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「どんな方法ですか?」


 先程来ずっと黙っていた佐々木が、思わず声を上げた。


「うむ、そこの当麻君に会うた時から考えておったのじゃが……」


「当麻君なんて止してくれ。獣吾で良いぜ獣吾で」


 獣吾が照れ臭そうに口を挟んだ。


「うむ、分かった。ならば……、獣吾君に会うた時から考えておったのじゃが、『阿字観』と言う修行法が密教にある……」


 李がそう話した始めた時、獣吾が同調して口を挟んだ。


「俺も今その『阿字観』の事を考えてたんだ!」


「ほう、やはりお前さんも『阿字観』の事を考えておったか?」


「ああ、俺もガキの頃爺さんに散々やらされたからな。俺達獣人は物心が付くと全員、『阿字観』って修行をやらされるんだそうだ」


「うむ、儂も以前お前さんの養父から教わったのじゃ」


「爺さんから……?」


「そうじゃ。じゃからお前さんも必ず知っておると思うておったよ」


「老師、『阿字観』とはいったい何なのですか?」


 佐々木が訊ねた。


「儂が以蔵から聞かされたのは、『阿字観』を修行する事で人狼本来の獣性や狩猟本能を押さえ、更には満月の有無を問わずいかなる時に於いても、意思の力のみで自在に人狼本来の姿に変身、または人間の姿へ戻る事を可能にする為の方法じゃ」


「では当麻……、いや獣吾君も昔その修行を行ったと言うのだな?」


 久保が獣吾に聞いた。


「ああ、爺さんの話によると、俺達獣人族は遥か昔、人間の姿に戻る事も出来ず獣人の姿のまま暮らしていたんだそうだ。しかも凶暴で理性なんかコレっぽっちも無く、腹が減れば人間だろうが他の動物だろうが襲っては飢えを満たしていたって言う話だ。だがその内に人間としての理性を持つ様になり、平安の時代に空海って偉い坊さんから『阿字観』を学んだそうだ。そのお陰で月の支配から脱出し、今のように獣化する力や感情をコントロールする事が出来る様になったらしい」


「空海とは、あの高野山の弘法大師の事か?」


 佐々木が驚いて聞いた。


「ああそうだ。とは言っても全て爺さんからの受け売りだがな」


「いや恐らくはその通りじゃろう。実際今でも『阿字観』は密教僧の修行の一つとして行われる一種の瞑想法で、それにより強固な集中力と想像力を養うのじゃ。儂の呪では恐らく恭也の内なる魔の因子をこれ以上抑え続けるのは難しいじゃろう。ならば恭也自身が内なる魔の因子を操る術を学ぶ他に手は無い。それには『阿字観』が最適じゃと思うのじゃが……。まあこの先は経験者の獣吾君に説明して貰った方が解りやすいじゃろう」


 李は、そう言って獣吾に後を託した。


 獣吾が頷く。


「俺がガキの頃やらされた『阿字観』てのは、爺さんの話だと実際密教の修行僧が行っている『阿字観』とは多少違っていて、俺達獣人族特有のやり方らしい。まずは直径二十五から三十センチ程の鏡の中心に、阿字……つまり梵字の『阿』が書いてある『阿字本尊』って言うのを用意するんだ。梵字の『阿』は太元帥明王を表す種字の『阿』と同じだ。その阿字本尊を壁に掛けて、毎日その前で『月輪観』を行う。『月輪観』てのは阿字本尊の前で結跏趺坐で座り、阿字本尊を眺めてその後月輪が心の中でしっかりと形を結ぶまで集中する練習を繰り返すんだ。そしてそれが出来る様になったら、次の段階の『広観』に移る。『広観』は月輪観で心に形を結んだ月輪を、本当に天空で光を放つ月に変化させて、その月を心の中でどんどん大きくして行き、それによって自己の意識を大きくなる月と共に極限まで広げて行く修法だ。だがこれが出来る頃になると、徐々に気が高まって異常な興奮を覚えたり、凶暴な気持ちを抑え切れ無くなっちまったり、時には獣人の姿に変身してしまう時がある。だからそう言った時は仙道で言うところの小周天とか言う技法で呼吸や気を整え、次の段階の『斂観』を行うんだ。『斂観』は一度極限まで広がった月輪と意識を、気の安定した状態で維持し、それが出来る様になったら月輪を意識と共に徐々にゆっくりと小さくして行く。そして月輪が最初の大きさになったら目の前の阿字本尊にゆっくりと戻して行く。これを何度も繰り返す事で例え阿字本尊が無くても自在に月輪観が出来る様になり、ひいては満月だろうが、新月だろうがいつでも自在に獣人の姿に変身出来る様になる。しかも荒れ狂う獣性や凶暴な感情さえコントロール出来る様になるんだ」


