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     6

「グルルル……」


 恭也は、獣の唸り声を上げた。


 どうやら、意識はまだ完全に戻ってはいない様だ。


 先程の獣吾と同じ前傾姿勢を取り、膝を軽く曲げて臨戦態勢を取っている。


 獣吾は戸惑いの色を隠せなかったが、幾ら同族とは言え、今の時点でこの男は敵だ。


 いや、見た目は獣人に違いないが、この男から感じた気の質や体臭は、同じ獣人の物とは言い難い物であった。


 しかもあの獣毛の色、そしてヴァンパイアの様な牙。


ーーやはり何かが違う。


 獣吾はそう思った。


 そして、獣吾も同じく臨戦態勢を取った。


 全ての物が息を潜めているかの様に、辺りが“しん”と静まり返っている。


 限界まで張り詰めた緊張が、夜気までも凍らせた。


「ガアァァッ!」


「ゴオォォッ!」


 その時、凍った夜気を切り裂いて、二匹の獣が同時に吠えた。


 互いに凄まじいスピードで駆け寄ると、彼我の距離が一気に縮まった。


 獣吾は、その鋭く伸びた長い爪を振るった。


 恭也も鋭く尖った爪を振るう。


 互いの爪が交錯し、互いの胸を切り裂いた。


「ガウッ」


「グウツ」


 二匹が同時によろめいた。


 互いの胸には、同じ様な四本の爪痕がくっきりと残されていた。


 肉を爪でほじくられた傷痕から、夥しい量の血がドクドクと流れ出る。


 獣吾が、更に爪を振るおうとした瞬間、既に恭也は次の攻撃の態勢に入っていた。


 恭也は、振り上がった獣吾の右手首が振り下ろされる直前に自らの左手で掴み取ると、もう一方の手で獣吾の太い首を掴んだ。


 獣吾の首に恭也の爪が食い込む!


 恭也の手は、まるで万力の様な力で獣吾の首を絞め上げた。


「ググゥゥ……ッ」


 獣吾が低く呻いた。


 獣吾は、首の筋肉に渾身の力を込めた。


 だがこのままでは、いずれ首の骨が折れる。


 獣人の獣吾であればこそ、まだ首の骨が折れていないだけだ。


 獣吾は、首を絞めている恭也の右手首を空いている左手で強く握ると、恭也の腕を引き剥がそうと力を込めた。


 恭也の腕にも獣吾の鋭い爪が食い込む。


 恭也の腕から五本の血の糸が滴った。


 恭也にも激しい痛みが加わっている筈だ。


 だが恭也は、口が狼の様に耳元まで裂けている為定かではないが、確かに“ニヤリ”と笑った。


 獣吾の首を掴んだ手の力も、一向に衰える気配が無い。


 獣吾は、口の端から血の混じった泡を“ブクブク”と吹いていた。


 獣吾の意識が遠退く。


 獣吾は、最後の意識をかき集めて後ろへ思い切りのけ反ると、獣吾の首に引っ張られて態勢の崩れた恭也の腹部へ、満身の力を込めた膝蹴りを放った。


 獣吾の膝が恭也の腹に食い込む。


 恭也の身体がくの字に折れた。


「グホッ!」


 恭也の顔が、今度こそ苦痛に歪んだ。


 恭也の腕の力が緩んだ一瞬の隙に、獣吾は力任せに恭也の腕を無理矢理首から引き剥がした。


“メリメリッ”と首の肉が刔れる嫌な音を立て、恭也の爪が獣吾の首から剥がれる。


“ガヒューッ”


 獣吾は、堪らず大きく息を吸い込んだ!


 首から大量の血が勢い良く迸る。


 だが獣吾の右手首は、未だ恭也の左手に握り絞められていた。


 獣吾は左手で拳を強く握ると、恭也の顔目掛けて思い切り拳を放った。


“ボゴッ”


 獣吾の拳が、恭也の顔面をモロに捉えた。


 獣吾の手首から恭也の爪が離れる。


 恭也は、血反吐を撒き散らしながら後ろへ吹き飛んだ。


 獣吾の握った拳の掌には、己の伸びた鋭い爪がしっかりと食い込んでいた。


“ドサッ”


