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     3

窓一つ無い部屋を、二本の燭台が薄暗く照らしている。


闇御前と夜叉姫は、囲炉裏を挟み向かい合っていた。


囲炉裏に掛けられた南部鉄瓶からは、白い湯気が立ち上っている。


夜叉姫の前には、今しがた点てられた抹茶の表面には、こんもりとした細かな泡が緩やかな盛り上がりを見せていた。


夜叉姫は、先程と同じ黒留袖を纏い妖艶な色香を漂わせている。


「冷めぬ内にお上がりなさい 」


闇御前は、穏やかな表情でゆるりと促した。


「こうして、父上の御点てになられた茶を頂戴するのも八十年振りですね……」


夜叉姫は、そう言ってゆっくり茶器を手に取った。


茶器を愛でる様に、ゆっくりとその質感を味わうと、夜叉姫は両の手で回し血の様に紅い唇をそっと付けた。


きっちり三口半で飲み干し、懐から取り出した半紙で茶器に付いた口紅を拭うと、優雅な所作で再び茶器を回し少し前へ置いた。


「結構なお手前でした」


夜叉姫が畏まって言うと、闇御前は皺だらけの顔で優しく微笑んだ。


「世辞は結構です。それよりも、気分はどうですか?」


闇御前が穏やかに訊ねた。


「はい。“渇き”もありませんし、特に問題ありません」


「そうですか、それは何よりです。先程も聞きましたが、今の世を見てどの様に感じますか?」


闇御前は、好奇心で皺の様な目を見開き、夜叉姫の顔を見詰めた。


「何もかもすっかり変わり果て、見る物全てが新しく、街も人間も昔の面影はありません。以前眠りから覚めた時よりも、今の方が余程戸惑いを覚えております」


「そうかも知れませんね。本当に……、本当に何もかも変わってしまいました……。我々を取り巻く環境も……」


闇御前は、酷く落胆した様に声を落とした。


「父上、先程仰っておられた件ですが、この八十年の間に何があったのですか? 三種の神器の事も勿論ですが、この国を支配しようなどと、父上の御言葉とも思えません」


夜叉姫は、闇御前の顔を伺う様に言った。

その瞳は、まるで闇御前の心の奥を覗き込むかの様に、闇御前の顔をじっと見詰めている。


だが闇御前の表情に然したる変化は見られなかった。


「姫よ、私の心を覗かずとも、果心から“写し”を受ければ分かる事です。あまり他人の心を読むのは感心しませんよ」


闇御前は、夜叉姫を優しくたしなめた。


「申し訳ありません……」


夜叉姫は素直に侘びた。


「三種の神器や今後の事は、果心から“写し”を受けた後に改めて伺うと致しますが、 “目覚めの儀”の席に、あの方のお姿がありませんでした。あの方は今どちらにお出でになるのですか? 」


夜叉姫が訊いた。


すると、一瞬闇御前の表情が曇った。


闇御前は、何かを思案する様に深く目を瞑り、黙したまま腕を汲んだ。


「父上、どうされました?」


夜叉姫は、闇御前の表情の変化を見て取ると、怪訝な表情を浮かべ再び訊ねた。


「それは……」


闇御前が、重い口を開こうとした瞬間、


“ブーッ”