 獣吾は、一息に説明を終えた。


「要するにその『阿字観』で強靭な集中力と想像力を養う事で、心に描く月を自在に満月・新月の状態に操り、獣人特有の変身能力や、また獣性や凶暴な感情をコントロールする術を養うと言うのだな……」


 久保が問い直した。


「まあそんなトコだ」


 獣吾が答える。


 獣吾達の話を聞いていた李が口を開いた。


「そもそもこれは、人狼がその内なる獣性を操る術じゃが、先程獣吾君と殺り合っておった時の恭也は、確かに満月の影響で獣化しておった。そうじゃな?」


 李が恭也を見る。


「ああ……、良く分からねえが、あのビルに着く前にバイクでショウの居所を探してた時、ふと満月を見たら急に胸がドキドキしだして、周りの臭いや肌の感覚がえらく敏感になって来やがったんだ。それと同時に何かどうしようもなく暴れたくなってきて……」


 恭也は、あの時感じた不思議な感覚を思い出していた。


「その感じは俺にも分かるぜ。今でも満月の夜はザワザワと凶暴な気持ちになるし、俺は生れつき獣人だから人間の感覚は分からねえが、満月の夜は特に臭いや感覚に敏感になっちまう」


 獣吾が言った。


「なる程、ならば恭也君の魔族としての因子や獣性はコントロール可能だと言う事ですな」


 佐々木は、安堵して久保の顔を見た。


 だが久保は、佐々木の予想に反し再び厳しい表情をしていた。


「恭也君、君がちゃんと『阿字観』を行い、魔族としての因子や獣性を抑える事が出来るのであれば、君が家に帰る事を許可しよう。だがそれにはまだ幾つかの条件を飲んで貰わねばならない……」


「条件? 勘違いすんなよオッサン! 俺はいつだって自由だ。俺は俺の自由を奪おうとする奴は、例え何処の誰であろうが決して許さねえ。さっき俺がオッサンに殺されても良いかなって思ったのは、俺自身の選択であり俺の自由意思だ。だから俺がここを出てからも、俺は俺の自由にやらせて貰うぜ!」


「コラ、恭也! いったい何を言い出すのじゃ!」


 李が声を荒げた。


 久保が李を制する。


「私の言い方が悪かったようだな。これは条件などではない。これから話す事は全て命令だ」


「何だと!」


 恭也の身体に“ぎん”と殺気が走った。


「それだよ。君は魔族の因子や獣性とは関係なく短気で粗暴だ。これは幾ら老師の呪や『阿字観』の修法を持ってしてもどうしようもあるまい。だから君はまずその気性から治さねばならん。だがそれは今すぐにでも治す事が出来る筈だ。分かるな?」


「……」


 恭也は黙るしか無かった。


「それとだ、君の夜のアルバイトは辞めて貰いたい」


「何故だ?」


「君のやっているアルバイトは違法だ。それに喧嘩をすれば嫌でも気が高まる筈だ。その時に魔の因子が活性化しないとも限らん。そうすれば君に幾らそのつもりが無くても、今度は君がその喧嘩相手を殺めてしまう可能性もある。そうなれば、我々は君を狩らねばならない」


