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“ハアッ、ハアッ……”


 十兵衛は、何とか車へと辿り着いた。


 まさしく満身創痍の状態である。


 白かった詰襟の上下が紅く血に染まっていた。


 獣吾に斬られた胸の傷は想像以上に深く、出血自体は徐々に治まりつつあるが、あまりの失血に既に“渇き”の症状も出始めていた。


 十兵衛の震える口元からは、二本の鋭く伸びた犬歯が覗ている。


 十兵衛は、車の周りで意識を失い倒れている部下達を他所に、転がり込む様に車へ乗り込むと、後部席の足元に置かれているクーラーボックスへと手を伸ばした。


 震える手を捩伏せ、クーラーボックスの止め金を外す。


 蓋を開けたそこには、赤黒い血液の入った輸血用のビニールパックが一袋入れられていた。


 十兵衛は震える手でその血液パックを取り出すと、点滴の管を取り付ける為に細くなった底の部分を指で引き千切り、パックに直接口を付けてゴクゴクと喉を鳴らして飲んだ。


 あっと言う間に血液パックは空になった。


「ふうっ」


 十兵衛は、大きく肩で息を吐いた。


 次第に手や唇の震えが治まっていく。


 十兵衛は、まだ痛む胸を押さえながら車を降りた。


 あまりにも出血が多かった為にまだ多少の“渇き”は残っているが、今はそんな事に構っている暇は無かった。


 ふらつく足取りで車を降り、ビルの出入口や車の周辺で倒れている部下達の下へと歩み寄る。


 足はまだ震えていた。


 二階から飛び降り着地した瞬間、胸の裂傷の痛みから着地のバランスを崩し足を痛めたのだ。


 夜の眷属の一員となってからこっち、闘いに於いてこれ程の苦戦を強いられた事も、これ程のダメージを受けたのも初めての事であった。


 やはり、恐るべきは獣人であった。


 しかもあの獣吾と言う男、ただ獣人であると言う以上に恐るべき男である。


 十兵衛は、倒れている部下達に声を掛けて回った。


 だが時既に遅く、最初六人いた部下の内二人が、既に死亡していた。


 生き残った四人の内、二人も意識不明の重体で、放っておけば死亡するのは時間の問題である。


 最早十兵衛の血を飲むだけの意識や体力も無く、『屍鬼』に転身させる術も無かった。


 残りの二人は、幸い気を失っただけの軽傷で済んだらしく、十兵衛が声を掛けると直ぐさま意識を取り戻した。


 二人は、満身創痍な十兵衛の姿に驚き、また仲間の死に無念の臍を噛んだ。


「急げ、全員を車に運び込むんだ!」


 十兵衛が、蘇生した二人に声を掛ける。


 十兵衛達三人は、協力して四人を二台のベンツに分けて乗せた。


 死亡した二人はそれぞれを車のトランクに入れ、残る重体の二人も一台に一人ずつ車の後部席にゆっくりと寝かせた。


 その時、蘇生した二人の内の一人が、車のトランクから一丁の銃を取り出した。


 M3スーパー90のショーティである。


 暴徒鎮圧用のライアットガンではなく、アメリカの警察でも採用されている戦闘用のポンプ式ショットガンで、この男が今取り出したのは、狭い室内でも取り回しがしやすい様にストックを外し、バレルを短く切り詰めた物だ。


 バレルが短い為に、散弾の初速が上がり威力を増している。


“ガシャッ”


 男は怒りに滾る眼差しでビルを見上げると、左手でポンプを操作し初弾を装填した。


「安西、何を考えてる!」


 十兵衛が怒鳴った。


「分かりきった事です! 田中や岡本の仇を討つんですよ。奴はまだビルの中に居るのでしょう?」


 安西と呼ばれた男が、十兵衛に振り返り声を荒げた。


「馬鹿者! 奴はそんなオモチヤで倒せるような相手ではない!」


 十兵衛は、更に声を荒げ怒鳴った。


 凄まじい形相で安西を睨んでいる。


 安西が“びくん”と震えた。


「し、しかし……」


「駄目だ! 田中と岡本を失って、更にお前まで失う訳にはいかん! 目的の飯沼彰二は俺が処分した。今は加藤と井上を病院へ運ぶ方が先だ!」


 十兵衛は、反論を許さぬ強い口調で言った。


「くっそーっ!」


 安西は、悔しさを露に銃を地面に叩き付けた。


 それを見ていたもう一人の男が、安西の肩にそっと手を置いた。


 安西は、握り絞めた拳をブルブルと震わせている。


 次の瞬間、ビルの二階から凄まじい気が夜気に溢れ出した。


 夜気が恐怖に脅え、震えている。


「むう、コレは……」


「じゅ、十兵衛様! な、何ですかコレは?」


 安西が慌てて聞いた。


 これ程の気であれば、普通の人間でさえ悪寒以上の恐怖を感じる筈だ。


 安西達のように武術を修行し、幾つもの修羅場を潜り抜けて来た者であれば尚更である。


 この凄まじい気に反応して、ビルや地面さえ鳴動している様に感じた。


「な、何者なのですか奴は?」


 安西とは別の、もう一人の男が聞いた。


 このビルに到着した時に、十兵衛にドアを開け言葉を交わしていた男だ。


ーーこの気は、あの獣吾とか言う獣人のものではない。


ーーあの男だ!


