3
3
「なあお前、さっきもそんな事聞いてたが、それがシゲとどう関係するんだよ」
鉄二は、明らかに不信に満ちた顔で言った。
「ああそうだな……。今から話す事はとても信じちゃ貰えないだろうが、全て事実だ」
「分かった……」
鉄二は、訝しむ表情ながら一応頷いて見せた。
俺は、最初から全てを話す事にした。
「全ては、村田と喧嘩したのが始まりなんだ……」
鉄二が“やはり”と言う表情をした。
「さっきお前のチームの後輩って奴が、シゲと居た三人組を見たって言ったろう、それは村田とショウって奴だ。女の名前は知らねえ……」
俺は、わざと晶子の名前を伏せた。
「ショウ? 誰だソイツは?」
「本名は飯沼彰二と言うらしいんだが、詳しくは知らねえ。それでその三人組はどう言う方法かは知らねえが、その夜シゲを拉致したんだ」
「何故だ? 何故シゲが拉致された?」
「俺をおびき出す為だ。村田は俺の携帯の番号が知りたくて、俺を知っている奴なら誰でも良かったと言っていた。お前と会った日の夜、俺のバイト先に岩と捜査一課の刑事が来て、俺から事情聴取して行ったんだが、その後俺の携帯に村田から連絡があって、シゲを拉致してるから俺に駅前の高架下まで来いと言いやがったんだ……」
「……」
鉄二は黙って俺の話を聞いている。
「そして俺は高架下へ行き、そこで村田にボコボコにされた……」
「お前がヤラれたって? そんな馬鹿な……。その村田って奴は、そんな化け物みたいに強え奴なのか?」
鉄二が、驚きのあまり大声を上げる。
「ああ、だがそん時の奴は、既に人間じゃなかったんだ……」
俺は“ぞろり”と言った。
「に、人間じゃなかったって……。じゃ、じゃあまさか……」
「そうだ。村田はヴァンパイアにされてたんだ……。しかもヴァンパイアは、人間とは比べ物にならない程のスピードとパワーを持っていて、しかも脳か心臓を潰さない限り死なないんだ」
「ば、馬鹿な……」
鉄二は、あまりの驚愕に声も満足に出せなかった。
今は、目を剥いたまま固まっている。
「俺と最初に喧嘩した後、村田はシゲを拉致した三人組の中のショウって言うヴァンパイアに生き血を吸われ、その後ヴァンパイアに転身したらしい……」
『そうだ、俺は夜の眷属、ヴァンパイアになったんだ!』
そう言って、黒い顔に喜悦の色を浮かべ高笑いしていた、村田の勝ち誇った顔が思い起こされた。
「そして俺が村田に殺されそうになった時、奴らと一緒に居た女のヴァンパイアが、命掛けで俺を庇ってくれたんだ……」
「何故その女ヴァンパイアはお前を助けたんだ?」
「それは分からねえ……。多分仲間割れか何かだろう……」
ーーやはり晶子の事は言えねえ。
俺はそのまま先を続けた。
「その女ヴァンパイアが死ぬ直前に、既にシゲは、村田達に血を吸われ死んだと聞かされたんだ……」
「じゃあ、シゲは本当にそいつらに殺されたのか?……」
「ああ、間違い無え……」
この後、明らかに重い沈黙が俺達を包み込んだ。
持っていたタバコが短くなり、俺は水割りが溜まった灰皿でタバコを揉み消した。
「じゃあ後の二人はどうなったんだ? 村田は今何処に居る?」
ショッポを持つ黒田の手が、ブルブルと怒りで震えていた。
「村田は死んだよ……」
