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ーー痛ってぇ~。
陽子に蹴られた頭がまだ疼きやがる。
本当にあの凶暴女だきゃあ。
俺は独り毒づくと、恨めしげに空を仰いだ。
分厚い雨雲が層になって空一面覆ってやがる。
おかげでまだ夕方の六時半なのに、何なんだこの暗さは。
無論夜の暗さとは全く異なるが、ただの物理的な明と暗では無く、もっと異質な闇がこの街を覆っているかの様だ。
また雨が降りそうだな……。
全く今年の梅雨は、雨ばっかで嫌んなるぜ。
確か梅雨入り前の長期予報では、今年は空梅雨だなんて言ってなかったか?
だから天気予報なんて当てにならねえんだよ。
これじゃいくらポジティブなこの俺でも、こんな天気ばかりじゃ気が滅入って愚痴っぽくなっていけねえ。
オマケにこの蒸し暑さだ。
暑いったらありゃしねえ。
俺は、独り毒づきながら重い雨雲の下を歩いていた。
この時間ともなると、駅前の通りは帰宅ラッシュで歩道も車道もかなり混雑している。
この時間帯では、まだ着飾ったOLの姿が目立つ様だ。
皆颯爽と歩いちゃいるが、信号待ちで立ち止まるとまるで申し合わせた様に、皆手にしたハンカチでバタバタ扇いでいる。
信号が変わり一斉に歩き出すが、まるでフラミンゴの群れが一斉に行進してるかの様だ。
平和な風景……。
家路へ急いでいるのか、それとも何処かお洒落な街へでも遊びに行くのか?
はたまた彼氏と一発ヤリに行くのか?
全く羨ましい限りだ。
俺はこれから地下の穴倉でバイトだって言うのによ。
俺は、店へ行く前に駅の側のコンビニで晩飯を買うべく、店のあるビルを通り越して駅へと向かっていた。
別に急ぐ気も無い俺がプラプラとゆっくり歩いていると、OLやサラリーマン達が俺を後ろから足速に追い抜いて行く。
OLはともかく、サラリーマンの連中は、俺を追い抜く時に間違ってもぶつかったりしないよう気を付けている様だ。
相手がギャングやチーマー気取りのガキならともかく、カタギのサラリーマン相手じゃいくら俺でも少しぶつかったくらいで因縁付けたりしねえってのに、全く草食動物って奴は臆病なもんだ。
まっ、それが奴らの習性なんだろうけどな。
俺は、身長が一八三センチあるから周りを見ても頭一つ高い。
しかも頭はド派手な白に近い金髪で、短めにカットされちゃいるが、ワックスでわざと立たせている。
顎の尖ったシャープな顔と、整えた細い眉毛。
目は二重だが切れ長でクールさを漂わせている。
筋の通った高い鼻と少し薄い唇。
一応これでもイケメンのつもりだ。
身体は、鍛え上げられた肉体を仕事用の白いドレスシャツで覆い、下はタックが入ってゆとりのある白のパンツと、パイソンの皮で出来た先の尖った靴を履いている。
シャツのボタンは胸まで外し、プラチナの喜平ネックレスと筋肉の盛り上がった胸を外気に晒したままだ。
シルバーは好きなんだが、何故かどうも肌に合わねえ。
俺のシルクの肌はデリケートだからな。
駅が間近に見えて来た頃、心臓に悪い様なバカでかいバイクのエンジン音が後ろから聞こえて来た。
ハーレダビドソンのXLH883カスタムだ。
いかにも運転し辛そうなドラッグバーハンドルで、殆どのパーツが艶消しのブラックで統一されている。
聞き覚えのある音に後ろを振り返ると、このクソ暑いのに黒いライダースの上下に身を包み、視界が悪くなる様な黒いサングラスをした鉄二の姿があった。
ーーこの馬鹿は暑いって事を知らねえのか?
