6
6
山道を降る車の中で、助手席に座るヴァンパイアの男が、ずぶ濡れのレインコートを脱いでいた。
最も濡れたレインコートのままで車に乗り込んだ為、シートは勿論助手席の周りも雨水でべったりと濡れ、しかもレインコートの中もぐっしょりと濡れている為に脱いでもあまり意味が無かった。
「貴様、何故加勢しなかった!」
ヴァンパイアの男は、素知らぬ顔でハンドルを握る男の横顔を、憎悪を込めた禍々しい目で睨め付けて怒鳴った。
男は、その怒声を無視するかの様に、黙ったまま運転を続けている。
短く刈った髪に四角い顔。
冷酷な爬虫類を思わせる細く鋭い目。
その男は、昨夜宇月光牙のマンションで、光牙と話していた斎賀と言う男であった。
レインコートを脱ぎ終えたヴァンパイアの男は、ぐっしょりと濡れた髪を手櫛で後ろに撫で付けた。
その顔は、以前夜叉姫など眠りに着いていたヴァンパイア達を光牙が目覚めさせた際に、光牙の後ろでボディーガードをしていた南部である。
「貴様、答えろ!」
南部は、烈火の如き怒りをぶつけた。
再びその瞳は充血し、牙が長く伸びている。
だが南部の怒りも当然と言えた。
南部達は、この酷い嵐の中で化け物の様な大男と闘い、大切なファミリアを三人も殺されたばかりか南部自身も危うい目に遭ったのだ。
それなのに、この斎賀は加勢に来ようともせず、一人だけ雨にも濡れず、ただ車の中で部下が死んで行くのを見ていただけなのである。
しかも今、何食わぬ顔で平然と運転している。
南部は、元々この斎賀が気に入らなかった。
だが、今はハッキリとした殺意すら抱いている。
自分が味わった恐怖と、ヴァンパイアとして敗北した事への屈辱が、南部の怒りに拍車を掛けていたのかも知れなかった。
「貴様っ!」
南部は、左手の指を揃えて手刀を作ると、斎賀の丸太の様な太い首筋へ突き立てた。
いつの間にか爪が長く伸びている。
南部の爪が、斎賀の喉を切り裂くかと思えた瞬間、南部の手が斎賀によって掴み捕られた。
「ぐっ!」
南部が低く呻いた。
南部の表情が苦痛に歪む。
まるで、万力の様な力が南部の手に加わっているのだ。
斎賀は、左手でハンドルを握りながら、空いた右手で南部の手を掴んでいた。
「は、離せ! 貴様!」
南部は、激痛から逃れようともがいた。
だが、斎賀の岩の様な手はビクともしない。
ヴァンパイアである南部がこうまで子供扱いされるとは、この斎賀と言う男、ただ者ではなかった。
「今は運転中だ。馬鹿なマネは止めろ」
斎賀は、そう言って掴んでいた手を離し、南部を“ギロリ”と睨み付けた。
南部の手には、くっきりとした指の痕が残っていた。
南部は、痕の付いた手を摩った。
「馬鹿力出しやがって……。ただ脅かそうとしただけだ。本気な訳けが無かろう……」
そうは言ったものの、実際に南部の瞳の奥には、禍々しい程の殺意が浮かんでいた。
「……」
斎賀は、南部の殺意をわざと受け流し、素知らぬ顔で運転を続けた。
「もう一度聞く。貴様何故助けに来なかった?」
南部は、再度同じ質問をぶつけた。
「俺は、昇月に渡りを付けた後で、実際高野山に張られている結界の強さを調べる事と、お前のファミリアが高野山を襲撃する際に必要な爆薬を仕掛けるのを確認するよう依頼されただけだ。それに、あの男が乗っていた車はエンジンが掛かったままだった。だから俺は、お前に作戦を中止するよう言った筈だ」
斎賀は、しゃがれた声で低く答えた。
その話し方は、台本を棒読みするかの様に何の抑揚も無く、顔には毛程の感情も浮かべてはいない。
「だが貴様が来れば、俺のファミリア達も死なずに済んだ筈だ。それにこれでは、光牙様の御命令を何一つとして果たしておらぬではないか!」
南部は、尚も食い下がった。
「そんな事は知らん。ただお前のせいで作戦が失敗したのは事実だ」
斎賀は、前方を見据えたまま無表情に答えた。
南部は、斎賀の言い分に納得が行かなかった。
「だが貴様が加勢していれば、あの男を始末する事も出来た筈だ! そうすれば、その後で任務を遂行する事が出来たかも知れぬものを!」
南部が更に詰め寄った。
「愚かな……。あれだけの騒ぎを起こした時点で作戦は失敗だ。それに俺は、あの男と闘う事まで依頼されていた訳じゃない……。それに……」
「それに?」
南部が怪訝な表情を浮かべる。
「……」
しかし斎賀は、何かを言い掛けたままそれ以上何も語らなかった。
斎賀達の車は、嵐の山道をただひたすら走り抜けて行った。
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。