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光牙は、昨夜と同じマンションのリビングに居た。
昨夜と同じ緋色のソファーに座っている。
ただ服装は昨夜と違い、グレーに細いストラップの入った3ピーススーツの上着だけを脱ぎ、ベストとスラックスの状態になっていた。
白いYシャツの襟元のボタンを一つ外し、派手過ぎない紫色のネクタイを少し緩めている。
現在時計の針は、正午を少し回っていた。
『貴族』である光牙は、太陽の光を浴びても平気な為、リビングの窓には薄いレースのカーテンが引かれているだけだ。
最も空は薄曇りの為に十分な太陽光は得られず、明かりを点ける程ではないが、部屋の中は薄暗さを感じた。
最も夜目が利くヴァンパイアにとっては、室内の明るさなどさほど気にならないのかも知れなかったが……。
光牙と対面する様に、向かい側のソファーには、神経質そうな男が座っていた。
年齢は三十代初めと言ったところか。
少しウェーブの掛かった髪を左右に分けている。
細面で尖った顎をしており、銀縁のスクエアタイプの眼鏡が、この男の知的で神経質な雰囲気を更に醸し出していた。
仕立ての良い濃紺のシングルスーツを細身の身体に纏い、同じく紺色のレジメンタルタイを絞めている。
光牙は、目の前の紅茶を一口啜った。
優雅な動作でカップをソーサーを戻すと、ゆっくりと脚を組み替えた。
能面のような顔には、いつもの涼しげな笑みが浮かんでいる。
「藤巻、保存血液の在庫はどの位あるのですか?」
光牙が聞いた。
「はい。現在『帝都グループ』傘下の血液銀行に保存されている保存用血液の量では、昨日お目覚めになられた方々の分も計算に入れますと、せいぜいもって半年だと思われます」
藤巻は、手にしたシステム手帳を括りてきぱきと答えた。
「そんなものでしょうね。御前が厚労省へ連絡を入れると言っていましたが、あちらからは何か言って来ましたか?」
「はい。今朝戸部から連絡があり、他の血液銀行からも出来るだけこちらに回して貰える事になりました。ですが……」
藤巻が言い澱んだ。
「それでは足らないと言う事ですね」
「はい。ここ数年献血の量も減少の一途を辿り、保存血液が不足がちなのです」
「すると、人工血液に頼らざるを得ないと言う事ですか……。アレはとても飲めた代物ではないのですがねぇ……」
光牙は、この男には珍しく露骨に顔を歪めた。
「こうなると、いよいよあの計画を進める必要が出てきたと思うのですが……」
「プラントですか……。ですがあれは、御前が強く反対してますからねぇ」
「はい」
「良いでしょう。御前には私の方で今一度説得してみます。貴方はプラントの設計を急がせなさい」
「分かりました。帝都建設にはそのように伝えておきます」
そう言って藤巻は、手にしていたシステム手帳をパタンと閉じた。
光牙が、再びティーカップを口に運ぶ。
それに合わせて、藤巻も紅茶を一口啜った。
「そう言えば、昨夜斎賀から報告があったのですが、八咫鏡は高野山に在るそうですよ……」
光牙が切り出した。
「やはりそうでしたか。御前様のご想像通りでしたね」
藤巻が言った。
「斎賀からの話では、奴らこちらの狙いに気付いた様です」
「奴らも馬鹿ではありません。高野山に八咫鏡が在るのでしたら、それも致し方ないでしょう」
「あちこちの神社や寺に『屍鬼』共を忍び込ませた事が、坊主共に警戒心を持たせる結果になってしまった様です」
「それで奴らは何と?」
「高野山に強力な結界を張った様です。我々には手が出せぬ程の……」
光牙が忌ま忌ましげに言った。
「そうですか……。それは由々しき事態ですね……。それで光牙様はどうされるおつもりですか?」
藤巻が訊ねた。
「既に南部と三人のファミリアに、高野山の各要所に爆弾を仕掛けるよう命令しておきました。夜にはあちらに到着するでしょう」
「南部にですか? ですが高野山には既に結界が張られていると……」