俺は“ぼそり”と言った。
「死んだ? 村田は死んだのか。いったい誰が村田を……」
「俺だよ……。いや、どうやら俺らしい……」
「お前が? だってお前は奴にボコボコにされたって言ったじゃねえか? なのに何でお前が奴を殺せるんだ? しかも奴はヴァンパイアだったんだろう?」
鉄二は、シゲを殺された怒りと、俺のつじつまの合わない話に苛立っていた。
「実は俺も覚えてないんだ……。途中までは覚えているんだが、奴に殺されそうになって、意識を失ってからの事は、三日後目が覚めてから初めて爺に聞かされたんだ……」
「ジジイ? それって、横浜に住んでいるお前の爺さんの事か? 確かあの事件の時、お前を警察まで身柄の引き受けに来てくれた……」
「そうだ……。あの爺は昔からヴァンパイアの存在を知っていて、しかもこの国のヴァンパイアに対抗する為に創られたある組織ともつるんでやがったんだ」
「な、何だってえ!」
鉄二は大声を上げた。
「爺から聞いたんだが、この国……て言うか世界には、昔からヴァンパイアに対抗する為に政府が創った極秘組織があって、爺は元々仙道士でヴァンパイアと互角に闘り合えるような化け物だから、過去に何度も一緒に闘った事があるそうだ。この時も、村田を襲ったショウって言うヴァンパイアを追ってその場所に来たらしい」
「あの優しそうな爺さんが……」
過去一度爺に会った事のある鉄二は、尚更驚いている様だ。
あのクソジジイの顔が目に浮かぶ。
「優しく……無くはねえが、とにかく爺が言うには、爺が着いた時既に村田は死んでいて、しかも村田を殺したのは俺だったらしい」
「だがどうやって、意識の無いお前が村田を殺せるんだ?」
「その話は後でする……。とにかく爺が来た事で、ショウって言うヴァンパイアは逃げたらしいんだが、その時爺にヒドイ怪我を負わされたショウは、この町のとあるビルに逃げ込んだ。そしてショウは、自分の負った怪我を治す為に、ビルの近くに住む住人を手当たり次第襲っては血を吸っていたらしいんだ」
「そう言えばお前、『スケルトン』ってチーム名を覚えてるか?」
「スケルトン……?」
ーーダメだ。全く覚えが無え。
俺がキョトンとしているのを見て、鉄二は呆れて頭を振った。
「覚えて無えのか? この界隈で悪さしている弱小チームなんだが、昔お前に喧嘩を売って、お前が一人で返り討ちにした連中だよ。全員ボコボコで病院送りにしただろうが!」
「……」
ーー全く覚えてねえ……。
完璧に忘れている俺を見て、鉄二は完全に呆れ返った。
「まあ忘れたなら良い……。それで俺達が村田の行方を追っている時、そいつらが数日前から全員行方不明だって噂を聞いた。もしかしたらそいつらも……」
「ああ、確かにそんな奴らも居たな……」
俺は、あのビルでシゲと同様に殺されていたゾンビ達の中に、何体も不良達の死体が転がってい事を思い出した。
「そんな奴らもって、お前そいつらを見たのか?」
「ああ、ショウが居たビルで、シゲと共に死んでたよ……」
俺は唇を噛んだ。
「シゲだと!」
「そうだ。ショウは襲った人間を次々とゾンビに変え、その中にゾンビとなったシゲも居たんだ……」
「シゲがゾンビに……。ヴァンパイアだけじゃなく、ゾンビまで実際に居るなんて……」
