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第十一章1:十兵衛

     第十一章

     『十兵衛』

      1

 鉄二は、雨の中を恭也がバイトしていた『ヘブンズ・ドア』へとバイクを飛ばしていた。


 今朝行ったばかりではあるが、その時と今ではまるで状況が違う。


 今朝の態度からして、恭也がバイトに出ているかどうか定かではない。


 だが三上が、『ヘブンズ・ドア』の事を話してしまった以上、その男を恭也に会わせる訳にはいかないと言う思いが、今の鉄二を衝き動かしていた。


 しかもそれだけではない。


 ヴァンパイアは、シゲを殺した仇なのだ。


 無論、例えその片目の男がヴァンパイアだったとしても、その男がシゲを殺した直接の犯人ではない事は恭也の話からも分かっている。


 シゲの件でヴァンパイア全てを憎むと言うのは、殺人事件が起きたからと言って、その犯人だけでなく人類全体を憎むのと同じだ。


 シゲを殺したヴァンパイアが憎いからと言って、ヴァンパイア全てを憎むと言うのは筋が違う。


 無論そんな事は分かっている。


 分かってはいるのだが、シゲの無念を思うとヴァンパイアと言う“種”に対するどうしようもない怒りが、沸々と沸き起こってしまうのだ。


 では片目の男に会えたとして、自分はどうしたいら良いのか?


 実際その男がヴァンパイアであった場合、ヴァンパイアの能力が恭也の言う通りであれば、自分一人では何程の事が出来る筈も無い。


 闘って勝てる保証は何処にも無い。


 かと言って、恭也と会わない様に頼んでも、聞くような相手で無い事は重々承知している。


 何も出来ない……。


 何をどうすれば良いのかすら分からない。


 だがそうは思っても、身体が……心が、鉄二の気持ちを煽る様に急かし立てているのだ。


 鉄二は、追い立てられる様に更にバイクのアクセルを開いた。


 依然雨は強く降り続き、飛礫の様な雨が激しく顔を叩く。


 しかしそれさえも、滾る様な鉄二の衝動を抑える事は出来なかった。


 駅前の通りは既に車も少なく、歩道を歩く人影も疎らになっている。


 そこの信号を右折すれば、『ヘブンズ・ドア』は目と鼻の先だ。


 鉄二は、信号の右折の矢印が消えた交差点へと、強引に右折しようと突っ込んだ。


 雨に濡れたアスファルトにタイヤを取られ、後輪が僅かに流れる。


 だが巧みなハンドリングと絶妙なバランス感覚で何とか切り抜けた。


 駅前通りの裏に入ると、『ヘブンズ・ドア』の入っている雑居ビルが見えてきた。


 鉄二は、『ヘブンズ・ドア』のある雑居ビルに到着すると、ビルの入口の脇にバイクを止めた。


 今朝来た時と同じ場所である。


 バイクを止めた瞬間、今朝恭也が見せた、苦悩に満ちた表情が再び脳裏に浮かんだ。


 いつも身勝手で、自信過剰で脳天気な恭也が、初めて見せた哀しげで寂しそうな顔……。


 自らを責め、苦しみの只中にある恭也の境遇と心情を思い、思わず鉄二は唇を噛んだ。


 ヘルメットを脱いで辺りを慎重に見渡したが、富川の言う片目の男の姿は見えなかった。


 目に付くのは、派手な衣装に身を包んだ女達と酔っ払った男ばかりだ。


 丁度この時間は、スナックやクラブ等が店を閉める時間帯で、店を閉めて出て来たママやホステス達が通りに溢れていた。


 酒が入っているせいか、皆話す声が妙に大きい。


 更には閉店まで粘っていた客が、目当てのホステスを次の店へと仕切りに誘っていた。


 普段であればいつもの情景と気にも止めない所だが、今の鉄二のとっては唾棄したくなる程の苛立ちや怒りを感じた。


 鉄二は、ビルの出入口に置かれている電光の置き看板に蹴りを入れると、凄まじい表情でその一団を睨み付けた。


 激しい破砕音に驚いた客や女達の一団が、一斉に鉄二へ視線を浴びせる。


 しかし鉄二の凄まじい形相に怯え、誰もが直ぐさま目を逸らせた。


“ケッ”


