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東京は雨の中であった。
無論、高野山の様な嵐ではないが、強い雨が断続的に降り続いている。
黒田鉄二は、駅から少し離れたコンビニの軒下で、独りショートホープを吹かしながら雨宿りをしていた。
ひたすら雨の中をバイクで走った為、全身がずぶ濡れである。
黒いライダースの革ジャンと同じく黒の革パン、更には黒のライダースブーツを履いているに関わらず、中のTシャツや下着までが雨と汗でぐっしょりと濡れていた。
全身がやけに重い……。
だがそれは、雨に濡れているからだけではなく、今朝恭也から聞かされた現実が、鉄二の心に重くのし掛かっているからであった。
時刻は、既に深夜零時を回っている。
鉄二は、恭也と別れた後愛馬のハーレダビドソンのXLH883カスタムを駆り、何かを振り切る様に走り続けた。
だが結局は、何も振り切る事は出来なかった。
一時的にでも現実から目を背ける為アクセルを開いたが、恭也から聞かされた現実はまるで岩の様に重く、バイクを幾ら飛ばしてもその程度で得られる風では、意識の外へ吹き飛ばす事は出来なかった。
鉄二が、短くなったタバコを入口に置いてある灰皿へ投げ込んだ時、革ジャンの内ポケットに仕舞い込んだ携帯が音を立てて鳴った。
別に電話に出る気も無く携帯を取り出すと、サブディスプレイに映し出された着信相手を確認した。
着信相手は、鉄二の率いる暴走族『ブラッディ・クロス』のメンバーの富川からであった。
鉄二は、着信相手の確認をしただけで無視しようとしたが、その電話は一向に切れる気配が無かった。
ふとシゲの事を思い出し悪い予感に駆られた鉄二は、ザワつく胸を押さえながら電話に出た。
『もしもし、鉄二さんですか! 良かった、やっと繋がった!』
電話の向こうで、富川の声が慌てている。
鉄二は、更に悪い予感に囚われた。
「どうした? 何があった!」
悪い予感が鉄二を焦らせ、自然に声が大きくなっている。
『今三上達と駅前に居るんスけど、ナンか変な野郎が、恭也さんの事アレコレ聞いて来やがったんスよ!』
「何、変な野郎だと?」
鉄二は、眉間に皺を寄せた。
悪い予感がどんどん膨らみ、心臓の鼓動が加速して行く。
「で、どんな奴だ?」
『片目で妙に迫力のあるオッサンです』
「片目だと……」
『はい。何て言うんスかアレ。眼帯じゃねえし、とにかく海賊が付けてるみてぇな……』
そう言って記憶を探ろうとする富川に、鉄二は苛立った。
「そんな眼帯の名前なんかどうでも言い! で、そいつは何と言ってたんだ!」
鉄二は、苛立ちをあらわに大声で富川を怒鳴り付けた。
『は、はい! そいつは恭也さんを知っているかって聞いて来たんスけど、俺は知らねえって答えたんです』
富川は、怯えた様に話した。
「良し! お前は知らないって答えたんだな!」
『は、はい。でも……』
富川の声のトーンが急に鈍った。
「でも何だ? ハッキリ言え!」
鉄二が、更に大声で怒鳴る。
『ス、スミマセン! さっき三上達と合流したんスけど、三上達もその野郎に恭也さんの事を聞かれたみたいで……』
「何だとう! 三上はそこに居るんだな! 代われ、今すぐ代われ!」
鉄二の怒声がコンビニの中まで届いたらしく、店内の客や店員が、怯えた表情で鉄二の様子を伺っている。
『スンマセン! 黒田さんスンマセン! スンマセン……』
電話の向こうでは、富川と代わった三上が必死で詫びている。
「バカ野郎! テメエ、恭也を売るとはどう言うつもりだ!」
鉄二が、大声で三上を怒鳴りつける。
『スンマセン、本当にスンマセン。で、でも……、そいつに木下がヤラれちまって……』
三上の声は怯えて震えていた。
「木下が? どう言う事だ!」
『俺達がゲーセンから出て来た時、そのオッサンが御子神さんを知らないか? って声を掛けて来て……』
「それで!」
