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第七章1:内調

     第七章

     『内調』

      1

 真新しい畳の青々しい匂いが、広い部屋中に漂っていた。


 それはまるで、何処かの城の大広間を思わせる様な造りの部屋であった。


 無論日本間である。


 青々しい畳が部屋一面に敷き詰められ、上段の間と下段の間、更に奥にある二の間と、全部で三つの間に分けられている。


 広さにして上段の間が三十四畳、下段の間と奥の二の間が各々四十四畳程あり、全部で約三百二十五平方メートルはあろうか、そして上段と下段の高低差は五寸八分(17.6センチ)あった。


 上段の間の奥には、虎と豹の描かれた豪華絢爛たる金碧障壁画が描かれている。


 更には、格子で仕切られた天井や広間の三方向を囲む各襖にも、見事な金碧障壁画や襖絵が描かれていた。


 欄間にも技巧の粋を凝らした彫刻が施されている。


 しかし良く見ると、この広間には明かり取りの障子や窓等が全く見受けられなかった。


 今は夜である為気にはならないが、これでは昼間であっても太陽の光りがこの部屋に差し込む事は一切無い。


 つまりこの広間を使用する際には、いつ何時でも人工的な照明が必要だと言う事だ。


 無論今も、雰囲気を壊さぬ様に、天井の随所に取り付けられた白熱灯のダウンライトが、広間全体を照らしていた。


 今この広間には、大勢の黒いスーツ姿の男達が整然と並び正座している。


 いや、見れば男だけではない。


 黒いスーツを身に纏っている為判別し辛いが、全体の三分の一は女であるらしい。


 年齢も性別も様々な男女が、皆一様に同じ黒のシングルスーツで整列している様は、異様としか言い様が無かった。


 まるで通夜か葬儀の席の様だ。


 だが例え通夜や葬儀であったとしても、女性まで皆同じ男物のシングルスーツを纏うと言うのは奇異そのものであった。


 むしろ通夜や葬儀と言うより、時代や出立ちは違えど、武士の時代に各諸大名達が時の将軍に謁見する時の様子に似ていた。


 下段の間には、左右両端の襖を背にして、片側に十名づつ、計二十名程の男女が横に列んで座っている。


 その者達に挟まれる形で、下段の間の中央に、これまた百人程の男女が整然と居並び正座していた。


 続く二の間も同様だ。


 また、下段の間の最前列には、後ろに座る百人以上の男女を代表するかの様に、年齢もまちまちな男女五人が、横一列に並び座っている。


 五人の男女の内、男が三人で女は二人である。


 男達は皆一様に胡座をかき、女達は二人共きちんと正座をしていた。


 何処か無言の圧力の様なモノを感じさせる男女であった。


 最も、誰ひとり口を聞かない為に、広間中を重苦しい程の静寂が包み込み、長く居続ければ窒息しそうな閉塞感を漂わせていた。


 硬直した空気の中、上段の間に向かい右手の廊下へ続く襖が、音も無く“すうっ”と開いた。


 下段の間でも一番上段に近い所の襖だ。


 音も無く開いた襖から、黒留袖を着た女が入って来た。


 黒留袖の女は、年齢がおよそ三十代半ば程であろうか。


 贅を凝らした黒留袖は、手描き、手刺繍による金色の松竹梅や・鶴亀の絵柄が浮き出る様に描かれ、この広間の金碧障壁画や襖絵に劣らぬ艶やかさを写し出していた。


 透き通る肌は血管が浮き出る程青白く、血を思わせる赤い紅が、この女の妖艶さを際立たせている。


 細面で先の尖った顎に、眉墨で描かれた線の様に細く切れ上がった眉。


“すうっ”と切れる様に吊り上がった瞳と長い睫毛、筋の通った鼻梁は見ている者に寒さを感じさせる程に美しい。


 アップに結い上げた黒髪のうなじ部分が僅かにほつれ、妖しいまでの美しさであった。


 もしも女性経験の少ない男であれば、この女を見ただけで射精してしまいそうである。


 いや、同性の女でさえ欲情し、しとどに濡らしてしまう程の妖艶さであった。


 女は、下段の間の最前列中央に進むと、それまで最前列に並んでいた五人の更に前に一人座った。