 恭也が音を立て、勢い良く地面に転がる。


 アスファルトの粗い目に恭也の獣毛がへばり付いた。


 獣吾は、血の吹き出る喉を押さえ大きく咳込んだ。


 涙ぐむ目を何とか見開くと、地面に突っ伏した恭也がゆっくりと立ち上がるところであった。


 恭也の双眸が獣吾を睨んでいる。


 その目は焦点を結んでいた。


 先程までとは違い、目に確かな意志を感じる。


 どうやら今のパンチが気付け薬となり、飛んでいた意識が戻ったらしい。


 だがその禍々しいまでの魔気は、些かも衰えていなかった。


 むしろ意識を取り戻した事により、更に凶暴さを増している様にも感じる。


ーー……チッ、何て化け物だ。


 獣吾は腹の中でそう呟いた。


ーーこのままじゃ奴には勝てねえ。


ーー今目の前にいる化け物は、やはり同族なんかじゃねえ。


 獣吾は、恭也の中に眠っている、まだ覚醒し切れていない何か底知れぬ魔力の様な物を感じ取っていた。


 それが何なのか、具体的には分からない。


 ただ獣人としての勘が、この男は危険だと警告していた。


ーー今殺っておかねば……。


 獣吾はそう思った。


 だがこの化け物に勝つ術が見当たらない。


 しかも『降魔の斧』は、二階の部屋に置いたままだ。


 獣吾の額から冷たい汗が零れ頬を伝った。


 恭也は、腕に残った傷痕から流れ出た血を、紅い舌でペロリと舐め取った。


 何と、あれ程深かった腕の傷が、血を舐め取った後には一滴の血も零れて来ない。


 それどころか、既に薄皮まで張り始めている。


 胸の傷も既に治り掛けていた。


 恭也が、禍々しい双眸で睨みながら、“シャーッ”と血生臭い息を吐き出す。


 さすがに満月の夜だけの事はある。


 獣吾もそうだが、獣人族にとって満月はただの象徴等ではなく、再生能力を含む全ての能力が最高潮に達する時なのである。


 当然獣吾の傷も、恭也程ではないが既に治り始めていた。


“!”


 その時、獣吾はある事に気が付いた。


 今宵は満月である。


 自分も幼かった頃、満月の夜にはいつも内に潜む凶暴な獣性に悩まされていた。


 気持ちや身体が異常なまでに興奮し、自分でも押さえ切れない程の凶暴で凶悪な気持ちになってしまうのだ。


 しかも自分の意識とは関係なく、無意識の内に獣人に変身してしまう事もあった。


 今では内なる獣性をコントロールする術を学び、いつ如何なる時でも自分の意志で変身出来る様になり、満月の夜とは言え凶暴な感情に支配される事は無くなった。


 だがそれらは全て厳しい修行による成果だ。


 だが目の前のこの男は、自分の獣性をコントロールする術を知らないだけなのではないか……?


 例え意識がハッキリとしている今となっても、その高ぶる凶暴な獣性を自分では押さえる事が出来ず、ただ獣性に感情を支配されてしまっているだけではないのか……?


 だがそこまで考えて、獣吾は頭を振った。


ーー駄目だ。


 それを今考えたところで、この男を満月の影響下から解き放つ術が見付からない。


ーーやはり殺すしかないのか。


 獣吾は思った。


 その時、何処からか飛来した一羽の小鳥が、恭也の肩に“ちょん”と止まった。


 真っ黒の羽毛を生やした、烏そっくりの鳥だ。


 だがその鳥は、烏にしてはあまりに小さ過ぎた。


“カァーッ!”


 その小鳥が鳴いた。


 鳴き声まで烏そっくりである。


 恭也は、肩に止まったその小鳥を煩そうな表情で“チラッ”と見ると、素早い動き“さっ”と捕えた。


 まさに一瞬の出来事であった。


 恭也は、手の中で苦しそうにもがく小鳥を、残酷な笑みを浮かべながら“ギュッ”と一息に握り潰した。


 だが次の瞬間、何と手の中で潰れて死ぬ筈だった小鳥は、恭也の手の中で一枚の咒符に姿を変えた。


 その咒符は、元は短冊の様な形をしていた筈なのだが、今は破れてクシャクシャになっている。


 所々赤い染みの様な物が付着していた。


 恭也は不思議そうに首を捻った。


 その時、ビルの駐車場の出入口に小さな人影が現れた。


「恭也ー!」


 その人影が叫んだ。


 恭也が、ゆっくりと後ろを振り返る。


 満月に照らし出されたその人影は、紺色の甚平に身を包んだ老人であった。


 獣吾は、その老人に見覚えがなかった。


 後ろへ向き直った恭也が、その老人を“ギロリ”と睨み付ける。


 満月の下で、李と恭也は再び対峙した。

この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。

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