『で、そのオッサンの聞き方が生意気だったんで、木下の奴がオッサンをシメようとしたんです。そうしたら……』
三上が言い澱んだ。
「そうしたら、どうしたんだ!」
鉄二が先を急かす。
『木下が、オッサンの胸ぐらを掴もうとして、気付いたらもう木下がぶっ倒れていたんです』
「気付いたらって、どう言う事だ!」
『そん時は、俺達も何が起こったのか全然分からなかったんですけど、木下は倒れたまま気ぃ失っちまってて……、後で聞いたら、オッサンに掴み掛かろうとした瞬間腹に爆発したみてぇな衝撃があったって……』
「それで木下がヤラれたから、テメェ等ビビって恭也の事を喋ったのか!」
『ス、スンマセン!』
三上は、泣きそうな声で詫びた。
「それで、恭也の事を何て喋ったんだ?」
詫びる三上を無視して、鉄二は三上が話した内容を聞いた。
『その野郎、御子神さんが今何処に居るか知らないかとか、何処に住んでるかとか、色々としつこく聞きやがるんで、俺御子神さんが何処に住んでるかなんて知らないし……、今居る場所なんて全く分からないから、御子神さんがバイトしてる店を教えたんです……』
「バカ野郎ーーっ!」
鉄二が、再び大声で怒鳴った。
しかしその裏では、三上達がその男にビビった事に納得する自分もいた。
木下は、死んだシゲ程ではないが、鉄二とシゲを除けば、チームでも五本の指に入るイケイケだ。
その木下を一発で眠らされたとなれば、三上達がビビるのも無理はない。
そんなマネが出来るのは、鉄二の知る限り恭也だけだ。
断定は出来ないが、その片目の男はヴァンパイアに違いない。
そうであれば、今三上達が生きている事こそ僥倖であった。
『……しもし、もしもし、黒田さん、聞いてますか?』
鉄二が考えを廻らせていると、携帯から三上の呼ぶ声が聞こえた。
「あっ、ああ……。聞こえてるぞ」
鉄二は、慌てて答えた。
『良かった。急に黙るんで何かあったかと思いましたよ』
「ああ、ちょっと考え事をしててな……」
鉄二が言った。
先程までと比べて、だいぶ声のトーンが落ちている。
『だからそのふざけたオッサンをボコってやろうと思って、今富川や他の連中にも声掛けて、いつもの場所へ向かうところなんですよ!』
先程までの態度と打って変わり、三上が鼻息を荒くして言った。
木下の敵討ちの意味もあるだろうが、先程ビビた事で潰された己の面子を、必死で取り戻そうと躍起になっているのだろう。
「バカ野郎! そいつには手を出すんじゃねえ! バカな事考えずにとっとと解散しろ!」
鉄二は、慌てて怒鳴り声を上げた。
『エッ? で、でも……』
三上が、戸惑った様に声を鈍らせる。
「良いか! そいつだけは絶対手ぇ出すんじゃねえ! 木下の事は、相手の力も分からず最初に手ぇ出そうとしたアイツの自業自得だ。 それに、恭也からそいつの事は聞いている。だから絶対手を出すんじゃねえぞ! これは命令だ!」
鉄二は“ガン”として言い放った。
『……』
しばし沈黙の後、
『分かりました……』
三上は、小さく返答した。
声を聞く限り全く納得していない様子ではあったが、頭の命令は絶対であり、皆を従わせるだけのカリスマと実力を鉄二は有していた。
「じゃあ今すぐ解散しろ! 分かったな!」
鉄二はそう言って電話を切った。
そして、そのまま携帯のアドレスを括る。
鉄二は、アドレスのカ行を開いた。
そこには“恭也”の名前があった。
鉄二は“恭也”のアドレスを開くと、発信ボタンに指を掛けた。
しかし、ボタンを押す直前で、鉄二は携帯を閉じた。
ーーダメだ、ソイツを恭也に会わせる訳にはいかねえ。
鉄二は、強く拳を握り締めた。
胸には、ヴァンパイアに対する怒りが渦巻いている。
鉄二は、雨の中を急いでバイクに跨がると、おもむろにエンジンに火を入れた。
野太いトルクの音が、夜の街に響き渡る。
けたたましい爆音を轟かせ、鉄二は雨の中を走り出した。
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。