 女が最前列中央に座ると同時に、上段の間の襖が“すうっ”と開いた。


 次の瞬間、下段の間と二の間に居並ぶ一堂が一斉に頭を下げる。


 すると、漆黒の着物を纏った小柄で猿の様な老人と、黒いダブルのスーツを着た男が入って来た。


 漆黒の着物を纏った老人は、彼を知る人々からは“闇御前”と呼ばれ恐れられる男で、この国のヴァンパイア社会の頂点に君臨している男だ。


 日本最高齢の『貴族』であり、古くから時の権力者と深い関わりを持ち、現在においてもこの国の政財界や裏社会に強い影響力を持っていた。


 天井からの照明が、闇御前の顔中に彫り込まれた深い皺を一層深く際立たせている。


 闇御前と呼ばれるその老人の後ろから、付き添う様に入って来た男は宇月光牙であった。


 この広間の中で一人だけダブルのスーツに身を包み、切れる様な冷酷な眼差しが、この広間に一堂に会した者達をぐるりと見渡した。


 闇御前は、ゆっくりと上段の間の中央まで進み、老人とは思えぬ隙の無い動作でそこに座った。


 背筋を“ぴん”と伸ばし、きっちりと正座している。


 光牙は、闇御前の座った場所より少し斜め後ろの位置で“すっ”と腰を下ろした。


 一連の動作にも全く隙が見られない。


 能面の様な表情は、何を考えているのか底が知れなかった。


「良い、良い。皆面を上げなさい」


 闇御前が言った。


 年齢に似合わぬしっかりとした口調だ。


 深い皺に埋もれた目に、柔和な光が漂っていた。


 下段の間と二の間の全員が、一斉に顔を上げる。


「御前様、お久しゅうございます。夜叉以下、鬼道十八部衆の内六名、お召しにより目覚めましてございます」


 下段の間最前列の女が三つ指を付いて言った。


「夜叉姫、それに皆の者……。長き眠りからの目覚め、大儀でした。また皆の顔を、生ある内に見る事が出来何よりです」


 闇御前は、噛み締めるかの様に一言一言区切る様に話した。


 下段の間に座す者達は、皆この老人を真っ直ぐに見据え話に聴き入っている。


「いえ、私どもこそ御前様がご健勝で何よりでございます」


 夜叉姫と呼ばれた女が言った。


「嬉しい事を……。それで夜叉姫、久々の現世はどうですか?」


「はい。高く聳え建つ箱の様な建物、川を群れて泳ぐ魚の如き車の量、絵の動く箱、街を歩く人間共の衣装……、見る物全て目新しく、見知らぬ物ばかりで驚き戸惑っております」


 「そうでしょうねえ。夜叉姫が眠りに着いてから、既に八十年は経っているのですからね。人も……、物も……、そして政も……、世の中はすっかり変わってしまいました。皆も後で“語り部”や起きていた者達から今の現世の事、詳しく教えて貰うと良いでしょう」


 闇御前がそう話すと、下段の間の襖を背に座っている一番手前の老人が無言で頷いた。


 恐らくは、この老人が“語り部”に違いない。


 ここで言う“語り部”とは、『貴族』の特殊能力者の事で、夜叉姫のように長い眠りから覚めた者達が、今の時代でも生きて行けるようにそれまで見聞きした出来事や文化の推移、そしてこの時代の事を実際に言葉で語るのではなく、テレパシーや秘術により相手の脳に直接記憶として植え付ける事を生業とした者の事である。


 したがって語り部は、与えられたその役目から長い時を眠る事が一切無く、他の『貴族』よりも一つ高い“大老”の位を戴き、確保出来る血液の量等の恩恵も受けていた。


「それで御前様、今はまだ約定に定められた“目覚め”の日では無いに関わらず、我等に“目覚め”をお召しになられたのは、如何なる理由からなのでしょうか?」


 夜叉姫が尋ねた。


「そうですね……」


 闇御前は、腕を組みしばし逡巡した。


 閉じた目が皺にしか見えない。


 少し間を置いて、闇御前は皺の裂け目の様な口を開いた。


「まだ“語り部”から今の社会情勢や、これまでの事の成り行きの記憶を写されていないお前達に全てを語るのは混乱を招くだけなので今は控えておきます。ただ……、お前達を目覚めさせたのは、ある物を探し出し手に入れるのにお前達の力が必要だったからです」