 不粋な電子音が部屋に響いた。


 闇御前は、夜叉姫の問いから逃げる様に、手を延ばしてスピーカーフォンのスイッチを押した。


 『御前様、柳生様が御戻りになられました……』


 女の声が、スピーカーフォンから届いた。


「通しなさい」


 闇御前は、夜叉姫の問いをそのままに、女の声に応えた。


「父上!」


 夜叉姫が、咎める様に声を上げた。


『畏まりました』


 咎める夜叉姫の声が届かなかったのか、女は一言残してスイッチを切った。


「父上、何を隠しておられるのですか?」


夜叉姫は、僅かに狼狽した。


 丁度その時、茶室の襖の向こう側に人の来る気配があった。


「御前様……。柳生様がお着きになられました……」


 襖の向こうから先程の女の声が聞こえた。


「入りなさい」


 闇御前は、狼狽え咎める夜叉姫を他所に、十兵衛を部屋に招き入れた。


「失礼します」


 襖を開けた女の後ろには、方膝を立てて屈む十兵衛の姿があった。


「十兵衛、ご苦労でした。中へお入りなさい」


 闇御前がそう言うと、女の後ろに控えていた十兵衛が、“ずいっ”と前に進み出た。


 十兵衛の隻眼が、闇御前と夜叉姫の姿を捉えた。


「こ、これは夜叉姫様……」


 十兵衛は、思わず後ろへと一歩退いた。


「気にする事はありません。十兵衛、中へ入りなさい」


 闇御前は平然と言った。


「では、失礼つかまつる」


 十兵衛は、闇御前へ一礼すると部屋の中へ入った。


「失礼します」

 一礼すると、女は音を立てぬ様に襖をゆっくり閉めた。


 十兵衛が夜叉姫に視線を走らせると、夜叉姫は十兵衛を睨め付けていた。


「十兵衛……、久しぶりだねえ。元気だったかい?」


 夜叉姫は、苛立ちから十兵衛を睨んだまま声を掛けた。


「夜叉姫殿、いつお目覚めなされた!」


 十兵衛は困惑した表情を浮かべた。


「今日の昼さね。そう言えばお前は、さっきの“目覚めの儀”には出ていなかった様だねえ」


 夜叉姫は、粘っこい口調で咎める様に言った。


「これは失礼いたした。幾ら知らなかったにせよ、この度の非礼、どうかご容赦下され」


 十兵衛は素直に頭を下げた。


「これ夜叉姫、十兵衛は私の用で“目覚めの儀”に出れなかったのです。お前が咎める事は何もありません。控えていなさい」


 闇御前はぴしゃりと言い放った。


 すると夜叉姫は、苛立ちを顕に十兵衛と闇御前の双方に目を遣った。


 十兵衛は、夜叉姫に向き直り背筋を正すと、その場で深々と頭を下げた。


「夜叉姫殿、“お目覚め”おめでとうございます」


 十兵衛は、頭を下げ挨拶をし直した。


「ご丁寧な挨拶いたみ入る。これからもよろしゅうになあ」


 夜叉姫は、わざと慇懃に答えた。


「十兵衛、挨拶はもう良いです。報告を聞きましょうか」


 闇御前は、未だ夜叉姫の問いに答えぬまま十兵衛に言った。


「はい……。ですが、その前にお人払いをお願い致します」


 十兵衛は畳に頭を伏したまま畏まって言った。


「私が居ては話せぬと言うのか?」


 夜叉姫が憤慨した。


「十兵衛、仮にも夜叉姫は私の娘です。何も気に病む必要はありません」


「承知しておりまする。されど、非礼は承知の上で、今はお人払いをお願いつかまつる」


 十兵衛は、更に強く額を畳に擦り付け、闇御前に嘆願した。


「分かりました。姫よ、下がっていなさい」


 十兵衛のただならぬ雰囲気を察してか、少し逡巡した後、闇御前は夜叉姫に向かって言った。


「父上!」


 夜叉姫が咎める様に声を上げた。


「他の者の前で父と呼ぶなと言ってある筈です。お前は宴の席へでも行っていなさい」


 闇御前は、有無を言わさぬ口調で言った。


「畏まりました。御前様……」


 そう言って夜叉姫は、不承不承に頭を下げた。


 そして顔を上げ、伏せたままの十兵衛をひと睨みすると、そのまま部屋を後にした。


「十兵衛、もう良いです。面を上げなさい」


 闇御前がそう言うと、


「まだ人払いが済んでおりませぬ」


 そう言って、十兵衛は部屋の天井の一角を睨め付けた。


「おや才蔵ですか? いけませんねえ。お前も下がりなさい」


 闇御前も十兵衛と同じ箇所に目を向け、姿見えぬ相手に声を掛けた。


「ははっ、しかしさすがは柳生十兵衛。我が隠形の術、良くぞ見破ったな!」


 天井裏から才蔵と呼ばれた男の声が聞こえた。


 さも愉しそうな口ぶりである。


「何の、貴様の隠形の術も大した物よ。霧の才蔵……技前はまだまだ錆びておらぬ様だの!」


「それは十兵衛も同じ事よ。では御前様、十兵衛……、御免!」


 天井裏からそう声がした途端、ふと霧の様に完全に気配が消失した。


 十兵衛はしばらくの間その隻眼で天井を睨み付けていたが、完全に誰も居なくなった事を確認すると、“ほう”と大きく息を吐き、再び闇御前へと向き直った。


「用心が過ぎますね。何があったのです?」


 闇御前は探る様に言った。


 その時、囲炉裏に掛けられていた南部鉄瓶の蓋が“ことり”と音を立てた。


この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。

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