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男は、少し色が褪せ始めた木製の扉の前に立っていた。
かなり頑丈な造りの扉で、取っ手や上下二カ所に設置された鍵の部分は真鍮製だ。
家やアパートの玄関等に使われる捻るタイプのドアノブではなく、太い真鍮製のパイプをコの字に曲げて取り付けた、店舗等で良く見るタイプの取っ手である。
本来金色に近い筈の真鍮製の取っ手は、多くの人間の手垢や脂で汚れ、その輝きを失っていた。
特に凝った装飾が施されている訳でも無く、飲食店等で良く見る平均的な木製の扉だ。
男はその扉の前に立ち、扉の上に取り付けられた看板を眺めていた。
この雨で幾分涼しくなっているとは言え、この蒸し暑い中黒い詰め襟の上下でしっかりと身を固め、片方の目を黒い革製のアイパッチで覆っている。
男が手に下げた傘の先からは、雨の雫が滴り落ち床に小さな水溜まりを作っていた。
ここは古びた雑居ビルの地下だ。
今男が立っている店の他には、二軒のうらびれたスナックが入っている。
どちらの店も、まだ営業時間中であるに関わらず、中は“しん”と静まり返っていた。
どうやらあまり客は入っていない様だ。
男が立っている店からは、数人の男性客の笑い声が、扉の内側から聞こえてくる。
男は、鈍く光る真鍮製のドアノブに手を掛けた。
軋む音を立てながらゆっくり扉を開けると、男は店内へと足を踏み入れた。
男が潜った扉の上には、黒い長方形のアクリル板を箱型に組み、中に電球を施した看板が掲げられている。
そこには白抜きの文字で、『BAR HEAVEN’S DOOR』と記されていた。
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。