「ある物とはいったいどのような物なのでしょうか?」


「三種の神器です……」 


闇御前がそう言った瞬間、広間が俄かにざわめいた。


「皆名前くらいは聞いた事があると思いますが、皆に探して貰いたい物とは三種の神器の事です」


 闇御前はきっぱりと言い放った。


「御前様、それは天皇の皇位継承の際に使われるあの三種の神器の事でしょうか?」


 夜叉姫のすぐ後ろに座る初老の男が言った。


「そうです。八咫鏡・八尺瓊勾玉・天叢雲剣と呼ばれる神宝の事です」


「ですがその様な物、幾ら名前に“神器”と付いていても、たかが人間の皇位継承で使うただの道具ではありませぬか。何故その様な物が、我々夜の眷属に必要なのですか?」


 先程の初老の男が尋ねた。


「千方殿、それは違いますぞ。今皇居に奉られている物はご存知の通り確かに三種の神器の形代に過ぎませぬが、本物は真に神の力を宿す神器。いえ、神の力その物と呼んで良い物なのです」


 闇御前の後ろに座る光牙が、闇御前と初老の男との会話に割り込んだ。


 千方と呼ばれた初老の男は、露骨に不快な表情を作った。


「光牙、控えていなさい」


 闇御前は僅かに後ろ見遣ると、ぴしゃりと光牙を戒めた。


「はっ……」


 光牙が頭を下げた。


「千方、貴方も弁えなさい。御前様が私達に探せとおっしゃっておられるのです。ならば私達はその言い付けを守るだけの事、違いますか?」 


 夜叉姫が、不満顔の千方に言った。


「いえ、姫のおっしゃる通りです……」


 千方も頭を下げた。


 夜叉姫が闇御前へ向き直った。


「ですが御前様、ただ三種の神器を探せと言われましても、私はともかく、訳が分からぬのはこの千方のみならず他の者達も同様でしょう。ならば、何故に三種の神器が必要なのかお教え願えませんか?」


 夜叉姫が言った。


「そうですねえ……。それは我が眷属が、この国を……、この国の人間全てを支配下に置く必要が出て来たからです」


 広間のざわめきは更に増した。


「御前様、それは我等にとって真に喜ばしき話ではございますが、“人間は種族が違う他者であって餌にあらず”とおっしゃられ、あれ程までに人間共との共生や調和を求めておられた御前様のお言葉とも思えませぬ。いったい我等が眠りに着いている間に、何があったのです?」


 千方の隣に座っている男が大声で叫んだ。


「弾正か……。何があったのかは、お前達の“写しの儀”が済んでから話すとしましょう。ただ、確かにお前の言う通り、私は人間と約定を交わし、今日まで共生を望んで来ました。ですが、それでは済まぬ事態が起こったのです。我が眷属は、この国の政財界や裏社会にある程度の影響力を持っていますが、この国の表側の政はあくまで人間の物です。ですがこれからは、我が眷属が政を取り仕切る事が必要となったのです」


「分かりました。如何なる理由があるにせよ、いよいよ我が眷属がこの国の支配に乗り出すと言うのはこの松永久秀、この上無き喜びでござる。我々が目覚めた以上、三種の神器など最早手に入れたも同然! 御前様は大船に乗った気でおられませ!」


 松永久秀=俗に言う松永弾正は、自らの膝を叩き豪気に語った。


「弾正、その様な大言壮語、御前様に無礼であろうが!」


 先程“語り部”と呼ばれた老人が“ぴしゃり”と言った。


「果心、良いのです。弾正、お前の力期待していますよ」


 闇御前は、“語り部”と弾正の双方に目をやると穏やかな口調で言った。


「ははぁ」


 弾正は深々と頭を下げた。


「果心、“語り部”のお前には面倒を掛けますが、“写しの儀”を頼みましたよ」


 闇御前は“語り部”に向けて穏やかに言った。


「畏まりました。この果心にお任せ下さい」


“語り部”が頭を下げた。


「光牙、今はここまでにしておきましょうか」


 闇御前は、後ろの光牙に声を掛けた。


 光牙が頷く。


「拝謁の儀はこれまでとし、今宵は別の広間にて目覚めの宴の用意がしてある。皆『鳳凰の間』に移動なされよ」


 光牙が大声で言った。


「では、皆今宵はゆるりと宴を楽しんで行きなさい」


 そう言って、闇御前は立ち上がった。


 一同が一斉に頭を下げる。


「夜叉姫、後で茶室に来なさい。久しぶりに茶でもしんぜましょう」


 闇御前は、広間を後にする際夜叉姫に声を掛けた。


「はい、父上」


 夜叉姫は一人頭を上げ答えた。


 闇御前は深い皺に柔和な笑みを浮かべると、そのまま広間を後にした。

この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。

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