見ているだけで暑苦しさが倍になる。
鉄二は、俺に並び掛けると歩道のガードレールの切れ目から、バイクを歩道に乗り上げて止まった。
「よう恭也!」
鉄二は、バイクのスタンドを立てて降りると、黒い艶消しの半ヘルを脱ぎながら俺に声を掛けた。
「おう!」
俺達は互いの拳を合わせ、いつもの通り挨拶を交わした。
「恭也、また学校サボりやがって! 何度も電話したんだぞ!」
鉄二が言った。
「るせえ、テメエこそ陽子なんかにチクリやがって! お陰でエラい目に遭ったんだぞ!」
「チクルなんて人聞きの悪い事言うなよ、お前が電話に出ねえから悪いんだろうが。お前このままじゃマジでダブるぞ!」
「別にダブったらそん時ゃ辞めるだけさ。卒業しなくても働くトコくらい見付かるだろうしな」
俺は煙草を取り出しながら言った。
「で、電話にも出ず、学校も休んで何やってたんだ?」
「ああ寝てた」
鉄二が“ガクッ”と肩を落とした。
「寝てただぁ?」
「ああ、オマケに携帯マナーモードにしてたの忘れててよ。ガハハハ」
「ガハハハじゃねえぞ! ったく。ヤクザの野郎がえらい剣幕で怒ってたぞ!」
鉄二が、ライダースのジャケットからショートホープを取り出しながら言った。
ここで言うヤクザとは、担任の沢田の事だ。
沢田は、日体大の空手部の出身とかで、身体もゴツイ上に恐ろしく力が強い。
おまけに目付きが悪い上に、怒ると巻き舌で怒鳴る癖があるので、俺達の間では“ヤクザ”と呼ばれているのだ。
鉄二は、ジッポで自分の煙草に火を点け、そのまま俺に火を翳した。
俺は、顔を近付け咥えた煙草に火を点けた。
「ああ、今日アイツから何度も電話があったよ」
俺は、紫煙を吐き出しながら言った。
鉄二が、困った様に苦笑いを浮かべる。
「そう言えばお前、一昨日の夜誰かに絡まれなかったか?」
鉄二が言った。
「一昨日? ……そう言えば……、何とかって奴に喧嘩を売られたな……」
「何とかって、本当に男の名前は憶えない奴だな。一体どんな頭の構造してやがんだ?」
「ふん、俺は女しか興味が無ぇんだよ」
俺は鼻を鳴らした。
「自慢する事か? まあそんな事はさて置いて、お前に喧嘩を売った相手ってのは成田西の村田って奴じゃなかったか?」
鉄二は、急に真顔で言った。
「むらた、ムラタ……。そうだ! そう言えば確かに成田西の村田だとか言ってたな!」
「やっぱりそうか……」
それを聞いた鉄二の顔が更に険しくなった。
「おい、それが一体何だって言うんだ?」
「ああ……。ところで、お前の所に今日岩が来なかったか?」
「岩が? 寝てたから来たどうか良く分からねえが、俺が喧嘩した事がバレたのか?」
鉄二は頭を振った。
岩とは、少年課の刑事で俺達が苦手とするオッサンだ。
本名は岩田三郎。
通称=岩だ。
岩の様に角ばった顔で、しかも性格まで岩の様に頑固だからそのまんまだ。
名は体を表すと言うが、性格まで表してるのはコイツだけだろう。
歳はもう五十近い筈だ。
その癖、柔道や空手・剣道と武術は何でも御座れの武闘派で、この街の不良共にとっては恐怖の対象だ。
若い頃はキソウ(機動捜査隊)で鳴らしていたらしい。
まあ煩いオヤジだが、義理人情にも厚いし、俺達にとっては第二の父親って感じだ。
恥ずかしくて、絶対に面と向かって本人には言えねえけどな……。
「いや、喧嘩がどうこうと言う問題じゃ無いらしい。岩からお前の居場所を聞かれた時に聞いたんだが、その村田って奴がお前と喧嘩した夜からどうやら行方不明らしいんだ」
「行方不明? まだ二日じゃねえか。それがどうして行方不明になるんだ? 中坊の女でも二日ぐらい家に帰らないなんて今時珍しくもないぜ」
俺は大袈裟に頭を振った。
だが鉄二の表情に変わりは無い。
「お前と喧嘩した時、村田は足に怪我を負ったそうだな。村田の仲間がそう言ってたそうだ」
「ああ、俺が膝に蹴りを入れてやったからな。でもそれがどうしたって言うんだ?」
「岩の話だと、あの夜奴は、お前にやられて怪我した仲間と別れ、そのまま消息が掴めないらしいんだ。で、ここからが問題なんだが、駅から少し行ったオフィス街にある四菱証券の玄関先で、大量の血痕が見付かったらしい」
「血痕?」
俺は、眉を寄せて怪訝そうに復唱した。
「そうだ。あの夜は雨が降っていて、かなりの血は流れてしまったそうだが、それでも軒下のシャッターやコンクリートにはかなりの血痕が付着していたらしい」
「それが村田のだと……?」
「ああ。タクシーの運転手が、足を引き摺りながらオフィス街へ歩く村田の姿を目撃してるし、その少し前に村田達に囲まれて駅の方に向かったお前を、何人かの人間が目撃しているんだ」
「だからって、それと俺に何の関係があるってんだ? その血痕が村田の血だと決まった訳じゃないだろうに」
「いや、血液型は村田の血液型と一致したらしい。それに警察は現場近くの目撃証言の線から追って行って、どうやら村田に辿り着いた様だ」
