第十二章1:魔城
第十二章
『魔城』
1
闇が強調された部屋であった。
二本の燭台に燈された明かりのみが、部屋の中を薄暗く照らし出している。
その為に部屋の隅に蟠った闇が、色濃く沈着している様だ。
闇御前の茶室である。
床に設けられた囲炉裏には、いつもの様に南部鉄瓶が下から火で炙られ白い湯気を立てていた。
蝋燭の火が、三人の男を不気味に映し出している。
一人は闇御前だ。
深い皺に影が溜まり、その表情を窺い知る事が出来ない。
闇御前は、きっちりと正座して上座に座っていた。
闇御前と対峙する様に、二人の男が座っている。
二人とも、六十代半ばを幾らか過ぎた初老の男だ。
二人とも恰幅が良く、頬の肉が弛んでいる。
顔の表面に浮いた脂が、蝋燭の炎でてらてらと照らされ、鈍い光沢を放っていた。
二人共、テレビや新聞等で良く見る顔だ。
一人は、現役の第九十三代内閣総理大臣、梶浦征太郎である。
もう一人は、梶浦の盟友で現法務大臣の大八木寛だ。
梶浦政権は、現在支持率が10%を割り込み最悪の状態となっていた。
更にアメリカに単を発した世界同時不況の煽りを受け、目立った打開策も打ち出せない為に株価や土地価格の下落、失業者や自殺者の増大を止める事が出来ず、支持率の低下に拍車を掛けていた。
そこへ閣僚の不祥事や政治と金の問題が浮上し、噂されている総理大臣の辞任と内閣の解散及び総選挙の話題が現実味を帯びて来ている。
ただ今の支持率では、与党が再び政権を取るのは難しく、その為に総選挙を先延ばしている事は、誰の目にも明らかであった。
法務大臣の大八木も、この度施行される裁判員制度の見直しや、警察官の不祥事、更には政治献金の捜査での検察の取り組み方が問題として取り沙汰され、世間の衆目を集めている真っ最中である。
二人は、脂ぎった顔に冷汗を浮かべ、困惑した表情で闇御前の顔を凝視していた。
「そのような事を申されましても、高野山は世界遺産にも登録されている重要文化財で、人口四千人以上の宗教都市ですぞ。僧侶の数だけでも千人を越します。そのような場所を襲撃される事など、幾ら御前様のご命令であっても承服致しかねますぞ」
梶浦は、額の汗をハンカチで拭いながら言った。
驚きと恐怖がないまぜになった表情で、仕切りに汗を拭っている。
それもその筈だ。
闇御前は、高野山を襲撃するから黙認するだけでなく、自分達の存在が表に出ないよう警察やマスコミを含め隠蔽工作をしろと言っているのだ。
幾ら闇御前の権力が絶大であっても、これはあまりに無理な申し出である。
暴挙などと言う生易しいものではない。
「勘違いをしては困ります。私はお前達に承諾を求めているのではありません。これは命令なのですよ」
闇御前は、このとんでもない申し出を、至極当然と言った口調でさらりと言って退けた。
「しかしそうは言われましても……」
梶浦は、承服する事が出来ず言い澱んだ。
「それに何も、お前にやれと言っているのではありません。ただ事が終わった際に、宿泊客の失火が原因で高野山全体が山火事となり、僧侶や宿泊客、並びに関係者や町人数千人程度死亡したと言う事にしてくれれば良いのです。それに必要な資金や人員はこちらで用意します。お前達は、それが正式な見解であるとして公式発表をし、警察の統制やマスコミを誘導してくれれば良いのです」
「そうは申されましても、我が国は法治国家で言論の自由も認められております。それに先程も申し上げました通り、高野山は世界遺産にも指定された重要文化財でありますれば、世界からの注目も高く、全てを隠蔽するのは大変困難かと……」
梶浦は恐る恐る言った。
「黙りなさい」
闇御前はぴしゃりと言った。
“ひぃっ”
梶浦は小さく悲鳴を上げて怯えた。
「隠蔽の方法など、そのような事はお前達が考えれば良い事です。その為の資金や人員は提供すると言っているのですよ。それで出来ぬと言うのであれば、我々はお前達を政権の座から引きずり落ろし、新民生党を政権の座に就けるだけの事です。丁度十八年前と同じ様に……」
「御前!」
「御前様!」
梶浦と大八木は、慌ててほぼ同時に声を上げた。
「それに、この話を聞いて断ると言うのであれば、お前達をこのまま捨て置く訳にも行きませんね……」
闇御前は、殊更押し殺した声で“ぞろり”と言い放った。
“!?”
“!?”
最早二人共、恐怖で声も出ない様だ。
ただただ顔を恐怖に引き攣らせ、滝の様な冷汗をだらだらと流し続けている。
小心者の大八木は、呼吸すら満足に出来ない様であった。
「さあどうしますか? お前達の内閣は既に死に体ですが、私に力を貸して与党の座に居座り続けるのか、それとも政権も政治家としての生命も投げ出し、我々の餌となって醜い屍と化すか、お前達の良い方を選択しなさい」
闇御前がきっぱりと言った。
闇御前の殺気に反応したのか、蝋燭の炎がゆらゆらと揺らめき、闇御前の顔を更に不気味に映し出している。
「分かりました。仰せの通りに致します」
そう言って、二人は頭を下げた。
茶室を沈黙が包んだ。
鉄瓶の湯の沸く音だけが響いている。
その時、静寂を破り突然電子音が鳴り響いた。
梶浦と大八木は、あまりの驚きに身体を“ビクン”と震わせた。
闇御前が、平然とした態度で電話のスピーカーフォンのボタンを押す。
『御前様、お話中申し訳ありません。柳生様からお電話が入っております』
スピーカーフォン越しに、いつもの若い女性の声が響いた。
「繋ぎなさい」
闇御前はそう言うと、受話器を取りスピーカーフォンのスイッチを切った。
『もしもし、ご命令通り御子神恭介の息子を見付けました。今から御前様の下へ連れて参ります』
十兵衛は手短に用件だけを伝えた。
「そうですか、思ったより早かったですねぇ。さすがは十兵衛と言った所ですか」
『本日は、総理大臣の梶浦と法務大臣の大八木にお会いになるとの事でしたが、宜しかったでしょうか?』
十兵衛が尋ねた。
「いえ、もう話は済みました。今すぐ来られるのですか?」
『はい。今から同行し御前様の下へ連れて参ります』
「分かりました。楽しみにしていますよ」
そう言うと、闇御前は受話器を戻した。
「ふぉふぉふぉ、楽しみですねえ……」
闇御前は、遠くを見据えるかの様に、皺の様な目を更に細め含む様に笑った。
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。