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「御前、例の者達との会談はよろしかったのですか?」
十兵衛が闇御前に尋ねた。
目の前に燈された蝋燭の明かりが、闇御前の皺だらけの顔をユラユラと照らし出している。
闇御前は、俺達と囲炉裏を挟む形で座っていた。
しかもご丁寧に正座なんかしやがって、どう見たってそこいらの猿が着物を着て座っている様にしか見えねえ。
最も、その小柄な身体から滲み出る威圧感だけは尋常じゃねえが……。
正座している闇御前に対して、俺と十兵衛は胡座を掻いちゃいるが、床に腰をどっしりと下ろし背筋を“ピン”と伸ばした所なんざ、流石は武士と言った風格がある。
「あの者達は先程帰りましたよ。愚かな者達と話すのは、退屈極まりないものです」
闇御前が薄く笑った。
最も俺から見れば、深い皺が微妙に変化しただけにしか見えねえ……。
「それは大変でごさりましたな」
十兵衛が合わせた。
「それよりも、以外に早く見付かりましたね」
闇御前が、ジロリと俺の顔を見やがった。
「はい。この者が同行を拒まなかったので、無理をする必要が無く助かりました」
十兵衛も俺の方を“チラリ”と見る。
「それは何よりです……。さて、お前が御子神恭介の息子だと言うのは本当ですか?」
闇御前が俺に尋ねた。
「さあな……。恐らくはそうなんだろうが、俺も昨日聞かされたばかりで、ハッキリ言って何も知らねえぜ」
「こら、御前に対し無礼であろうが!」
俺の振る舞いや言い方に対し、十兵衛が咎める様に怒鳴った。
十兵衛の気に気圧されて、蝋燭の炎が激しく揺れる。
「構いませんよ。呼んだのはこちらなのです」
闇御前は、穏やかな口調で十兵衛を諌めた。
「へっ、俺はオメエらの部下でも何でも無えんだ。この爺さんがどれ程偉いのか知らねえが、そんな事俺には関係の無えこった。俺は、この爺さんやオメエらに媚びるつもりも言う事に従うつもりも無えぜ」
俺は、横柄な態度で言った。
「フォッ、フォッ、フォッ。これは愉しい小僧だ。あんな梶浦や大八木の様なくだらぬ連中と話すより、この者と話した方が余程面白い」
闇御前は本当に愉しそうに笑った。
「御前がそう仰しゃるのであれば致し方ありませぬが……」
十兵衛は、不承不承に頷いた。
「さて、話が逸れましたが、お前が昨日まで何も知らず育って来たと言うのは本当ですか?」
闇御前が、改めて尋ね直した。
「ああ、本当に知らなかったよ。と言うより今でも分からねえ事だらけだがな」
俺は殊更惚けた訳でも無く、正直これが今の俺の気持ちだった。
確かに爺や久保のオッサン達から色々と聞かされたが、あんまり一度に聞かされたもんだからどうにも今一つ実感が湧かねえ。
「では一つ聞きますが、お前の母親はどうしたのですか?」
更に闇御前が訊ねた。
「知らねえよ。名前も顔も知らねえ。俺のお袋が何処の誰で、いつどうやって死んだのかなんて、俺を育ててくれた爺すら知らなかったんだからな」
俺は惚けた。
俺のお袋が獣人族の長の娘で“紗耶”と言う名前の女だった事は、昨夜獣吾の持っていた手紙で知った。
だが獣人族を滅ぼしたコイツらに、この事を話すのはマズイ気がしたのだ。
俺が、生まれる筈の無えヴァンパイアと獣人族の混血だと分かれば、コイツらが何をしてくるか分かったモンじゃねえ。
それに俺はともかく、実際に爺でさえ、昨夜までは俺のお袋の事は知らなかったんだ。
だから俺は、まんざら嘘を言ったつもりでもなかった。
「ではお前の母親は、既に死んでいるのですか?」
闇御前が怪訝な表情を見せる。
それを見た俺は、自分が失言した事への焦りと同時に、“カアッ”と頭に血が上るのを感じた。
いっそ、“殺したのはテメエらだろうが!”と言ってやりたかったが、どうやらコイツらもお袋の事は本当に何も知らないらしい。
だからと言って、コイツらが親父やお袋にした事を許せる訳じゃあねえが、今は惚けてコイツらの出方を探る方が先決だ。
俺は、滾る思いを“グッ”と堪えた。
だが一方では、例え本当の親父やお袋を殺したのがコイツらだったとしても、昨日名前を知ったばかりで、しかも顔を見た事も無え親の事なんて何処か他人事で、実感が湧かないだけかも知れなかった。
「本当に何も知らないのか?」
十兵衛が、驚いた表情で俺に言った。
「ああそうだよ。だいたい親父の名前や、親父がオメエらと同じヴァンパイアだった事を知ったのもまだ昨日の事なんだ。それに俺を育ててくれた爺が知らねえ事を、俺が知る訳ねえだろう」
俺は辟易して言った。
「因みにお前を育てたのは、あの神仙“李周礼”だそうですね」
闇御前が言った。
「オメエ、爺を知ってやがるのか……?」
「フォッ、フォッ、フォッ、知っていますとも。お前の養父は有名ですからねえ」
闇御前は、愉しそうに言った。
ーーこの笑いかた、ホントはこの爺、ヴァンパイアなんかじゃなくバ○タン星人なんじゃねえのか?
