も去る事ながら、武力の面において獣人族との繋がりがあったからだったらしい。


『大日の法』の伝説は、その獣人族から聞かされていたと言うのだ。


そしてその“かねひら大王”こそがこの闇御前本人であり、親父はその『大日の法』を手に入れるべく、船で蝦夷にある千島へと向かった。


ーー


ーー


そこまでを一息に語り、闇御前は大きく息を吐くと、遥か昔に過ぎた日々を手繰り寄せる様に再び皺の様な目をゆっくりと閉じた。

この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。

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