「……」


 久保の言葉に対し、恭也は反論する事が出来なかった。


 久保は更に続けた。


「しかもそれだけじゃ無い。夜はヴァンパイアが最も活動する時間帯だ。ならば、いつまた君がヴァンパイアの争いに巻き込まれるとも限らない。君はあの御子神恭介の息子であり、獣人族の長の娘の血を引く混血だ。もしも奴らに君の事が知れたら、今後どの様な事態を招くとも知れんのだ。だから君は夜のアルバイトを辞め、普通の学生として勉学に励むのだ。それが守れないなら、我々はこのまま君を帰す訳には行かなくなる」


 久保は“ガン”として言った。


「じゃあよう、奴らが企んでるとか言う企てはどうするんだよ! それからも俺に手を引けって言うのかよ!」


 恭也が怒りを露に大声を張り上げた。


 だが久保の固い表情は変わらない。


「その通りだ。君をこれからの闘いに巻き込むには、君はまだ不安定過ぎる。それでは君ばかりか、老師や獣吾君、それに私の大切な部下まで危険に晒す事になる。それに君はまだ未成年だ。幾ら君がヴァンパイアと獣人の混血であろうが、君が人間として生きて行く限りその事実を覆す事は出来ん。これは君の為でもあるんだ。だから分かってくれ……」


 久保は真剣な眼差しで語った。


「……」


 恭也は即答出来なかった。


「良いではないか恭也……。お前はこれまで人として生きて来たのじゃ。これからも人として生きて行けば良い。吸血鬼共の事は、儂や獣吾君が『内調』や『C・V・U』と協力して、何としてでも奴らの企てを阻止してみせる。それにお前が首を突っ込めば、いつかは勇三殿の家族やお前の知り合いを危険な目に会わす事になるやも知れぬ。そうならぬ為にも……分かってくれるな?」


 李はこの上無く優しい口調で言った。


「オメエよ、気持ちは分からなくも無えがよ、この偉いオッサンや李の爺さんの言う通りだぜ。後は俺達に任せておきな……」


 そう言って、獣吾は恭也の肩を“ポン”と叩いた。


「分かったよ……」


 数瞬の間を置き、恭也は“ぼそり”と言葉を吐き出した。


「約束だぞ」


 久保が念を押した。


「ああ、分かってるよ」


 恭也は力無く答えた。


 恭也の答えを聞いた久保は、佐々木に向かって頷いて見せた。


 それを見た佐々木も頷いて返した。


「ではこれで今夜はお引き取り頂いて結構です。老師には御山の件で後ほどご連絡させて頂く事になると思うので宜しくお願いします。それとこの時間なら獣吾君の車や恭也君のバイクもこのビルの前に運んであると思うので、二人共気を付けて帰るように」


 沈んだ雰囲気を打ち消す様に、佐々木は舒に立ち上がり言った。


 それを期に、全員が椅子から立ち上がる。


 李や久保はいつもの笑みを取り戻し、獣吾はせいせいとした表情で、髪の毛をボリボリと掻いていた。


 だが恭也の表情だけは優れなかった。


 李はそんな恭也に気付いたが、今はそっとしておく為にもわざと声は掛けなかった。


 全員が尋問室を後にしようとしたその時、佐々木が急に足を止めた。


「そう言えば、今夜獣吾君は何処へ泊まるつもりなんだ?」


 急に思い立った様に、佐々木が後ろから声を掛けた。


 驚いて獣吾が振り向く。


「何処かに車を止めてそこで寝るよ」


 獣吾が答える。


「ならば儂らと一緒に来ぬか? 雨露を凌ぐ程度の場所ならあるぞい」


 李が獣吾を見上げて言った。


「そりゃ助かるが良いのか?」


「構わぬよ。どうせあの阿呆の部屋じゃ。ムサイのが二人、仲良く一つの布団で寝ると良いわ」


「何だって!」


「何勝手言ってんだ爺!」


「ほっほっほ、これで決まりじゃ」


 怒る恭也達を尻目に李が高笑いした。


 李の笑い声が廊下にこだまする。


 こうして、長かった一日がようやく終わりを迎えようとしていた。

この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。

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