 それを見た鉄二は、苛立ちを顕に唾を吐いた。


 怯える一団が足速に立ち去るのを見送ると、鉄二は『ヘブンズ・ドア』のある地下へと階段を降りて行った。


 この期に及んでも、どうすれば良いのか何も方策が立っていない。


『ヘブンズ・ドア』の前に立った鉄二は、心を落ち着けようと大きく深呼吸をした。


 そして色のくすんだ真鍮製の取っ手に手を掛け、意を決した様に手前に“グイッ”と引いた。


 扉を引くと、“ギィィィッ”と軋む音を立てて扉が開く。


 薄暗い店内には紫煙がもうもうと立ち込め、マイルス・デイビスの『ROUND MIDNIGHT』が流れていた。


 カウンターの中には見馴れたマスターの顔があったが、思った通り恭也の顔は何処にも無かった。


「いらっしゃいませ……」


 鉄二の顔を見たマスターが、低いトーンで声を掛ける。


 鉄二はこの店の常連だ。


 いつもであれば、『よう、テッちゃんいらっしゃい!』とにこやかな笑顔で声を掛けて来るのだが、今夜はいつもと様子が違う。


 まるで鉄二を、一見客でも見る様な目付きで見ている。


 鉄二は、店内の異様な雰囲気を感じ取った。


 扉を開けたままの状態でその場に立ち止まり、店内の様子を伺う。


 カウンターには五人の客が座っていた。


 その内の三人は、鉄二にも馴染みの常連客だ。


 普段なら声を掛けて来る筈だが、今日は何処かよそよそしい態度で声を掛けて来ない。


 鉄二は、後ろ手に扉を閉め正面のカウンターへと歩を進めた。


 びしょ濡れの革ジャンやブーツから雨水が滴り、店の床に小さな水溜まりを作って行く。


 ゆっくりとした足取りで鉄二がカウンターに近付くと、カウンターの端に座っている男の顔が目に入った。


 その男は、黒い詰め襟の上着を纏い、揃いの黒いスラックスを穿いていた。


 しかも片方の目には、富川が話していたように黒い革製のアイパッチをしている。


ーーこの男だ!


 鉄二の心臓が“ドキリ”と跳ねた。


ーー間違いない!


 富川や三上が話していた男が、間違いなくそこに居た。


 やはり恭也のバイト先を三上から聞き出した後、この店へ恭也を尋ねて来たのだ。


 ただそこに居るだけの筈なのに、片目の男の異様なまでの迫力が、マスターや他の客達にプレッシャーを与えていた。


 片目の男=即ち“柳生十兵衛三厳”である。


 無論鉄二は、この男があの有名な柳生十兵衛である事を知らない。


 十兵衛は、鉄二の視線に気付き僅かに振り返った。


 殊更凄んだ訳でも無いのに、凄まじいまでの威圧感だ。


 鉄二は、気力が萎えそうになるのを必死で堪えた。


 その鉄二の精神作業を感じ取った十兵衛は、一瞬不思議そうな表情を作ったが、思い当たった様に“ニヤリ”と不敵な笑みを浮かべた。


 鉄二の全身を血が駆け巡った。


「ちょっ、ちょっとお客さん……」


 マスターは、鉄二がここに来た理由を知らない。


 二人から不穏な空気を感じ取ったマスターは、わざと鉄二の名前を伏せて声を掛けた。


 やはりマスターは、既に十兵衛から恭也の事を聞かれていたのだ。


 他の客達も、同様に恭也の事を聞かれたに違いない。


 そして十兵衛の只ならぬ雰囲気から、恭也に危険が迫っているのを察知したマスターは、鉄二に対してもわざと一見客の様に振る舞う事で十兵衛と鉄二の接触を避けようとしたのだ。