「有名って、あの爺はそんなに有名なのか?」
「有名ですとも。我ら夜の眷属の間ではね……。最もこの国や中国、台湾等の武術界では“武神”としても有名ですが……」
闇御前が言った。
「お前の養父はな、我らと互角に渡り合える数少ない人間の一人だ。これまでに何人もの同朋が、お前の養父の手に掛かって倒されている」
十兵衛が、闇御前の話を引き継いだ。
「最も、お前の養父に殺された者達は、我らの法を犯し、罪の無い者達の生き血を吸った愚か者共です。お前の養父が手を下さなくとも、何れ我らの手で始末を着ける予定の者ばかりでしたがね……」
闇御前はきっぱりと言った。
「それでショウの奴もテメエらの手で始末したって言うのか!」
「ショウ?」
闇御前が首を傾げた。
「昨日私が斬った飯沼昭二の事です」
十兵衛が横から補足した。
「ああ昨日の……。その通りですよ。その外道を処分するよう十兵衛に命じたのは私です。我ら夜の眷属には、人間を襲い生き血を吸う事を禁じた法があります。それを破った者がそれなりの報いを受けるのは当然の事です」
「たがテメエらだって血を飲むだろうが!」
「ええ……、確かに血は飲みますよ。我らは、血を飲まねば激しい“渇き”に襲われ、衰弱し、死んでしまいます。私も昔は人間の生き血を飲んでいた時代がありました。しかし、人間の生き血を吸い続ければ、この世には“死人”で溢れ返ってしまいます。そうしない為にも、我々は人間と協定を結び、彼らから血を買う事で“渇き”を癒しているのです。最も今では、この『帝都グループ』が運営する血液銀行の輸血用の血液で賄っていますが……」
闇御前が言った。
俺の爺や久保のオッサン達から聞かされてはいたが、コイツらの口から直接話を聞くと俺は意外な気がした。
「それにしても、十兵衛からの報告によれば、お前はまだ完全に我が眷属として覚醒しておらぬと言う話ですが、それは本当なのですか?」
「そうらしいな……」
「そうらしい? お前は血を飲んだ事が無いのですか?」
闇御前は目を剥いた。
「ああ無えな。飲みたいと思った事も無え」
ーー久保のオッサンの話によれば、俺は血を飲まなくても生きていけるらしいが、今は黙っておく方が良さそうだ。
「確かに『貴族』であれば、覚醒を遂げるまでは普通の人間と同じで、血を飲まなくとも“渇き”が顕れる事はありません。本来であれば、人間で言う六歳前後から遅くても九歳もしくは十歳までには必ず覚醒する筈なのですが、その歳まで覚醒していないと言うのは、些か信じられません……」
闇御前が、嘆息混じりに言った。
「信じられねえも何も、本当の事だから仕方ねえだろう。爺の話じゃ、俺が人間として生きて行ける様に、赤ん坊の頃に何かの呪を掛けたらしいんだが、どうやらそのせいで今まで覚醒しなかったらしいぜ」
「呪、ですか?」
闇御前は、更に驚いて呻く様に漏らした。
「御前、その様な事が……」
十兵衛が闇御前に尋ねる。
「ふうむ……。確かに神仙“李周礼”ならば可能かも知れませんね……。いったいどうやったのかは分かりませんが、武術の腕もさる事ながら、呪術のみで『屍鬼』を滅するあの呪力があれば或は……。やはり侮れぬ相手と言う事ですか…」
確かにとんでも無え爺だとは思っちゃいたが、コイツらがここまで感心するとは、俺なんかより爺の方がよっぽど化け物じゃねえかと思えてくる。
「でも今はどうなのです? 十兵衛の話では既に覚醒が始まったと聞いていますが……。何でも『屍鬼』を一人倒したとか……」
闇御前が言った。
ーーまたこの質問だ。
ーー爺と言い久保や佐々木のオッサンと言い、昨日から同じ質問ばっかりだ。
ーーもうイイ加減うんざりだぜ。
だいたい人にあれこれ自分の事を聞かれるのが嫌なのに、イイ女ならともかくこんな爺やオッサンにあれこれ聞かれると、いい加減ムカついてくる。