藤巻が心配そうな面持ちで訪ねた。
「大丈夫です。斎賀も同行している事ですし、爆弾をセットするファミリアは、三名共皆その道のプロフェッショナルです」
「そうでしたか。流石光牙様、打つ手がお早い」
「ククク、世辞は結構です」
光牙は、含む様に笑った。
「ですが、爆弾をセットして、その後どうされるおつもりですか?」
更に藤巻が訪ねる。
「爆弾を仕掛けるのは、あくまで高野山攻め下準備に過ぎません。そして高野山攻めの際には、我々に手が出せない以上他の者にやらせる他ないでしょう」
光牙の目が、ギラリと妖しく光った。
「では例の者達を……」
藤巻の目も、光牙の言わんとする事を読み取り、含んだ様に妖しく光った。
「ええそうです。アレは今何体完成していますか?」
「十八年前に使用した者達は、まだまだ未完成だった為に今では殆どが使い物になりません。ですが現行タイプは、先程テストを終えた者を含め六体がロールアウトしています」
藤巻が澱み無く答えた。
「六体ですか。いかに訓練された法力僧とは言え所詮は人間……。六体も送り込めば十分でしょう」
光牙がニヤリと笑った。
「ですが、あちらには三儀天と称する凄腕がいると聞き及びますが」
「良く調べてありますね。流石私の第一秘書だけの事はあります」
光牙は、満足そうな笑みを浮かべて言った。
「ありがとうございます」
そう言って藤巻は頭を下げた。
自尊心を刺激され、藤巻は満足気に口元を綻ばせた。
それを見た光牙が、含む様に笑った。
「ですが気にする事はありません。幾ら三儀天とは言え、やはり奴らも人間です。夜の眷属である我々ならともかく、人間が修行程度で得られる能力などたかが知れています。心配には及びませんよ」
光牙が嘲る様に言った。
「……」
藤巻は黙っていた。
「ああそうでした。貴方も人間だったのですねぇ。悪い事を言いました。ですが貴方は、力を奮うだけの愚か者とは違い優秀な人間です。それに事が成就した暁には、貴方も我々の眷属の一員に名を連ねる者として支配する側となるのです。しかも『屍鬼』等と言う出来損ないと違い、『生成り』ではあっても、私達『貴族』と同じ完全なヴァンパイアと成れるのです」
「はい。今からその時が楽しみです」
藤巻は、その口元に下品た笑みを浮かべた。
「それと藤巻、高野山の件はそれで良いとして、残る天叢雲剣も早く見つけ出さねばなりませんよ」
光牙が険しい表情で言った。
「はい」
藤巻も表情を引き締めて応える。
「先日来、貴方が接触している阿倍と言う男、その後何か進展はありましたか?」
「いえ……。ですが、その筋に詳しい学者にも調べさせましたが、やはりあの阿倍と言う男の家系は、元々皇別氏族の流れを汲む豪族で、平安時代に名を馳せた希代の陰陽師、安倍晴明の祖に当たる阿倍氏である事が分かりました。しかも土御門家とも深い繋がりがあるそうです」
「そうですか……。ですが現在では、何か特殊な職業に就いている訳でも、神社や寺を営んでいる訳でもなく、本業はただの公務員だと言うではないですか。そのような者が、真の三種の神器を保管しているとは些か信じ難い話です」
光牙は、明ら様に藤巻の話を訝しんだ。
「確かにそうですが、もしも真の三種の神器の隠し場所を記した覚書なる物が存在するとしたら、如何思われますか?」
藤巻はニヤリと笑った。
「何ですって!」
光牙は思わず息を飲んだ。
「ですがそのような物が本当に存在するのですか? 実際、斎賀からも覚書の話など聞いた事がありません」
いつも冷静な光牙の声が、少し上擦っている。
「それは当然の事です。真の三種の神器を保管している者達は、自分達の他に誰が残りの二つを保管しているのか、互いの安全の為にも知らされてはいないのですから」
光牙とは逆に、藤巻は冷静そのものに答えた。