「昨日の夜、陽子からアイツの通ってる高校の近くで最近行方不明になってる人間が大勢いるって聞いて、ショウの仕業に違いないと思った俺は、シゲの仇を打つ為にそのビルへ行ったんだ」
「……」
「だが俺が着いた時には、ショウも……、ゾンビと化したシゲ達も、ショウの仲間に殺された後だった……」
「ショウの仲間だと? ヴァンパイアはまだ居るのか!」
「ああ。ヴァンパイアは俺達が知らないだけで、以前から政府と協定を結び人間と共存してるんだ」
それを聞いた鉄二は大きく頭を振った。
「何て事だ……。確かにお前が付く嘘にしては話が出来過ぎだとは思うが、それでもまともに“ハイそうですか”と信じられる話じゃねえぜ……。まさかマンガや映画じゃあるまいし……」
鉄二は、溜息混じりに言った。
「だから俺は真実を話すのは嫌だったんだ。こんな話、誰だって信じろって方が無理に決まってんだからな。それに、例えお前が信じなかったとしても、知ってしまった限りはお前はもう昨日までと同じ様には生きて行けねえだろ?……」
そう言って俺は椅子から立ち上がった。
「さあ話は終わりだ。俺はしばらくここに居るから、お前はもう学校へ行け!」
俺は鉄二に背を向けた。
「じゃあシゲの事は、皆にどう説明すりゃあ良いんだ? シゲはゾンビにされてヴァンパイアに殺されたとでも言えって言うのかテメエは!」
俺の背中に向けて鉄二が怒鳴った。
「だから最初に俺が殺ったと言ったんだ。シゲが死んだのは俺の責任だ。それで不満なら俺を殺れば良いだろう!」
俺の苛立ちは頂点に達していた。
「馬鹿、だから何でテメエを殺るなんて話になるんだ? 俺はシゲの事を心配している奴の家族や仲間に、何と言えば良いんだと言ってるんだ!」
鉄二が大声を張り上げた。
「何も言う必要は無え! シゲは永遠に行方不明のままと言う事さ。真実が親や誰かに知らされる事も無え。所轄のお巡りにもだ! つまり闇から闇ってやつだよ。それが現実なんだ! それに今話した事は絶対に秘密だ。お前も、今俺が話した事は全て忘れろ! もしもこれ以上首を突っ込んだら、お前も後に引き返せなくなるぞ!」
俺は、激しい口調で鉄二に釘を刺した。
「じゃあお前はどうなる? いや、どうするんだ?」
鉄二が食い下がった。
ーーこの馬鹿野郎が。
「俺はもう引き返せない。だから学校も、このバイトも辞める……」
「何言ってんだ! 俺も聞いちまった以上俺もお前と一緒に行くぜ。それに俺は、シゲを殺ったヴァンパイア共も、俺達に真実を明かさず闇から闇へと事を葬り去ろうとする政治家共も許さねえ……」
俺が後ろを振り返ると、鉄二は怒りに震えていた。
鉄二から凄まじい怒気と殺気が立ち上っている。
ーー何も分からねえのにトチ狂いやがって、この馬鹿が。
だがこの時初めて、俺に手を引けと怒鳴った時の爺の気持ちが分かった様な気がした。
ーーこの馬鹿を巻き込む訳には行かねえ。
「鉄二、これを見ろ!」
そう言って俺は、カウンターの上のグラスを一つ手に取った。
鉄二が不思議そうな顔で見詰める。
俺はいきなりグラスを握った。
「オイ馬鹿、何を!」
俺が何をするのか察した鉄二が声を上げる。
だが俺は、鉄二の声を無視した。
“ガシャン!”