「そん時は気を失ってたから良く分からねえよ。確かに今は力が強くなったとか、暗い所でも目が見える様になったけどな……」
俺も、流石に闇御前の質問責めには嫌気がさして来た。
シャツやズボンのポケットを探るが、その時タバコが無い事を思い出した。
雨に濡れてベタベタにだったので、先程今の服に着替えた時に捨ててしまったのである。
無いと分かると俄然吸いたくなるのがヘビースモーカーの性だ。
「それよりタバコ持って無えか? 俺のタバコは雨に濡れてオシャカになっちまったからよ」
「こら、重ね重ね御前に対し無礼であろうが!」
十兵衛が慌てて怒鳴った。
だが半分呆れてやがるのか、目の奥が少し笑っている。
「良い良い。私も十兵衛もタバコは吸わないので持ち合わせはありませんが、直ぐにでも用意させましょう」
そう言って闇御前は、十兵衛に目配せで合図を送った。
十兵衛は一礼すると、闇御前が背にしている床の間へと移動し、置いてあるインターフォンのスイッチを押した。
「セブンスターだ。しかもソフトパックだぜ!」
俺は、十兵衛の背中に声を掛けた。
十兵衛は、俺の厚かましさに苦笑しながら、インターフォン越しに俺のタバコを注文すると、再び俺の横に戻った。
「では、タバコが来るまでの間に茶でも進ぜましょうか」
そう言って闇御前は、手際良く茶を立てる準備を始めた。
囲炉裏で炙られた南部鉄瓶からは、白い湯気が立ち昇り良い具合に沸いている。
準備する動作のひとつひとつが流れる様で、優雅とも言える茶を立てる所作にも、澱みが全く無い。
闇御前は手際良く二杯の抹茶を立てると、俺と十兵衛の前へ“すうっ”と差し出した。
見ると抹茶の表面がこんもりと泡立ち、小さな小山になっている。
「素人の手遊びですが、冷めない内にお上がりなさい」
そう言って闇御前は勧めた。
「頂戴致します」
十兵衛は茶碗を手元へ寄せると、手の平の上で茶碗を回し三度に分けて飲み干した。
懐から取り出した和紙で飲み口を拭い再び茶碗を逆方向へ回すと、床の少し離れた場所へ手を伸ばして置いた。
「結構なお点前で御座いました」
十兵衛が一礼した。
続いて俺も茶碗を口に運ぶ。
無論片手でがぶ飲みだ。
作法なんて知らねえしするつもりも無え。
俺は“ごくごく”と一息に飲んだ。
温くも無く熱過ぎもせず、丁度飲みやすい温度だったが、何でこんな物が美味いんだか理解出来ねえ。
「お口に合いませんでしたか?」
俺の心を見透かしたの様に闇御前が聞いた。
「どうせならビールの方が良かったな」
俺はぬけぬけと言った。
「フォッ、フォッ、フォッ、正直な小僧ですね」
闇御前が楽しそうに笑った。
そうしてる間に、さっきの女が俺の注文したタバコを運んで来た。
十兵衛が女から受け取り俺へと渡す。
「タバコ代はツケといてくれ!」
そう嘘吹いて、俺はタバコを受け取ると、おもむろに封を開けて空かさず一本取り出し口に咥えた。
俺は、先程着替えた際に持って来た自分のライターでタバコに火を点けた。
紫煙を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
俺は黙ったまま、この行為を二、三度繰り返した。
闇御前と十兵衛は、黙って俺を見ている。
俺は、ゆっくりと闇御前に目を遣った。
「オメエらが、何の為に俺を呼んだのかは知らねえが、俺からも聞いて良いか?」
俺は、タバコの灰を囲炉裏の中に落とした。
「構いませんよ……」
闇御前の細く窪んだ皺の様な目が開き、真っ直ぐ俺を見詰めた。
見ているだけで、底知れぬ闇に引き擦り込まれそうな目だ。
「まず俺の親父の事を教えてくれ」
俺も闇御前の目を真っ直ぐに見詰め返した。
闇御前の暗い穴の様な目の奥には、過ぎ去った過去を懐かしむ様な“色”が、微かに揺らめいていた。
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。