「そうしたら村田は、俺と喧嘩した後、どこか怪我をしたまま行方不明になったってたって訳か……」
「そうだ。血液型も同じだしな……」
鉄二が、苦々しい表情で呟く様に言った。
俺は、下を向き少し考え込んだ。
膝の痛みに耐えながら立ち上がった村田の姿が頭を過ぎる。
いつの間にか、持っていた煙草が燃えて短くなっていた。
俺は煙草を地面に落とすと、靴で踏み躙る様に消した。
「それで何度も電話をくれたのか?」
「ああ、少し心配だったし、お前に早く知らせておこうと思ってな」
そう言って、鉄二も短くなった煙草を踏み消した。
「まあ岩もお前を疑ってる訳じゃ無いみたいだが、色々と情報が欲しいんだろう」
「でも事件なら何で岩が動くんだ? 岩は少年課で、事件なら捜査一課か何かが動く筈だろう」
「そりゃまだどんな事件かも分からないし、村田もお前も一応学生だ。それに岩はあの事件以来お前の事を心配してるからな……」
自分で“事件”と言った瞬間、鉄二の表情が暗く沈んだ。
「お前まだ気にしてるのか? あの事件はもう済んだ事だし、それこそ岩のお陰で俺も鑑別所へ行かずに済んだんだ。あの事はもう忘れろよ」
「ああ……」
鉄二は力無く頷いた。
「それによ、あの一件以来アッチ筋とのパイプも出来たし、そのお陰でもう一つのバイトもやり易くなったしな」
俺はわざと明るく言った。
「用心棒のか?」
鉄二が聞いた。
「ああ、以前はヤクザからも目を付けられてたしトラブルもあったけど、今じゃ何所の組連中も見て見ぬフリさ。お陰で仕事も楽なモンだ」
「だが俺のせいでお前まで巻き込んで、しかもお前の命を危険に晒したんだ。決して償い切れるモンじゃ無ぇ……」
鉄二の言葉には、苦渋の響きが漂っていた。
「償う? 馬鹿かオメエ!? 償うも何も、お前が俺を巻き込んだんじゃなくて、俺が自分から首を突っ込んだんじゃねえか。お前が気にするような事はどこにも無えぜ」
「だが……」
鉄二の苦い表情は変わらない。
「オメエも族の頭張ってる割には、いつまでもぐじぐじとクドイ奴だなぁ。硬派ぶって毎日センズリばっか掻いてるからそうやって暗くなんだよ。俺みたいにチンポの乾く暇も無えぐらいにコーマンしてみろ! 世の中黄色く見えて明るくなれるぜ!」
俺の話が聞こえたのか、目が点になったOLが含み笑いをしながら横を通り過ぎる。
「ば、馬鹿! こんな場所でデケェ声でセンズリだのコーマンだの言うんじゃねえ! それに俺は毎日なんてして無えぞ!」
鉄二は、顔を赤らめ慌てて怒鳴った。
「ふん、どうだかな。テメエがセンズリ専門だって事は、道端の石っコロでも知ってるぜ」
「道端の石っコロが知るわきゃねえだろう!」
そう言うと、俺と鉄二は互いの顔を見合わせて笑った。
「ま、とにかく村田って奴とは確かに喧嘩したけど、その後の件と俺は関係無えし、岩が来たらそう言っておくよ」
「ああ、そうだな」
鉄二も明るさを取り戻していた。
「じゃ、俺はこれからコンビ二で飯でも買ってそれからバイトだから。お前はどうするんだ?」
俺が尋ねると、鉄二は腕時計に目をやった。
「俺はこれからナオ達と待ち合わせだ。実は昨夜からシゲと連絡が取れなくてな」
シゲとは本名を宮内茂と言い、この鉄二が率いる『ブラッディ・クロス』の特隊長 (特攻隊長)で、クラスは違うが俺や鉄二の同級生だ。
「シゲとも連絡が取れないのか?」
俺は慌てて聞いた。
「ああ……」
「シゲなら昼間何回か電話あったぜ!」
俺は、携帯の着信履歴を思い出して言った。
「本当か? それでシゲは何て言ってた?」
「さあな、おれは寝ていて電話に出れなかったからな」
「使えない奴だな全く」
鉄二は呆れた。
「煩ぇなあ! マナーモードにしてたから仕方ねえだろ!」
「まあ良いさ。お前に電話があったのなら安心だ。それにこの件とは関係無いだろうしな。どうせお前と一緒でいい加減な奴だから、ナンパでもした女と何処かで遊んでいて電話に気付かないか、マナーモードにして寝てるんだろう」
「俺と一緒は余分だ。でもまあシゲなら大丈夫だろう。それよりわざわざ知らせてくれてありがとな!」
俺は、そう言うと手を上げてポーズした。
「ああ良いさ。お前もバイト頑張れよ! それと、明日は学校に来いよ」
鉄二も手を上げてそれに答える。
俺は、鉄二に背を向け駅の側のコンビ二へと歩き始めた。
しばらくして、鉄二がバイクのエンジンに火を入れる音がした。
けたたましいエンジン音が街中に響く。
鉄二は、俺の横を通り過ぎる瞬間さっと左手を上げて挨拶をすると、そのまま派手なエンジン音を轟かせ風の様に薄暗い通りを走り去って行った。
俺は再び煙草に火を点け、既に見えなくなっている鉄二の背中を見詰めていた。
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。