「無論それは斎賀から聞いて知っています。その内の一つでも保管している者やそれを欲する者達が、その秘められた能力を我が物にしようと企んでも、全ての保管場所を知らぬ限りその能力を手に入れる事が出来ぬようわざわざ幾つもの形代を作り、それらをわざと目立つ様に伊勢神宮や熱田神宮時に奉納する事で、他者の目を欺いて来たのです。しかし真の三種の神器は、時の朝廷が余人に知られぬよう秘そかに別々の者に保管を命じた筈。それなのに、何故覚書などと言う物が存在していると言えるのですか?」
光牙の声が、興奮で大きくなっている。
「しかし、光牙様達のような長生種の方々に比べれば、私達人間の寿命はあまりにも短い……。家も人も、時代と共に栄枯盛衰を繰り返し、絶対に不変と言う事はありません。それにもし何らかの理由でその一族が途中で途絶えてしまった場合、もしも覚書なる物が無ければ真の三種の神器が何処に保管されているのか誰にも分からなくなってしまいます」
「確かにそうですが、ならば貴方の言う阿倍なる男の家系が、その覚書を受け継ぐ一族だと言うのですか?」
「はい……」
藤巻が即答した。
目に自信が満ち溢れている。
「しかし、それなら尚更そのような物を、一個人の家系に委ねると言うのは、有り得ない事ではないですか?」
光牙が怪訝な表情で言った。
藤巻の自信に満ちた目を見ても、光牙の表情には疑心の色が浮かんでいる。
「八尺瓊勾玉が獣人族の下に在り、今また八咫鏡が高野山に在ると分かった以上、残る天叢雲剣もそれなりの場所に保管されている事は明らかです」
「それは、長い歴史を経ても変わらぬ安全な場所……と言う意味ですか?」
「はい。最もそれは場所に限らず、人であっても、集団であっても良いのです。少なくとも、国の手によって確実に管理、または保存される対象であれば……」
「ふうむ……。では政府は、昔から真の三種の神器の保管場所を知っていたと言う事になりますね」
「いえ、政府は何も知らなくて良いのです。それらが違う理由において管理・保存の対象であれば」
「なるほど、獣人族は時の朝廷との密約により、国の管理・保護の対象だった。しかも防人によって絶えず監視が続けられていた。更には高野山も、空海の功績や朝廷との繋がりから、仏教の聖地として人間共の信仰を集め国からの手厚い保護を受けてきました。そう言った意味では、二つとも貴方の言う条件に当て嵌まりますね。ならば残る一つも国の管理下にあるか、保存・保護の対象となる場所または集団と言う事になりますか……」
「はい」
「でもそれでは、阿倍なる者の家系が、その覚書を保管する一族であると言う貴方の説からは掛け離れはいませんか?」
「そうではないのです。実際に獣人族はもとより、高野山もそれなりの実力を持った集団です。寧ろ国津神の末裔と言われる獣人族が、天津神の象徴とされる真の三種の神器の守人として撰ばれた事の方が、私には不思議でなりません。ですがそのような議論は別としても、高野山も獣人族も真の三種の神器を護る為の力としては有効であっても、逆にそれは両刃の剣だとも言えます。もしも奴らのどちらかが、残りの二つを手に入れようと企てた場合、その力は他の保管者や時の権力者にとって脅威にもなりかねません。そう考えた場合、全ての保管場所を記した覚書を保管するような者を、わざわざそれなりの実力を持った集団に任命する筈がありません」
藤巻は断言した。
「なるほど。だから実力を持った集団ではなく、敢えてただの一個人の家系に委ねたと言う訳ですか」
光牙は得心した様に頷いた。
「はい。最も阿倍の家系も、昔はそれなりの権力を持つ一族だったのでしょうが、恐らく時の朝廷の命により、覚書を護る一族として任命された時から阿倍の本流を外れ、時の流れと共に歴史の中に埋没して行ったものと考えられます」
「しかし、覚書の存在に気付いただけでなく、良く阿倍の家系まで辿り着く事が出来ましたね」
光牙は、藤巻の調査能力に感嘆していた。
「はい。実は先程も申し上げました大学の教授は、日本の神話の信憑性や古代の日本史についてかなり深く研究している学者で、三種の神器の事もかなり詳しく研究しており、独自の理論を構築し論文を書いている程です」
