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「止めよ、大角。その者は敵ではない」
慈海は、獣吾と組み合っている巨体の僧に向けて言った。
巨体の僧=大角は、油断無い視線を獣吾に浴びせながらゆっくりと、そして慎重に獣吾から離れた。
獣吾も、大きく息を吐いた。
風雨は依然として強く、木々が強風に煽られ悲鳴を上げている。
獣吾だけでなく、その場に居る全員が、既にびしょ濡れの状態になっていた。
「いったい何があったのじゃ?」
李は、辺りを見渡しながら獣吾に尋ねた。
雨に濡れ、水溜まりとなった地面には、今三人の男が屍を晒している。
その内の一人は顔を粉砕され、もう一人は首が千切れ掛かっていた。
最初に蹴り飛ばされた男も、左目の眼球が僅かに飛び出し、耳からも血を流し死亡していた。
恐らくは、頭蓋骨が陥没しているに違いない。
「これは……」
佐々木は、この惨状を目にして思わず呟いた。
この時佐々木は、改めて獣人の戦闘力の凄まじさを思い知らされた気がした。
「いったい何が、どうしてこうなったのじゃ?」
再び、李が獣吾に尋ねる。
「それが、俺にも良く分からねえんだ……」
獣吾は、首を傾げながらぼそりと言った。
「何じゃと?」
「俺が車の中で爺さん達を待ってたら、いきなりさっきの車がやって来て、それで中からコイツらが降りて来たんだけどよ、その内の二人が俺の車を調べに来て、俺が爺さん達を待ってるって言ったら、いきなり襲って来やがったんだ……」
獣吾が、ぼそぼそと説明した。
どうやら要点をかい摘まんで説明するのが苦手らしい。
「何じゃ? よう分からぬが、要するにあ奴らが車で乗りつけて来て、いきなりお主を襲って来たと言う事じゃな?」
焦れる様に、李が要約した。
「う~ん、まあそんな事の様な、少し違う様な……」
獣吾は、困った様に口篭った。
「慈海様、この男は……?」
大角が、慈海の横に居並び尋ねた。
大角が横に立つと、小柄な慈海が更に小さく見える。
大角の身長は、獣吾と同じく二メールを上回り、体重も恐らくは百三十キロを裕に超えているであろう。
一見太っている様にも見えるが、黒い僧衣の襟元から覗いている浅黒い肌の下は、極限まで鍛え上げられた筋肉がぎっしり詰まっているであろう事は、先程の獣吾との組み合いから見ても容易に想像が付いた。
年齢は四十代とも五十代とも取れ、見た目だけでは判断が付かない。
剃髪した頭はごつごつとした岩の様で、所々に縫った様な傷跡が幾筋も残っていた。
四角く大きな顔には、長く太い眉毛と大きく鋭い目、そして胡座を掻いた大きな鷲鼻が居座っている。
分厚い唇を有した大きな口は、鼻の下から伸びた泥棒髭に覆われていた。
どう見ても、昔の悪役のプロレスラーにしか見えない。
「この者は……」
慈海が、大角の問いに答えようとした瞬間、別の人間が会話に割って入った。
「その男、ただの人間ではありませぬぞ!」
二人の会話に割って入ったのは、先程ヴァンパイアの南部と対峙していた小柄な僧であった。
逃走する車に投げ付けた戦輪を拾い、慈海達の下に戻って来たのである。
「これ小角、控えなさい!」
慈海は、厳しい表情でこの小柄な僧=小角を一喝した。
「はい……」
小角は、納得の行かぬ顔で短く返事をすると、そのまま押し黙った。
小柄な体格や顔だけを見るとまるで子供の様にも見えるが、その表情は大人びた物であり、声は多少高めであるが、確かに声変わりを終えた男の声であった。
大角同様、いやそれ以上に年齢不詳である。
綺麗に剃髪された頭部と色白で透き通る肌。
眉毛も薄く無毛に近い為、全体的に“つるん”とした茹卵を思わせる顔立ちだ。
だが低く小さな鼻や唇の薄い小さな口に比して、目だけが異様に大きい為えらくバランスを欠いた顔と言えた。
身長は一メートル四十センチを幾らか超えた程しかなく、体重も四十キロを切っている様に見える。
実際に、李や慈海よりも小柄だ。
だが先程の身のこなしや戦輪の扱い方を見れば、この小角がただ者でない事は一目瞭然であった。
実はこの小角と大角、そして昼間慈海と話していた円角を合わせた三人が、高野山で最強と謳われる高野三儀天なのである。
「久しぶりじゃのう大角殿、小角殿」
李がにこやかな笑みを浮かべ二人に声を掛けた。
「こちらこそご無沙汰しております」
「ご挨拶が遅くなり失礼致しました」
大角と小角は、各々李と佐々木に挨拶をし頭を下げた。
だが獣吾には、警戒するかの様に様子を伺っている。
それを見た獣吾は、わざと不敵な笑みを浮かべ二人を挑発した。