さほど力を込めたつもりも無いのだが、手の中でグラスが、甲高い音を立てて粉々に砕け散った。
ーーやはり力が強くなってやがる。
俺は、忌ま忌ましい自分自身の身体に苛立ち、唾棄したい気持ちになった。
グラスの破片が突き刺さった手からは、夥しい血がグラスに残っていた水割りと共に床に零れ落ちた。
俺は血塗れになった掌を、鉄二に向けて翳した。
掌にはグラスの破片が突き刺さり、他にも激しい裂傷を負っていた。
「オイ! 気でも狂ったんじゃねえのか?」
鉄二が慌てて叫んだ。
「黙って見てろ!」
俺は鉄二を一喝した。
鉄二は“びくん”として口をつぐんだ。
激しい痛みが手の平で脈打つ。
しかし、しばらくすると、痛みが嘘の様に引いて行った。
手に負った傷が、見る見る内に塞がって行く。
「おっ、お前……、まっ、まさか……」
鉄二は声を詰まらせた。
「見たか……。これがさっき話してた事の理由だ。俺はどうやら生れつきの化け物だったらしい。だからヴァンパイアに転身した村田にボコボコにされても助かったし、意識が飛んだままでも奴をぶっ殺す事が出来たんだ…。最も覚醒したのも、自分の素性を知ったのも全て昨日の事だがな……」
「……」
鉄二は、あまりの驚きに声も出ず、ただ口をパクパクさせるだけであった。
「俺は、村田と殺り合うまで自分が何者か知らずに、しかも俺が赤ん坊の頃に爺が掛けた呪術のお陰で、化け物に転身したり人を襲ったりする事も無くただの人間として生きて来れた。だが自分の正体や、ヴァンパイアの存在を知ってしまった限りはもう後戻りは出来ねえ……。分かったか! 俺はもう後には引けねえんだ!」
俺は自分へ言い聞かす様に、思いの全てを吐き出した。
「恭也……お前……。な、何て事だ……」
鉄二はようやく声を搾り出した。
「鉄二、お前は良い奴だ……。俺はお前を巻き込みたくねえ。だからもう俺とは関わるな。今話した事も全て忘れろ。シゲの事は俺も辛いし、残念だと思う……。だがこんな事は、他の誰に話しても信じて貰える様な話じゃねえ。シゲの家族には本当に悪いと思うが、シゲはずっと行方不明のまま、俺達の心の中だけで弔ってやるしか無えんだ……」
「……」
鉄二は、込み上げる悔しさに拳を震わせ唇を噛んだ。
「さあ分かったら行け……。ここを出たらお前とは赤の他人だ。良いか、今度お前が俺やこの件と関わったら、次はお前が第二のシゲになるかも知れねえんだぞ。だから俺とは二度と関わるんじゃねえ!」
「……」
鉄二は、俯き黙ったままぴくりとも動こうとしなかった。
ーー俺がこれだけ言ってるのに、この馬鹿はちっとも行こうとしやがらねえ。
「早く行け! お前はただの人間なんだ。行かねえと、今この場でお前を殺す事になるぜ!」
俺はわざと凄んだ。
鉄二は、ようやく決心した様に、黙ったまま俺に背を向けた。
そして出入口の扉に向かいゆっくりと歩き出す。
だが鉄二は、出入口の扉の前でふと立ち止まった。
「恭也……、お前がどう言おうが、例えお前がヴァンパイアだろうが、俺はお前の事をいつまでも親友だと思ってるぜ……」
鉄二は、俺に背を向けたまま言った。
背中が僅かに震えている。
「鉄二……」
俺は呟く様に声を掛けた。
「恭也……、死ぬんじゃねえぞ。そしてもしも……、もしも俺で力になれる事があったらいつでも言ってくれ。俺は何処からでも駆け付けるし、どんな事でも力になる……」
「鉄二……、すまん……」
俺は、声を搾り出すのが精一杯だった。
鉄二は背を向けたまま片手を上げると、木製の古びた扉を押して店を出て行った。
俺は一人店に残った。
少しの間、俺は鉄二が出て行った店の扉を見詰めていた。
「さあ、一応開店の準備だけでもしとくか……」
俺は、カウンターに放置された飲みかけのグラスや灰皿を一カ所に集め始めた。
しばらくすると、鉄二のバイクのけたたましいエンジン音が、地下にあるこの店まで響いて来た。
そして次第にバイクの音が遠ざかって行く。
俺は、バイクの音が聞こえなくなるまでその場に立ち尽くした。
「これでこの店ともお別れか……」
俺は誰に話す訳でも無く、一人ぽつりと呟いた。
その時、何かが頬を伝うのを感じた。
そっと手で拭う。
結局勢いで鉄二にヴァンパイアや自分の事を話す結果にはなったが、学校やバイトを辞める事は昨夜一晩考えて決めた事だ。
そして鉄二や他の奴らの下から去る事も……。
自分で決めた事なのに……、何なんだこの気持ちは……。
再び熱い物が頬を伝う。
「涙……か……」
そう呟いた瞬間、急に涙が止まらなくなっちまった。
俺は、迂闊にも鳴咽を漏らしてしまった。
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。