「ほう、面白い人物ですねぇ」
「しかもその論文にはもう一つの……、つまり真の三種の神器存在の可能性にも触れており、実際読みあさった数々の書物から、その存在の可能性を見い出したそうです」
「流石は学者ですねぇ。それでその男は、真の三種の神器の秘められた能力に気付いているのですか?」
「いえ、その点には全く気付いていない様でした。実際本人も、何故三種の神器の形代が幾つも作られたのかを疑問に思っている様でした」
「そうでしょうねぇ。実際学者と言う種類の人間には、想像もつかない代物ですからね。アレは……」
光牙は含み笑いをした。
「その教授以外にも、その他の大学の教授達や、考古学や古文書に詳しい民間の学者や研究家等に協力してもらい、宮内庁や様々な神社・寺院・個人宅に眠る古文書や書物を調べた結果、阿倍なる一族と覚書の存在に辿り着いたのです」
「よくもそこまで調べ上げたものです。では貴方の言う通り、阿倍の家系は、覚書を護る一族なのですね」
「はい。それで先日より阿倍家の人間と接触しております」
「それでその者は何と言っているのですか?」
「接触をしている男の名は阿倍満男……。阿倍家の次男です。公務員をしているのが兄の方で、満男の方は無職で独身だそうです。その男が言うには、そのような覚書も自分の一族の事も何も知らないとの事でした」
「惚けているだけではないのですか?」
「いえ、どうやらその男はかなりの放蕩者で、近所の者の話では、家族からも疎まれている様です。両親は既に他界していますので、恐らく父親はしっかりしている兄にだけ一族の秘密を明かし、弟の満男には秘密にしていたと思われます」
「なるほど……。ですがそれでは、その男と接触を果たしても意味が無いのではありませんか?」
「その阿倍の家系は、代々陰陽道を受け継ぐ一族で、本人も多少なら呪術を使えるそうです。しかも覚書の事は知らなくても、家の離れに地下室への入口のような物があると言っていました」
「地下室への入口ですか……。興味深い話ですね」
光牙の目が好奇に輝いた。
「その離れには、幼い頃から近付くのを父親に厳しく禁じられていたらしく、ただ一度幼い頃に離れに入った時、床に四角い地下への入口のような扉を見付けたそうです。その時は厳重に鍵が掛けられていて中を見る事は出来なかったのですが、それを父親に見付かり酷く怒られたそうです。それ以来離れに入った事は無く、この話を聞くまでその扉の事は忘れていた様です」
「それは確かに臭いますね。で、今後はどうするつもりですか?」
「阿倍満男は、どうもギャンブルに嵌まって多額の借金があるらしく、しかも行きつけのスナックのホステスにかなり貢いでいます。その為かなり金には不自由しており、報酬を支払う事を条件にその離れの地下室を探るよう指示してあります」
「流石に手際が良いですね。しかし我々の事は当然秘密にしてあるのでしょうね」
光牙が念を押す様に尋ねた。
「はい。奴には光牙様の事は勿論、『帝都グループ』の名前も出しておりません。私の事は、知り合いの編集者に頼まれて、由緒ある家の古文書や家系図を調べているフリーのジャーナリストと言う事にしてあります」
「それを信じているのですか? 愚かな男ですねぇ」
「はい、それだけ金に困っていると言う事でしょう。ククク……」
藤巻は、阿倍と言う男の顔を思い出し、蔑む様に笑った。
「では、その阿倍と言う男から連絡があればすぐにでも報告して下さい。もしも覚書が本当に在ると言うのであれば、一度会ってみるのも良いでしょう」
「分かりました」
藤巻はゆっくりと頷いた。
「覚書ですか…。もしそれが本当なら、天叢雲剣を手に入れるのも時間の問題と言う事ですね。愉しみな事です……」
光牙は、遠くを見る様に目を細め、独り言の様に呟いた。
その目には、妖しい光が漂っていた。
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。