「これ、わざと挑発するでない!」
李は、獣吾が二人を挑発しているのを見て諌めた。
「へへ、分かってるよ」
獣吾は、悪戯っぽく笑った。
無論、李も獣吾が本気でない事は分かっている。
だが立場上、止めない訳にも行かない。
「困った奴じゃのう」
李がぼそりと呟いた。
佐々木も苦笑している。
「お主が“防人”の以蔵の養子だな?」
慈海が獣吾に尋ねた。
ひどく優しげなその目には、今は亡き友への哀愁が漂っている。
「あんた、俺の爺さんを知っているのか?」
「ああ無論だ。何せ儂と以蔵は古くからの飲み友達でな、昔はこのインチキ仙人と三人で酒を酌み交わしたものよ……」
慈海は、当時を回顧する様に、懐かしさと寂しさで目を細めた。
それに比べ、“インチキ仙人”と罵られた李は、口を尖らせブツブツと不平を鳴らしている。
「そうだったのか……。爺さんの昔の友達に会えて嬉しいよ。そう言えば自己紹介がまだだったな。俺の名は当麻獣吾。知っての通り獣人だ……」
獣吾が言った。
「な!」
「馬鹿な……」
大角と小角は絶句した。
二人共、あまりの驚きに目を見開いたまま固まっている。
大角も小角も、獣吾が普通の人間でない事は分かっていたが、まさか絶滅した筈の獣人族の生き残りとは想像もしていなかったのだ。
しかも小角に至っては、獣吾の事を組織を裏切ったヴァンパイアだと勘違いをしており、この件も何らかの理由で高野山に逃げて来たヴァンパイアと、それを追って来たヴァンパイアとの仲間割れだと勝手に決め付けていたのである。
「良いか。この者は儂の知己である当麻以蔵の養子で、遠路遥々この御山まで来られた客人なのだ。分かったな」
慈海は、大角と小角の二人を厳しい口調で戒めた。
二人は“はい”と返事すると、再び獣吾に向き直った。
「当麻殿、失礼致しました」
「この度の非礼、どうかご容赦下され」
二人は、口々に詫びて頭を下げた。
「止せよ。もうそんな、イイって事よ。それに俺の事は獣吾と呼んでくれ!」
獣吾は、前に突き出た下顎を照れ臭そうにボリボリと掻いた。
「にしても……、昨日の今日にして、いきなりこの様な事になるとは……」
慈海は、転がる遺体に目を遣りながら呟いた。
慈海の言う昨日とは、昨日座主から主立った者のみに知らされた真の三種の神器の話と、それをヴァンパイア共の手から護る為に、昨夜から張り巡らせる事となった結界の事である。
つまりは昨日の出来事と、今のヴァンパイアの襲撃が、あまりにもタイミングが良すぎると言っているのだ。
「何かタイミングが良すぎますね……」
それまで黙っていた佐々木が低く漏らした。
「奴ら、いったい何をしに来たんでしょう?」
大角は、誰に聞くともなく呟いた。
「恐らくは偵察じゃろうが……。お主はどう思った?」
李は、隣の獣吾を見上げ問い掛けた。
「奴らが何かを始める前に殺り合っちまったから良く分からねえが、確かに偵察だったのかも知れねえなあ……」
獣吾は、事の成り行きを反芻しながら答えた。
「とにかく座主様に報告だ。小角、この事を座主様に報告して来なさい。それと、皆この雨でずぶ濡れだ。風邪を引かぬよう風呂と服の着替えを用意させなさい。あと、この獣吾殿は結界内に入れぬ。今宵はもう吸血鬼共の襲撃も無いだろうから、この辺り一帯と宿坊の結界を解いて頂くよう、座主様にお頼みするのだ。良いな」
「はい」
慈海がそう言うと、小角は李達に一礼し、直ぐさまその場を後にした。
瞬く間に姿が見えなくなる。
この雨で幾ら視界が悪いとは言え、やはり凄まじい身の軽さだ。
「大角!」
小角が走り去ったのを確認すると、慈海は大角に声を掛けた。
「はい」
大角が、その体格に見合った野太い声で応じる。
「お主は誰か手の空いてる者を呼び、この者達の遺体を手厚く弔ってやりなさい。例え吸血鬼に魂を売った者であっても、分け隔てる事無く弔い、その魂を救ってやる事こそ御仏の慈悲の心だ。分かったな」
そう言って、慈海は静かに目を閉じ合掌した。
「南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛……」
慈海が念仏を唱えると、大角もそれに倣った。
それに合わせ李や佐々木も手を合わせる。
「俺を怨んで化けて出るんじゃねえぜ……」
獣吾だけが、手を合わせる事なく独り呟いた。
依然雨は振り続き、強風が木々を揺らしている。
だが、その雨や強風でも流す事の出来ない現実が、重く全員を包んでいた。
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。