 名前を呼ばなかったのもその為である。


 だがマスターの気遣いを他所に、鉄二は十兵衛に近付いた。


 マスターが、慌ててカウンターから飛び出そうとする。


 カウンターに座っていた客達も、その只ならぬ様子に怯え、二人から離れるよう席を立ち上がった。


 鉄二は、カウンターの脇から飛び出そうとするマスターを、無言のまま手を上げて制した。


 十兵衛は、未だ座ったまま鉄二をじっと見詰めている。


「お前だな。恭也を捜してるって言う奴は……」


 鉄二は、十兵衛を凄まじい形相で睨みながらドスの効いた声で言った。


 さすがに暴走族の頭を張るだけの事はあって、凄まじい迫力と威圧感だ。


「ほう、なかなかの物だな」


 十兵衛は、叩き付ける様な鉄二の気を、何食わぬ顔でさらりと受け流した。


「答えろ!」


 鉄二が吠える。


「なる程、先程の小僧の仲間か。俺に仲間の敵討ちでもしようと言うのかな……?」


 十兵衛が不敵に笑う。


「まあそんな所だ……」


 鉄二は、自分を奮い立たせ言った。


 幾ら鉄二でも、相手がヴァンパイアであれば恐怖に囚われるのも当然である。


 だが恭也への友情と、シゲの事でのヴァンパイアに対する怒りが、萎えそうになる鉄二を踏み止まらせていた。


「止めろ! その男と関わるんじゃない」


 必死の形相でマスターが叫ぶ!


「すまないマスター。俺はこの野郎に用があるんだ……」


 鉄二は、十兵衛を睨んだままわざとマスターの顔を見ずに応えた。


「お前……」


 マスターが、呻く様に漏らした。


「面白い小僧だな。先程の言い方からして貴様……、御子神恭也の事を知っているな……?」


 そう言って、十兵衛がゆっくりと立ち上がった。


 十兵衛の尋常じゃない迫力に気圧され、鉄二が一歩後退る。


「後でマスターに詳しく聞こうと店が終わるのを待っていたが、丁度良い! 貴様から御子神恭也の事を聞かせて貰うとしようか……」


 十兵衛は、鉄二へと一歩踏み出した。


「まっ、待ってくれ! 恭也が此処でバイトしていたのは確かだが、先程も言った様にもう店を辞めた。それに彼は、この店で恭也と知り合っただけで、恭也の事は何も知らないんだ!」


 マスターは、二人の間に入り必死に鉄二を庇った。


「良いんだマスター。恭也の事は勿論、俺はこの男に用があるんだ」


 鉄二は“ガン”として言い放った。


「ふっ、そう言う事らしいぞマスター。それで小僧、何処で話をするのだ?」


 十兵衛が言った。


「此処では皆の迷惑になる。付いて来て貰おうか……」


 鉄二は、背にした扉を親指で指した。


「ふふふ、良かろう……。マスター、飲み代と迷惑料だ」


 そう言って、十兵衛は懐から黒い長財布を取り出し、その中から一万円札を五枚程抜き取ると、投げる様にカウンターに置いた。


「じゃあ行こうか」


 十兵衛が鉄二の肩を叩く。


 鉄二は、黙ったまま店の扉へと向かった。


 十兵衛もその後に続く。


「テ、テッちゃん!」


 マスターは、心配そうに鉄二の背中へ声を掛けた。


「悪かったな、また来るよ……」


 鉄二は、振り向く事無く背中越しに応えた。


 再び扉を押し開き店を出る。


 続いて、十兵衛も店を後にした。


 マスターと残った客達は、鉄二達の背中を為す術も無く見送る事しか出来なかった。


 誰も口を開こうとしない。


 沈黙が、店を支配していた。


 既にBGMは、二曲目の『AH−LEU−CHA』に変わっていた。

この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。

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