ーーあの時部屋に飛び込んで来た男の気だ!


ーーしかしあの男、いったい何者なのだ?


ーー飯沼彰二を知っていた様だが……。


ーーならば奴もヴァンパイアで、あの獣人の仲間ではないのか?


 十兵衛が思いを巡らせている間に、重体で車の後部席に寝かされている井上の携帯が鳴っていた。


「もしもし、安西だ。井上は今電話に出られない」


 井上が意識不明で電話に出る事が出来ない為、井上の代わりに安西が出た。


 電話に出る前に確認したサブディスプレイの発信者表示は、『M』となっていた。


『安西か? 私だ。知らせたい事がある……』


 電話の相手は、安西が誰かすぐ分かった様だ。


 どうやら安西にとっても知り合いだったらしい。


 だがその相手は、自分の周囲を気にしているのか、話す声が妙に小さかった。


「何だ?」


 安西が無愛想に尋ねた。


『今そこに『C・V・U』の現場捜査班が向かっている……』


「何? どうしてここが奴らに分かった?」


 安西が大声で怒鳴った。


『住民からの通報で、所轄署を通して警視庁から報告があったのだ』


「くそっ、こんな時に!」


 安西は眉に皺を寄せた。


『一刻も早くそこから立ち去るんだ。十兵衛様にそうお伝えしろ!』


「分かった。十兵衛様にはそうお伝えする」


『それで首尾は?』


「飯沼彰二は、十兵衛様が処分された。だが後始末がまだ済んでいない。それに……」


 そう言いかけて安西は、禍々しい気の溢れ出るビルの二階を見上げた。


『何だ? どうかしたのか?』


 相手が不安気に聞いた。


「何者かは分からんが、予想外の乱入者があって仲間の二人が殺された。加藤と井上は重体、十兵衛様も大怪我をされた」


『な、何だって!』


 電話の相手が大声で叫ぶ。


『……』


 その後大声を出したのが気まずかったのか、しばし沈黙があった。


『すまん、あまり大きな声が出せないのだ……。それで十兵衛様は大丈夫なのか?』


「少し“渇き”が出ておられる様だが、輸血パックの血を飲まれたので今は大丈夫だ」


『それで、その乱入者とはいったい誰なんだ?』


「それはまだ分からん。だがまだビルの中に居る事だけは確かだ。その他は何が起こっているのか俺にも分からん!」


 安西は、苛立ちを露にした。


『分かった。もう時間が無い。とにかく早くその場を離れるんだ』


「分かった!十兵衛様にはそうお伝えする。後は頼んだぞ!」


 そう言って安西は電話を切った。


 電話している間にも、ビルの中の妖気はどんどん増していった。


 しかもその妖気に反応するかの様に、突然別の気が膨れ上がる。


 二つの禍々しい妖気が鬩ぎ合い、どんどん勢いを増している様だ。


「化け物が……」


 十兵衛が忌ま忌まし気に低く呟いた。


 そして電話を切った安西に視線を向ける。


「今の電話は何だ?」


 十兵衛が聞いた。


「御前様が『内調』に放っておられる内通者からの報告で、今こちらに『C・V・U』の捜査官が多数向かっているそうです」


 安西が答えた。


「そうか……、それは面倒だな……。分かった! とにかく急ぎここを離れるぞ」


 十兵衛は、二人に向き直り命じた。


 その後、もう一度ビルの二階を見上げる。


 その目には、滾る様な憤怒の色が満ちていた。


 十兵衛は頭を振った。


 そして十兵衛達三人は、二台のベンツに別れて乗り込んだ。


 後ろに停めてあったメルセデスベンツS65L・AMGの運転席には安西と、助手席には十兵衛が座った。


 そして先頭メルセデスベンツE350アバンギャルドには、もう一人の男が運転席に着いた。


 二台のベンツは、廃ビルの駐車場から滑る様に走り出した。


 助手席で、十兵衛は遠ざかる廃ビルを眺め、無念と屈辱に唇を噛み絞めていた。


 伸びた犬歯が下唇を噛み破り血が顎を伝う。


 その頃、夜空に輝く満月の下、廃ビルの中では獣人と魔獣の闘いが今まさに始まろうとしていた。

この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。

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